浜村通信がぶっちゃける!平成ゲームシーン  vol. 3

Interview

憎悪をゲームに絡めて、楽しさに変換して遊んだ平成後期

憎悪をゲームに絡めて、楽しさに変換して遊んだ平成後期

平成から令和へ。新たな時代の到来を感じさせる出来事が、ゲーム業界のみならずさまざまなところで起こっている。平成の約30年間を振り返ってみることで、これまで歩んできた道のりが再確認でき、これから向かうさきの道を見通せるようになるだろう。
ゲームアナリストとしてゲーム業界を見通してきた浜村通信こと浜村弘一氏。ゲームシーンを彩る多くのイベントやトピックスに、独自の分析と考察を展開してきた氏のゲームライフやポリシーに触れることは、これまでのゲームの歴史を紐解くと同時に、浜村氏とともに私たちゲームファンが作ってきた歴史にも触れる機会となる。
今回は、浜村氏のインタビュー記事の第3回となる。平成21年(2009年)から平成31年(2019年)4月までの平成後期のゲームシーンに、浜村氏はどう向き合ってきたのか。長年にわたってたってファミ通を率いてきた氏の経験や活動を通して、平成のゲームシーンを浜村流に締めくくっていただいた。

浜村弘一(浜村通信)プロフィール
日本が誇るゲーム総合誌“週刊ファミ通”(旧・ファミコン通信)の創刊時に編集者として携わり、3代目編集長に就任。浜村通信はペンネーム。現在は、カドカワ株式会社 デジタルエンタテインメント担当シニアアドバイザーでファミ通グループ代表兼、日本eスポーツ連合の副会長を務める。ゲーム業界・産業の興りから現在に至るまで幅広く精通し、ゲームの豊富な知識と経験、そして人脈を武器にさまざまな視点からゲームシーンを考察する、ゲームの伝道師。

取材・文・構成 / wodnet、エンタメステーション編集部
撮影 / 曽根田 元


楽しく作れば楽しい記事ができる

平成後期といえば、浜村氏は週刊ファミ通の編集長の座をバカタール加藤氏に譲り、社長業に専念し始めた頃だ。この時期にプレイしていたゲームソフトを尋ねたところ、話は少し中期に遡り、あらぬ方向へと走り出した。

平成後期はどういったゲームを遊ばれていましたか?

浜村弘一(浜村通信/以下、浜村) つねに『ファイナルファンタジーⅪ』(スクウェア・エニックス)とか『ファイナルファンタジーⅩⅣ』(スクウェア・エニックス)を遊んでいて、『ファイナルファンタジーⅩⅣ』が中断していたあいだは『ドラゴンクエストⅩ』(スクウェア・エニックス)も遊んでました。MMORPGを遊ぶことをベースに、その時々で流行ったゲームを遊んでいますね。

ジャンルなどに偏りは?

浜村 ジャンルを選ばず何でもプレイしますよ。社長業をしながらクロスレビューも書いていましたからね。

社長みずからクロスレビューを書くってすごいことですよね。

浜村 コラムも書いていたし、よく頑張っていたよね我ながら(笑)。好きでやってたんですけどね。

現場のお仕事が好きだからですか?

浜村 それもそうなんだけど、クロスレビューを書いていると、メーカーの担当者がゲームといっしょに資料も持ってきてくれるんですよ。クロスレビューって宿題みたいなものだから、どこかでやらなきゃいけない仕事なら、効率よく仕上げたいですからね。本数が多い週は土日も出てきて書かなきゃいけなくなる。それは休みがなくなって本当に辛かったですね。これじゃいかんと思って、ようやくクロスレビューから手を放したんです。

それで、とある土日に浜村さんが出社してきたとき、ファミ通編集部の喫煙事件に遭遇したとうかがいましたが、どんな事件だったか覚えていますか?

