【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 124

Column

CHAGE&ASKA “チャゲアス現象”を巻き起こした彼らの目の前に広がった、“赤い丘”(『RED HILL』)の正体とは?

CHAGE&ASKA “チャゲアス現象”を巻き起こした彼らの目の前に広がった、“赤い丘”(『RED HILL』)の正体とは?

1993年10月にリリースされた『RED HILL』は、この頃の彼らの絶頂を、そのまま音にしたアルバムだ。すべてにおいて濃い内容。音楽スタイルも多彩。ロック、ブラック・ミュージック、レゲエ、オーガニックなもの、さらにはフォー・ビートのジャジーなものまで、曲ごとにアイデアがハッキリしている。トータルで攻めるのではなく、バラエティ豊かに勝負する。

当時のASKAの発言に、アイデアというもの自体に優劣があるわけじゃなく、大切なのは、みんなでそれを、“ちゃんと形にすること”なんだという、そんな表現があったが、まさにそれだけのスキルが、彼らに備わっていた証拠でもある。久々に聴いてみて、ホント、そう思った。クリエイティビティとホスピタリティが両輪を成し、滑らかに回転していくさまが、ハッキリ聴き取れるのだ。そのあたりを当時のASKAの取材記事から引用すると、例えばこんな言葉になる。

プロフェッショナルなアーティストとしていいアルバムだと評価されるものを出していきたいし、大衆的でありポピュラーでありたい。だから、今、この時期の自分たちの自然なバリエーションが出せたと思ってるんですね。
(『月刊カドカワ』94年2月号)

世の中には“チャゲアス現象”が巻き起こっていた。その状況下において、もしこれがショボかったら、そりゃ絶対マズいでしょ、くらいの世間の期待もあった。

ロンドンで完成した前作『GUYS』は、本人達が最高傑作と評価していた作品集であり、その次となれば、プレッシャーはあったハズだ。そんななか、絶対ここで打ってくれる、という時に打つ、頼れる4番バッターのようなかっ飛ばし方をしたのが本作なのだ。

嬉しいのは、日本人の精鋭スタジオ・ミュージシャンが大活躍しているアルバムだということ。『GUYS』はロンドンの凄腕達あってのグルーヴに支えられていた。本作は主に国産で、それでいて前作と遜色ない。

アルバム発売日は10月10日。彼らのツアー『史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR 1993-1994』の初日でもあった。セットリストには、このアルバムから11曲ほど(ということは、ほぼ総て)が選ばれた。「夜明けは沈黙のなかへ」の導入から「なぜに君は帰らない」へと続くオープニングは、アルバムの曲順と同じだった。

このツアーは日本で70公演を消化し、翌年、初の海外となる『ASIAN TOUR 1994』で香港、シンガポール、台湾を回った。重要なのは、国内のあとに海外へ“進出”したのではなく、ツアーの一環としたことだ。そもそも二人は、アジアでやる際、条件を出した。それは、“そのままのCHAGE&ASKAを観てもらえるなら、ぜひやりたい”、というものだった。

状況も整っていた。日本のヒット・ドラマがアジアでも放送され、人気を博し、主題歌も、ボーダーレスに広まっていた。すでにアジアには、彼らを知り、待つ人達が大勢いた(個人的には、この時のアジア公演も観ているので、その思い出を書きたいが、今回はアルバム『RED HILL』に絞り、さらに続けよう)。

そう。タイトル・ソングの話をしたい。「RED HILL」というのは不思議な歌である。そもそもジャケットから伝わるイメージもそう。ASKAが綴った歌詞には、[流れない風の赤い丘]とある。

そもそもこの丘は、風が創りだしたもの(砂丘)ではなかったのか? 現実と夢、その狭間…。さらにその狭間すら、現実か夢か、どちらの領域なのかの判断が迫られるかのような言葉が続いていく…。

対照的ともいえる、現実的なフレーズも登場する。[差し出す手は 敵か味方か]である。となればこの歌は、“チャゲアス現象”に対する、彼らからの回答かもしれない(なお、当時この歌は、自分達が置かれている立場への自分達からの警告、みたいな伝えられ方もされていた)。

もしかして彼らは、成功により物質的に充たされて、その先にある精神的なものへ向かう途中だった、とも受け取れるだろう。この書き方は誤解を生むかもしれないが、つまり“赤い丘”とは、手にしたはずの成功は、実は虚構だったという比喩、ということだ。しかしこの“赤”は、そのまま“警告”と解釈出来るけど、新たな夜明けの“空の色”にも準えることが可能だろう。

『RED HILL』には、たいへん重要な作品が収録されている。CHAGEの「TAO」。当時、彼は僕にこんな話をしてくれた。

それが何かをわかりやすく言えば、「自然体」でいることの大切さ、なんだよね。「自然体」、つまり、水は高いところから低いところへ流れる、ということですよ。当たり前です。でも、人間は当たり前のことができない。相手の言葉を裏読みしたり、世間体を気にしたりする。それが人間だから。
(『月刊カドカワ』94年2月号)

さきほど引用した「RED HILL」の歌詞とも共通する話だ。CHAGEは「SAY YES」により激変した自分達をとりまく環境に、一瞬、たじろぎはしたものの、大事なのは、まさにこの「TAO」で歌われるようなことなのだと気づき、作品化した。

余談だが、この時の取材は全日空ホテルのスウィート・ルームでやった記憶がある(バブリィだった)。やがて窓の外が暗くなり、ルームサービスでビールを注文しつつ、話を訊いた(注文は二人で小瓶一本。倹約もしてた)。さらに「TAO」の話は脱線し、少し前に現役引退していた(中日などで活躍した)田尾安志選手の話になったと記憶するのだが、このへんは取材記事から割愛されているので、あくまでうろ覚えだ。 

『RED HILL』には「Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは」という歌も入っていて、「YAH YAH YAH/夢の番人」から5か月後に出た注目のシングルでもあった。大ヒットによりアーティストとして“公人”となったCHAGE&ASKAだけに、どんなテーマか注目されたが、基本としては、大人が子供に語りかける内容だった。

先日、憧れの詩人、谷川俊太郎との対談を果たしたASKAだが、この歌は冒頭、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のような調子で始まっていて、[風 薫 海 航 …」と、漢字一文字を並べるフレーズも現代詩的だった。しかしこれ、視感上は「詩」に思えるが、実際に歌われているのは“♪風、薫る〜 海、航る〜”であり、聴感上は「詞」でもある。そんなASKAの、一世一代の驚きのアイデアでもあったわけだ。

“それより僕が伝えたいのは”というサブ・タイトルは特徴的だ。“それより”に、いかにも大人が子供に伝えそうな既成の事柄が既に含まれており、この歌では、それ以外を目指している。

音楽的には14カラット・ソウルとの共演を果たすなど、そもそもの発想としてアカペラがあった。このスタイルの音楽は、サウンド以外にも、歌詞に大いに作用する。言葉から雑味を除去し、純度の高いメッセ−ジとして届いた。

文 / 小貫信昭

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