【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 125

Column

CHAGE&ASKA 貝殻の片方の“ブラザー・サン”と、その後、事情が変わった“シスター・ム−ン”

CHAGE&ASKA 貝殻の片方の“ブラザー・サン”と、その後、事情が変わった“シスター・ム−ン”

年に一枚のオリジナル・アルバムを出すペースが、変化し始めたのが『RED HILL』(93年10月)以降である。次の『Code Name.1 Brother Sun』は、95年6月のリリース。この頃、ASKAは12か月のタームでレコーディングとツアーをやることは「もはや不可能では…」と発言している。皆が満足してくれる規模のツアーをやり、そのための準備をするだけで、1年なんて過ぎていくわけだ。

『RED HILL』のリリースと同時に始まった“史上最大の作戦”のツアーは、27か所56万人を動員し、そのあとアジア各国を回り、94年5月の台湾公演にて終了している。この頃、ASKAは新しいレコード会社とソロ契約しており、作戦終了後はそちらの制作に入る予定だった。完成したソロ作『NEVER END』がリリースされたのは95年の2月だが、当時、彼はソロ活動をしつつも、CHAGE&ASKAの予定が迫ってきているのは自覚しており、ソロのつもりで作った筈が、二人でパフォーマンスしたほうがピッタリな曲になったりもしたという。図らずもそうして、次なるチャゲアスの準備も進んでいたわけである。

一方、チャゲの94年といえば、特記すべきは作戦終了後のアメリカの旅だ。しかも、シカゴからメンフィスやミシシッピーと、黒人音楽やR&Rを育んだ街を訪ねもした。マディ・ウォーターズを生んだ街も、エルヴィスを生んだ街も訪ねた。面白いエピソードがあり、現地で聞こうと好きな曲をカセットに入れ持参したものの、借りるレンタカー、レンタカー、カー・ステレオが壊れており、しょうがないから向こうで現地のラジオばかり聴いてたら、それが最終的に、帰国後、新たに曲を書くインスピレーションにも繋がったという。

次なる二人の活動を目指しての曲作りは、そのあと活発化していく。前作以降、シングルとしてリリースしたものもストックされていた。出来上がった新曲のベーシックをレコーディングし、既発シングル含めて並べたら、軽くCD2枚組になりそうな分量であった。それを一気に聴いて貰うことも可能だったが、そうはせず、「貝殻の片方は、やがて皆の前に現れることだろう」という予告つきで、まずは『Code Name.1 Brother Sun』として、13曲の形でリリースされた。この時点で、前作から1年8か月が経過していた。

このアルバムの「君の好きだった歌」は、“貝殻のもう片方”が出た際に、全貌が分かるような仕掛けだった。ここではさわりのみをオーヴァチュア的に収録し、『1』と『2』を繋げる役割を想定していた。

このアルバム・タイトルは、1972年のイタリア映画『Brother Sun Sister Moon』から名付けらたものである。中世イタリアが舞台の宗教色の強い映画だったが、美しい映像のなか、初恋を描く青春映画として楽しめた。英国のシンガー・ソング・ライター、ドノヴァンが歌った主題歌も、大いに話題になったものである。二人が中学から高校に進学するあたりに日本で公開され、当時、大いに感化されたからこそ、時を経て、アルバム・タイトルとして姿を現わしたのだろう。

『Code Name.1 Brother Sun』は、吹っ切れた印象のアルバムになる。キーボードを多層的に使った奥行きというより、ギターで簡潔に切り取った世界観が印象に残る。実はレコーディングの前、彼らにミュージシャンとしての“ちょっとした変化”が訪れた。CHAGEはアメリカの旅の途中、ミシシッピーでオールドのギブソンを入手し、ASKAはロスで、マーチンを入手している。曲を作る人間にとって、新たな楽器は新たな楽想への道先案内になることが多い。

なにしろASKAの「201号」は、ギター一本で作られ、そのまま二人でハモってパフォーマンスすることを意図したものだった。チャゲの「紫陽花と向日葵」は、アレンジはぶ厚いが、マンドリンやバンジョーなど、“ギター類”も駆使したアメリカン・サウンドだ。なお、このレコーディングからギタリストの西川進が参加しているのも、この楽器の印象を強くする要因のひとつとなる。

『Code Name.1 Brother Sun』がリリースされた翌月に、彼らは96年1月まで続く、国内でアリーナ60公演(!)をこなす『SUPER BEST3 Mission Impossible』のツアーに出掛ける。それはそのまま、2度目のアジア・ツアーである『ASIAN TOUR II Mission Impossible』へ。台湾・香港・シンガポールを回り、このツアーはトータルで、66公演67万人を動員するものとなった。前回の“史上最大の作戦”を、早くも更新した。内容は、これまで以上に二人の資質の違いも大胆に展開されるものとなった。

“ブラザー・サン”が待ち焦がれる“シスター・ムーン”を、早く地上に招き入れたい二人だった。それを完成させるべく、ツアー後にレコーディングは始まった。既にベーシックは、アルバム1枚分録られており、それを活かしつつ、追加楽曲を考える予定であった。

しかし、ここで問題が起こる。あの時の気持ちのまま、残りの1枚分を完成に導くのは、困難だと分かった。気紛れとかじゃない。これはあくまで、時間が経ったからこそ、分かったことだったのだ。「気持ちをセパレートするのが大変だった」。ASKAは言った。「あれから新たなツアーを経験したのでね。そりゃ気持ちの変化もあるよ」。CHAGEは言った。

では、どのようにして『CODE NAME.2 SISTER MOON』は制作されたのだろうか。当時、ASKAは「ある種、無防備に作っていったところがあった」と話してくれた。CHAGEは、「曲のなかで、あれほど素直に自分を出したことはなかった」と言っていた。この場合の「無防備」と「素直」は、イコールに近い感覚かもしれない。

改めて聴いてみると、ASKAコーナーとCHAGEコーナーに分かれた曲順で構成されているアルバムだ。当時、非常に話題になったASKAの「青春の鼓動」は、彼が幼少の頃に影響された、ダニー飯田とパラダイスキングの屈託ないコーラスを重視したロックンロールを彷彿させる。さらにこれも話題となったCHAGEの「ピクニック」は、西洋のメロディ・ラインに日本語を乗せるという足枷を踏まえた上で、これまで以上に自分を解放させた姿勢がみられた。

他の曲、というか、 「On Your Mark」とか「NとLの野球帽」とかは、もうお馴染みだろう。「On Your Mark」を本当に久しぶりに聴いたが、やはり眼前にスタジオ・ジブリのアニメが浮かび、歌詞の[夢の斜面][行けそうな気がする]で、目頭が熱くなった。音楽とは不思議であり、偉大なものである。その感情に、瞬時に覆われたのだ。陸上競技の“On Your Mark”にはピストルの合図が必要だが、人生におけるそれには、何も必要ない。ただあなたが、“位置につき”さえすれば…。この歌は、そのことを教えてくれような気がする。

シングルにもなった「river」は、もしかしたら、僕が一番好きなCHAGE&ASKAの曲かもしれない。ただ、もっといい仕上げ方があったかもしれない。なのでビッグ・ヒットとまでは行かなかったのだろう。でも、彼らの代表曲として「river」を挙げるヒトは少ないし、だからこの曲は“僕だけのもの”感を伴い、今も時々、無性に聴きたくなるのである。今、聴くと、人間は胎児の時の記憶をずっと持ち続けている、という、そんなASKAの考え方が、どこかに反映された歌詞に思える。

文 / 小貫信昭

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