浜村 たしか『ディアブロ』(Blizzard Entertainment)が流行っていた時期だよね。喫煙室に行く時間ももったいないってことで、編集部は禁煙なのに、その場で吸ってしまったスタッフがいて。そこに僕が、週末なのに突然やってきて……。まず何をしたかというと、ゴミ箱を蹴っ飛ばしちゃいました。

ゴミ箱にまず一撃を(笑)

浜村 (このインタビューにも同席しているけど)元ファミ通編集者のカエル大宮くんもその場にいて、振り向いたら僕が立っていて猛烈に怒ってると。彼は吸わずに横で仕事していただけだったとあとで知ったんですけど、芋づる式に監督不行き届きということで、連帯責任でペナルティを与えてしまった(笑)。あと、そのとき叱ったメンバーのなかにA君という編集もいたんですよ。彼は煙草を吸わない人ですが、一緒にプレイしていた仲間が吸っていたので、これも連帯責任(笑)

A氏は見覚えのある名前です。

浜村 いまじゃソニー・インタラクティブエンタテインメントの人気シリーズをプロデュースした人物になっています。偉くなったもんだよ。

話を戻しますが、平成後期はWii、PlayStation®Move、Kinectといった体感系のゲームハードや周辺機器が揃った時期でしたね。浜村さんや編集部でもよく遊んでいましたか?

浜村 もちろんプレイしていました。狭い空間だと、身体を動かすゲームプレイって時折迷惑になったり、ちょっと変な風に見えることもあるんですけど、さっきも話したように、もともと変な人たちばかり編集部にいたので(笑)。体感系のゲームが出てきたからといって特別何か変わったという感触はなかったですね。

変わった人たちがやはり多い編集部でした?

浜村 また脱線しちゃって申し訳ないけど、“ジュースじゃんけん”というのがあって、シンプルに負けた人が全員にジュースを奢るゲームを編集部でするわけ。それで、なぜか当時、いちばん高いところに立った人がじゃんけんに勝てるというジンクスが生まれて。椅子の上に乗るわ、机の上に乗るわ、机の上の本棚にまで乗ろうとしたり。そんなバカなことを日々やっていましたからね。

楽しそうですけど、変わってますね、やはり(笑)

浜村 そういえば、カエル大宮くんと風のように永田くんが机の上に乗って接戦したんだった。あいこが5連続ぐらい続く白熱したジュースじゃんけん。あまりにも騒ぎすぎて隣の編集部からクレームが来るくらい。もうほとんど無法地帯だったよね。しかもそれを僕が許容しちゃってた。

そういうことになりますよね。

浜村 いろいろなことを許してきましたよ。大宮くんを筆頭に、スタッフが記事をおもしろく膨らませるために、小道具だとか、モデルだとか、スタジオレンタルまでして制作費をつぎ込んでいましたから(笑)。でも、ファミ通をおもしろくするために必要だと僕は思っていました。そういえば、『ポケットモンスター 金・銀』(任天堂)が流行ったときに色違いポケモンが出るって言う話が出て。あのとき永田くんが色違いポケモン発見して、どこそこにいるってことが判明した瞬間、僕は速攻で3万円を封筒に入れて彼のところに持っていって、「捕まえてくれたらいまここでこれをあげる」と言い放ってた(笑)

すごいスピード感ですね。

浜村 もう必死すぎて。捕まえられるかどうか気になった編集部の人たちがみんな集まってきて、人だかりができてしまって。そしたら捕まえたんですよ、永田くんが。歓声が上がってみんなで「おめでとう」って。急きょ編集中だったファミ通の台割を2ページ変更して、このときのエピソードを挟むことにしたんです。その永田くんの記事がまた名文でね。

まさにゲームとメディア、遊びと仕事が直結した瞬間に思えます。

浜村 そうですね。ふだんからそういう遊びを忘れずに仕事していたってことですよね。仕事に疲れてっていうのももちろんあるけど、遊び疲れて帰る気力がなくて、編集部の床に寝る人もいるんですよ。時間だけを見たらブラックなんだけど、仕事は終わっているのにまたゲームを遊び始めるんですよね。延々とゲームしてる。楽しいから帰らないっていうのはありましたね。

帰らなかった人ってちなみにどなたですか?

浜村 水ピンは帰らなかったですね。彼は本当に帰りたくなかったんじゃないかな。14日間くらい連続で編集部に泊まっていて。でもあれだよ、あらじ谷塚くんが更新したんだよ、20日間とかで(笑)。まぁ無理もないですよね。編集部にいれば、どんなゲームもあって好きなだけ遊べるわけだから。延々と遊んで朝起きて、それでまた仕事して、仕事が終わるとまた遊びたくなって。

ゲームがおもしろいというのはもちろんですが、編集部の皆さんひとりひとりが、時間や空間を共有しているのも大きかったんじゃないですか?

浜村 みんながそれぞれにゲームを遊ばせよう遊ばせようとしていましたしね。僕たちが楽しく作れば楽しい記事ができると、そういうポリシーがありましたからね。あえて遊ばせていました。

話を戻します(笑) 具体的にWiiなどの体感系タイトルや近年ではVRで遊んだタイトルはありますか?

浜村 Wiiはね、熱中するにはするんだけど身体がさきに疲れちゃうんですよ。なので長くは遊べないんだけど、息子といっしょに『Wii Sports』(任天堂)とかは遊びましたね。僕の好きな野球(ベースボール)もそのなかにありましたからね。

それは、別の言いかたをすると、ゲームを遊ぶ時間をコントロールしやすかったハードとも言えますか?

浜村 コントロールはできていたかなと思いますね。編集部でも散々遊んでいたけど、僕はほら生還組だから(笑)。

ヴァナ・ディールからの生還組ですね(2回目の記事を参照)。一度生還できたら、どんなゲームが来ても生還できるんでしょうか?

浜村 それは人によるんじゃないかなー。どんな性格なのか、どんな風に生きてきたかもかかわってくると思います。初めて好きになった人が最悪の性悪だったみたいなこともありますからね。これまであまりゲームをプレイしてこなかった人が、いきなり『ファイナルファンタジーⅪ』を遊んでしまったことで、急激にハマってしまったり。

Xbox幻のタイトルに期待していた

筆者が平成後期のゲームシーンに話を戻そうとしても、すぐにファミ通編集部の話で盛り上がってしまう浜村氏。ファミ通への思い入れの強さと、編集部員たちと過ごしてきた日々がいかに楽しく充実していたかが伝わってくる。そんな浜村氏がみずから口を開いたのは、思わず絶句してしまう話だった。

浜村 急に思い出して申し訳ないけど、アタリのジャガーの発表会に行ったことがあるんですよ。

たしか平成6年(1994年)ですね。また、平成後期からだいぶ遡ってしまいますが(笑)

浜村 (笑)。発表会の帰りしなになぜかアタリのスタッフが1万円をくれたんですよ。ありがとうございましたって。

ええと……現金のことですよね?

浜村 外資系の会社がよくやるんですよ、車代として。これが日本の文化だって間違った認識を持っているんです。

海外といえばマイクロソフトですが、XBOXの幻のタイトル『トゥルーファンタジーライブオンライン』が思い出されます。

浜村 あれは完成してほしかったなぁ。『ファイナルファンタジーⅪ』のあとに新しいオンラインゲームの構想が発表されて。すごい感触がよかったんですよね。じつは、レベルファイブの名前をそれで初めて知ったくらいで。当時レベルファイブは『ドラゴンクエストⅧ』(スクウェア・エニックス)を作っていたんだけど、後日、日野さんと会ったときはその話をほとんど聞かずに『トゥルーファンタジーライブオンライン』のことばっかり聞いてしまいました。

レベルファイブは平成後期に大きな飛躍をしましたね。

浜村 PlayStation®2が登場したときにゲームの開発費がものすごく上がって、ゲーム会社も淘汰されていったんですけど、PlayStation®2登場以降で新たにベスト10に入ってくるようなメーカーって、ひょっとしたらレベルファイブが筆頭になるんじゃないかなと思います。

これまでと違った意味でプレイヤーが主人公になる時代

残念ながら日の目を見なかったゲームも数多くあったであろう平成のゲームシーンに思いを馳せつつ、ようやく平成後期の話題に戻ってきたところで、昨年(平成30年)の流行語大賞にもノミネートされたあの言葉を浜村氏にぶつけてみた。

eスポーツについても聞かせてください。平成の約30年間を振り返ってみると、eスポーツの競技種目になるタイトルが、日本でずっとリリースされてきましたよね。

浜村 日本は法規制があったりとかで、なかなかeスポーツをメインスポーツとして楽しむっていうのが定着してこなかったですよね。あとはPCゲームがあまり表に出てこなかった。

家庭用ゲーム機に移植されて初めて知るようなタイトルも多かったです。『シムシティ』(マクシス)とか。

浜村 日本人はやっぱりRPGが好きなんですよね。こう言ってしまうと誤解を招くかもしれないけど、任天堂とソニーのゲーム機があったからeスポーツが早期に流行らなかったという面はあるかもしれないんですよね。

それはどういうことでしょう。

浜村 任天堂とソニーが強いということは、家庭用ゲーム機が強いってことなんです。逆に、家庭用ゲーム機が強い国じゃない韓国とかは、もちろん家庭用ゲーム機がなかったわけではないんだけど、ゲームがCDにコピーされまくったりして、日本のクリエイターもみんな撤退してしまった経緯があって。韓国のゲームシーンは一度不毛地帯になっているんです。国としてゲーム的な資源がないから、インターネットを引いてインフラを整えて。それに、受験勉強のためにPCを家庭に置く文化も合わさって、気がついたら子どもたちがPCでゲームをプレイし始めていた。サーバー経由がベースのゲームだと課金もできるから、韓国はゲーム大国になれなかった代わりに、オンラインゲーム大国になれたという背景があるんですよね。だから1990年代後半からすでにeスポーツが盛んだったわけです。PCで接続してのオンライン対戦がメインで、それに合わせてCS放送で24時間ずっとeスポーツの番組が流れていたりもする。だから日本は、韓国に比べると2周遅れくらいなんですね。

何とも痛し痒しと言いますか。とはいえ任天堂やソニーの家庭用ゲーム機の文化がなかったことを想像すると……。

浜村 それはそれで別の形でゲームは広がっていたとは思いますけどね。アメリカやドイツはPCの文化が盛んですけど、日本はお国柄もあって家が狭かったからテレビの前にゲーム機を置く習慣ができましたよね。アメリカやドイツでもテレビの前にゲーム機は置いてあるんだけど、それとは別にPC用の部屋で大人がゲームを遊ぶ文化が脈々とある。日本でスーパーファミコンが流行っていたころ、エレクトロニック・アーツやブリザードといったメーカーがPCでゲームを作っていて、PlayStation®の登場で表現が豊かになってようやくエレクトロニック・アーツが家庭用ゲーム機に入ってきた。それまでは、ゲームは子どもの遊びっていう風に思われていたところがあったんですよ。海外ではPCのゲームを遊ぶ文化が並走していた。日本はどうしても家庭用ゲームだけになっちゃったところがあるんですよね。逆に韓国はPCだけ。それで、まずPCゲームを中心に流行ってきたeスポーツが、日本に入ってくるのが遅れてしまったんだと思います。

『リーグ・オブ・レジェンド』(ライアットゲームズ)などもですね。そんな日本のeスポーツは、見て楽しむ部分が近年強調されてきていると思います。ほかの国とは違った発展の仕方にもつながっているのでしょうか。

浜村 日本でeスポーツが発展することにはふたつの意味があると思っています。ひとつはゲームをプレイしていない人がゲーム産業にお金を落とすこと。野球は野球をプレーする人だけがお金を落とすスポーツだったとしたら、ここまで大きくなっていないですよね。野球もサッカーも実際にはプレーしないけど、選手がかっこいいから見る、という人がいる。そういう人が増えたからメジャースポーツになった。むしろ、プレーしないで見ているだけの人のほうが圧倒的に多い。

たしかにそうですね。

浜村 ゲームは、いまはまだ遊んでいる人が買っているけど、地上波でeスポーツの番組が流れて、ゲームを遊んだことがない人がかっこいい選手のファンになってくれるとか、そういう流れがどんどん広がってきていて、ゲームをやらないけど興行に行ってグッズを買う、なんてことが起こったりしている。これは大きな変化につながっていきますよね。

スポーツ選手のかっこよさの定義も変わるというか、広がってきているように思います。

浜村 もうひとつは、主人公の転換期が起きるということなんです。

主人公……ゲームのですか?

浜村 かつては任天堂のハードが主戦場で、そこからスクウェアのゲームだ、ナムコのゲームだといった“メーカー”の名前が耳に入ってくるようになった。つぎに入ってきたのは坂口博信さん、堀井雄二さんといったゲームを作る“クリエイター”の名前。そのつぎに音楽なら植松伸夫さん、絵師なら副島成記さんと、どんどんゲームシーンに登場する名前が細分化していった。そしてつぎに入ってきているのは、この有名人が実況しているゲームとか、この俳優がレコメンドしておもしろがっているゲーム。いま、ゲームシーンでそんなことが起きているんです。

ユーチューバーだけでなく、タレントさんや俳優さんも配信していますね。

浜村 要するにどういうことかというと、ゲームシーンにおける主人公がメーカーやクリエイターではなく、“プレイヤー”になってきているってことなんです。最初はおもしろいゲームを求めるときの情報としてメーカー名が重要でした。そこから徐々にクリエイターの名前が重要になっていって、音楽やイラスト、キャラクターデザインにも目がいくようになった。そしてついに、プレイヤーが重要視されるようになってきた。ゲームを作った人だけではなく、そのゲームを紹介している人にも注目が集まってきているんです。そういう意味で、プレイヤーが主人公になる時代が来たな、と。その時代の到来をもっとも表しているのがeスポーツだと言えるんです。

そう考えると、プロになれる高い技術を持った人だけが主人公なのではなくて、ゲームを遊ぶすべてのプレイヤーが主人公になってくるわけですね。

浜村 それが日本のeスポーツの発展として大きな要素のひとつだと思いますね。プレイヤーが雑誌の表紙をバンバン飾るような時代が日本にも来るんじゃないかと。ウメハラくんやときどくんのようなプレイヤーたちがね。Ninjaっていうストリーマーがいるんですけど、彼は月収5,000万円を超えているそうです。会社から彼に宣伝費がドカンと入っていて、それでゲームをプレイしているからですね。インフルエンサーとなる実況者は、そこからゲームを買う人に直接つなげていくので、ある意味メディアになっているんですよね。プレイヤーは主人公であり、メディアにもなっていく時代なんです。

浜村氏の選ぶ平成ゲーム3本+α……憎悪で遊んだゲーム

ゲームはいつの時代もプレイヤーが主人公となり、自分の分身としてキャラクターを操作して楽しんできた文化だが、ここにきてリアルなプレイヤー自身が主人公となっていく時代に突入し始めたようだ。VR(仮想現実)などのテクノロジーが進化するのにシンクロして、生身のプレイヤーの主人公性に注目が集まっていくのはじつに興味深い。さて、ここで浜村氏に平成のベストゲーム3本を選んで語っていただいた。

浜村さんが平成のゲームのなかから3本選ぶとしたら、何を選びますか?

浜村 かなり悩むけど…………『モンスターハンター』シリーズ(カプコン)、『ファイナルファンタジーⅪ』(スクウェア・エニックス)、『ファイナルファンタジーⅩⅣ』(スクウェア・エニックス)かな。あと、4本目もいいですか。

どうぞ(笑)

浜村 じつは『怪盗ロワイヤル』(DeNA)にドハマりしたんですよね。

モバイルゲームですよね。

浜村 衝撃を受けたんですよ。ゲームってそれまで遊んで楽しいものだと思っていたんですよね。楽しいから遊ぶんだと思っていた。けど、『怪盗ロワイヤル』の場合は、憎悪で遊んでいたんです。

ぞ、憎悪……ですか!?

浜村 はい、憎悪で。あのゲームって人からモノを盗まれるