山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 59

Column

にゃんにゃん公園とパンクの星 追悼・遠藤ミチロウさん

にゃんにゃん公園とパンクの星 追悼・遠藤ミチロウさん

4月25日。新しい元号とかつてない大型連休に世間が浮かれる最中、ひとつの高潔な魂が天に昇った。
日本のロック・シーンに“パンク”という花を咲かせ、大人が眉をひそめるパフォーマンスで少年少女の血潮を滾らせ、世間を挑発し続けたザ・スターリンを率いた遠藤ミチロウ。
社会の常識を疑い、欺瞞を暴き、タブーを射抜き、震災後は故郷・福島のために奔走した彼が、68年の生涯をかけて追い求め、示したものは何だったのか?
MY LIFE IS MY MESSAGE等のステージで共演した山口が、その視線の先を見つめる。


元号なんて気にしちゃいない。でも、ほんとうに、平成最後の夜にもたらされた遠藤ミチロウさんの訃報にことばを失くしてしまった。

ミチロウさんなら病と共生して、またステージに戻ってきてくれると信じていた。天国の扉をこじ開けて、パンクの星になるなんて早すぎるから。

平成は戦争がなくてよかった、なんて言われるけれど、ほんとうにそうだろうか? ミチロウさんの故郷、福島が原発事故で汚されたとき、彼は「これは戦争だ!」だと。その言葉はひどく僕のこころを打った。

なぜなら。彼の故郷を汚染した原発で作られた電気を使っていたのは、福島の人々ではなく、関東在住のまぎれもない僕だったから。それは逃れようもなく僕自身の問題で、なぜ、僕が使った「たかが」電気のせいで、人々は故郷を追われなければならないのか? PROJECT FUKUSHIMAのサイトに遺されたミチロウさんの宣言文(2011年)をいま一度、読んでみてほしい。

いったい、僕に何ができるんだろう?

2011年8月15日、世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA。福島市のあづま球場で行われたザ・スターリン246のステージを僕はネットで観ていた。

「福島はくたばらねーぞ」と叫び、雨に打たれながら、球場を駆けるミチロウさんを見て、涙が止まらなかった。何の涙なのか、ぜんぜんわからないけれど、この人の魂を孤独にしてはいけない、と強く思った。自分のやれることを全力でやらなければ。

2013年3月11日。福島県いわき市にて。

超満員の若者たちを前に、福島弁で「セックス!」と連呼するミチロウさん。地元の偉大なヒーローの姿に、若者たちの目は輝いていた。美しい光景だった。放射能のせいで、彼らは外で遊べなくなってしまった。いわきの大人たちは若者のために、スタジオを作り、ライヴをやれる場所を死守した。音楽は確かに機能していた。未来のために。

photo by MARIKO MIURA

ミチロウさんは前年のお盆に、浪江町から避難している人たちのための盆踊り大会を故郷の二本松で開催していた。福島県はとても広い。浜通り、中通り、会津と、大まかに言って3つの地域に分けられる。そのうち、浜通りと中通りでは「相馬盆唄」が盆踊りの歌として広く歌われていることをミチロウさんはその時に知った。じじばば達はその歌が流れると、表情が変わるのだと。そして、いわきの楽屋で、ミチロウさんは僕の目をまっすぐに見てこう言った。

「山口クン。オレたちがミュージシャンとして初めて音楽でできること、見つけたんだよ」

故郷の未来のために、PROJECT FUKUSHIMAをあの細い身体で牽引してきたミチロウさん。どれだけの困難を乗り越えてきたのか。僕も小さなプロジェクトを続けてきたから、容易に想像できる。そんなミチロウさんから「力を貸してほしい」と言われて燃えないわけがなかった。

「相馬盆唄」をみんなで歌い踊る。死者の魂を弔い、生者と交わり、浜通りと中通りをつなぎ、世界に福島を伝える。真ん中にあるのは音楽。誰も傷つかない。そんな方法をミチロウさんは教えてくれた。ひかりが見えた。

