佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 94

Column

野外フェスに出演して注目を集めた前川清、その音楽における原点を振り返る

野外フェスに出演して注目を集めた前川清、その音楽における原点を振り返る

前川清が5月18日に福岡・海の中道海浜公園で開催された「CIRCLE’19」に出演し、歌手デビュー51年目にして初めて野外フェスティバルを体験したという。
そのニュースが新聞社のTwitterで流れるまで、ぼくは何の情報も持っていなかった。
だから少し驚きつつも、「ようやくこういう時代が来たのだ」という感慨を覚えたのだった。

ハナレグミやEGO-WRAPPIN、ZAZZEN BOYS、青葉市子、大貫妙子、高橋ユキヒロ、細野晴臣といった出演者のなかに入ると、いささか異質だと思った人も多かっただろう。
だが、ずいぶん長い間にわたって “演歌”という、狭くて古めかしいジャンルに閉じ込められていた前川清が、やっと解放されたような清々しさをぼくは感じていた。

新聞で報道された記事を読む限りにおいては、「お客さんは若い人たちばかりなんでしょ? 不安しかないよ」と、自分が場違いなのではないかということを、公演の直前まで心配していたらしい。
だが、いざ本番となって約5000人を前に唄い出すと、観客の熱い反応を感じて気持ちが高揚していった。

若い観客からの反応からはかなりの手応えがあったらしく、ぼくはそのことを当然だと思ったが、それでも素直にうれしいという気持ちになった。

当日のセットリストを見ると、オープニングはデビュー曲の「長崎は今日も雨だった」で、後半にはロックンロールの「ブルー・スエード・シューズ」や、R&Bの「アンチェイン・マイ・ハート」をはさみ、最後は「東京砂漠」と「そして、神戸」という代表曲で締めくくっていたことがわかった。

それらをトレードマークになっている直立不動の姿勢で熱唱し、喝采を浴びた様子が容易に想像できた。なにしろ歌唱力が突出していて、普通ではないレベルにあるのだ。

米歌手レイ・チャールズさんの「Unchain My Heart」を英語歌唱した際には、ファンクバンド「在日ファンク」の浜野謙太(37)もコーラスで参加。会場をさらに盛り上げた。
イベント後には「父親に肩車をされて見ていた子どももいた。今までにない経験ですごくパワーをもらった。楽しかったし、また出たいね」と額の汗を拭った。
(日刊スポーツ[2019年5月18日19時54分])

前川清にとって音楽の原点となったのは、中学までを過ごした長崎県佐世保市で、アメリカ兵が出入りしていた店のジュークボックスから流れてきたジャズ、ロックンロール、オールディーズである。
なかでも夢中になって聴いたのがエルヴィス・プレスリーで、「何が好き?」と聞かれたら「プレスリーの曲はすべて」と答えるほどのマニアだった。

やがて1965年から66年にかけて大流行したエレキブームのなかで、高校生の前川はアマチュアのバンドでヴォーカルを担当した。しかし勉強が嫌いだったので親に内緒で中退し、サラリーマンや溶接工を経た後に、長崎市にある小さなクラブで歌い始めた。

若くて将来性のあるヴォーカリストを探していたベースの小林正樹にスカウトされて、クール・ファイブで歌うようになったのは1968年からになる。

当時のクール・ファイブは長崎市の繁華街にある一流のグランド・キャバレー「銀馬車」の専属バンドで、全員が楽器を演奏しながらコーラスを歌っていた。

前川清が加入したクール・ファイブは評判になり、彼らと契約するために東京のレコード会社や、プロダクションが動いたことで、レコード・デビューが決まった。
デビュー曲となった1969年の「長崎は今日も雨だった」は、典型的な3連符によるロッカ・バラードである。

オールディーズで親しんできたロッカ・バラードは、前川清にとって得意な分野だったに違いない。

語尾の母音を「さがし さがし求めてエエエ~」というように唄う前川のヴォーカルを、さらにドゥワップ・スタイルのコーラスで強調するというのが、クールファイブの歌唱における基本となっていく。

その原点にあったのはオールディーズの「ロンリー・ナイツ」(ザ・ハーツ)と、「イン・ザ・スティル・オブ・ザナイト」(ザ・ファイヴ・サテンズ)だったと推測できる。

アレンジを担当した森岡賢一郎は、加山雄三の「君といつまでも」を筆頭に、森進一の「花と蝶」や「年上の女」など、3連符のロッカ・バラードで次々にヒット曲を生み出していた名手だった。

そして卓越した能力を持つヴォーカリストの前川清が、ロックンロールやオールディーズをベースにした、力強いロッカ・バラードを歌うことによって、クールファイブは歌謡コーラス・グループのパイオニアになっていった。

それから半世紀にもなろうとする歳月が流れて、前川清は自分の音楽の原点に立って、カヴァー・アルバム制作を手がけるようになる。

2015年に発表した『マイ・フェイバリット・ソングス~オールディーズ~』シリーズは、すでに第3集までが発売されている。
ちなみに第1集で前川清が手にしているアナログ盤は、エルヴィスの『ゴールデン・レコード第4集』であった。

なお7月3日に発売される「My Favorite Songs」の第4集には、2013年に62歳で亡くなった元・夫人の藤圭子による代表曲「京都から博多まで」が収録されるという。
それについては日刊スポーツが、本人のコメント付きでこのように報じていた。

これまで、藤さんの曲をステージで歌唱したことはあるがCDに入れるのは初めて。「彼女のファンだった人に、少しでも喜んでもらえたらうれしい」との思いからだという。

藤圭子もまた、ロックやブギやブルースを唄ったら日本一の実力があったのに、ほんとうの魅力が正しく伝わらないまま、“演歌”というジャンルに縛られてしまった悲劇の人だ。
そして自分が思うような音楽活動をできなかったことから、芸能界を引退する道を選ばざるを得なくなってしまったのである。

この度の前川清の活躍によって、そうした事実が明らかになり、歌手としての正しい評価があらためて為されてほしいと、心から願わずにはいられない。

前川清の楽曲はこちら

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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