福島県相馬市の多くの人が亡くなった海で、僕らは演奏することにした。太平洋から昇ってくる新しい朝陽とともに。

僕らのプロジェクトMY LIFE IS MY MESSAGEや、各地のロック・フェスでもミチロウさんはその歌を何度も一緒に歌ってくれた。

photo by MARIKO MIURA

photo by MARIKO MIURA

どんなに困難なときも。自分の手を汚し、誰よりも矢面に立ち、私利私欲を捨て、未来のために行動し、道を創ろうとする人を僕は尊敬する。ミチロウさんはそんな人。誰よりも優しく、きれいな瞳を持った人。

福島のことだけではなく。ミュージシャンがかつて訪れたことのないような小さな町、あるいは離島にまで。音楽を自分の足で届けに行った偉大な先駆者でもある。誰の力も借りず、たった一人で。僕らはミチロウさんが切り拓いてくれた轍の上を歩かせてもらっている。

今年の3月。この国の最南端、石垣島にある唯一の映画館で。島の人たちの要請をうけて、地元の素晴らしいアーティストとミチロウさんにエネルギーを送るライヴに出演した。音楽のあと、自身が共同監督をつとめられた映画『SHIDAMYOJIN』が上映された。

会場を埋めたオーディエンスの表情を見ていて、ミチロウさんがどれだけ愛されているのか、自身の肉体を使って、どれだけの人々に明日への活力を与えてきたのか、身にしみて思い知った。

パンクロックの始祖、偉大な詩人、高潔なたましい、強靭な肉体。そして猫の話をするときの優しいまなざし。

その時に知りあった島の新しいともだちから、たった今メールがきた。「悲しくて、寂しいけど、あんまり悲しんでたら臓物が飛んでくるぞ」って。

前を向かなきゃ。未来のために。

ミチロウさん。あの歌は僕が歌いますね。あの島に行くたびに、青い橋を越えたところにある、にゃんにゃん公園のガジュマルの木の下からパンクの星を探します。

その星に恥ずかしくないように今を生きます。それが未来を創る唯一の方法だと、あなたが僕に教えてくれたからです。ほんとうにありがとうございました。


遠藤ミチロウ
1950年11月15日、福島県二本松市に生まれる。福島高校、山形大学卒業後、ベトナムや東南アジアを放浪。帰国後、東京でバンド活動を開始し、1980年にザ・スターリンを結成。フロアに豚の臓物や爆竹を投げ込んだり、全裸で放尿する挑発的なライヴで注目を集め、1982年にアルバム『STOP JAP』、シングル「ロマンチスト」でメジャー・デビュー。2ndアルバム『虫』を1983年に発表。日本の音楽シーンにパンク・ロックを確立する。1985年、バンド解散と同時にソロ活動を本格化させ、並行してパラノイア・スター、ビデオ・スターリンとしての活動を行う。1989年、新生スターリンを結成。西ベルリンやポーランドのフェスにも出演する。1993年解散後、 “お百度参りツアー”と称して全国のライヴハウスをギター一本で廻り始め、多いときには年間200本のライヴを行う。2001年、中村達也(ds)とのユニット、TOUCH-MEの結成を皮切りに、バンドやユニット、ソロと、様々な形態で音楽活動を展開。2011年、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故を受け、「PROJECT FUKUSHIMA!」を発足。同年8月15日には大友良英、坂本龍一らと「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」の名で復興支援イベントを開催する。2018年11月15日、68歳の誕生日に膵臓がんであることを公表、2019年4月25日、都内の病院で逝去。過激なステージ・パフォーマンスとは裏腹に知的で温厚な人柄、福島の復興のために奔走する姿はジャンルを超えて多くの人々の共感と支持を集めた。ソロ作品に『ベトナム伝説』(1984年)、『THE END』(1985年)、映像作品に、自身で監督・主演を務めたロード・ドキュメンタリー『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2017年)、震災後に結成した民謡パンクバンド「羊歯明神(しだみょうじん)」の活動を中心に捉えた『SHIDAMYOJIN』(2018年)等がある。


ザ・スターリン『STOP JAP』

1982年リリースのメジャー・デビュー・アルバム。シングル・カットされた「ロマンチスト」をはじめ「STOP JAP」「負け犬」「ワルシャワの幻想」等オリジナルに収録された全15曲に加え、デビュー当時の未発表ライヴ音源を含む5曲をボーナストラックとして収録してリマスタリング。

ザ・スターリン『虫』

1983年発表の2ndアルバム。「水銀」「天プラ」「取消し自由」「アザラシ」等、パンクを超えて進化した遠藤ミチロウの詩の世界が疾走感とともに突き刺さる全12曲を収録。紙ジャケ、高音質 [SHM-CD]で再発。

遠藤ミチロウ『THE END』

1985年、ザ・スターリン解散後に発表した、ソロ・アルバムとしては『ベトナム伝説』に続く2作目。「仰げば尊し」「インゴ セブン」「WATER SISTER」「THE STALIN」の4曲を収録。

遠藤ミチロウ『FUKUSHIMA』

震災以降に作られた新曲と、ザ・スターリン時代を含む過去の楽曲の東北版リメイクや音頭バージョン、さらに友川カズキのカバー等を、弾き語りのほか、旧知のメンバーとのセッションを交えて収録。エンジニアは同じく福島県出身の近藤祥昭(GOK SOUND)。2015年リリース。

映画『SHIDAMYOJIN』+特典ライヴ映像『ミチロウ祭り』【DVD】

故郷の福島で“盆踊り”にインスパイアされた遠藤ミチロウが繰り広げるアンプラグド・パンク=民謡パンク。『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』に続くロード・ドキュメンタリー第2弾。監督は映画作家・小沢和史と共同で務めた。特典映像としてライヴ映像『ミチロウ祭り!~死霊の盆踊り~』(2時間22分)を収録した2枚組。


著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

1963年福岡県生まれ。1979年にHEATWAVEを結成。1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表のアルバム『1995』に収録された「満月の夕」は阪神・淡路大震災後に作られた楽曲で、多くのミュージシャン、幅広い世代に現在も歌い継がれている。2019年2月公開の映画『あの日のオルガン』(監督:平松恵美子、主演:戸田恵梨香、大原櫻子)でアン・サリーによるカヴァー「満月の夕(2018ver.)」が起用されたことでも話題に。3月に始まったソロ・ツアー“山口洋(HEATWAVE)the boy 40 tour”も残すところ5ヵ所となった。会場では2018年ツアーのライヴCD『日本のあちこちにYOUR SONGSを届けにいく』、2018年12月22日HEATWAVEライヴを収めた『The First Trinity』の発売も。6月5日には今年2回目となるHEATWAVEの実験的ライヴ“HEATWAVE SESSIONS”、6月28日には2011年東日本大震災後から仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らと続けている“MY LIFE IS MY MESSAGE”を横浜サムズアップで開催する。8月には“RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO”に出演。

オフィシャルサイト

ライヴ情報

“山口洋(HEATWAVE)the boy 40 tour”
5月11日(土)長野 ネオンホール
5月13日(月)豊橋 HOUSE of CRAZY
5月15日(水)奈良 Beverly Hills(ビバリーヒルズ)
5月17日(金)福山 Boggie Man’s Cafe POLEPOLE(ポレポレ)
5月19日(日)高知 シャララ
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HEATWAVE sessions 2019 ②
6月5日(水)横浜 THUMBS UP(サムズアップ)
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MY LIFE IS MY MESSAGE 2019
Brotherhood

6月28日(金)横浜THUMBS UP(サムズアップ)
出演:山口洋(HEATWAVE)×仲井戸”CHABO”麗市
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VORZ BAR & GROOVE COUNCIL presents MIX UP&BLEND vol.3
7月13日(土)仙台市 市民活動サポートセンター B1F シアター
出演:山口洋(HEATWAVE)/ 藤井一彦(THE GROOVERS)/ 大江健人
Opening Act:堀下さゆり&佐山亜紀
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RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO
北のまほろばを行く-石狩編- powered by ARABAKI ROCK FEST

8月16日(金)・8月17日(土)石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
出演:BAND:山口洋(G)・細海魚(key)and more
GUEST:仲井戸”CHABO”麗市 and more
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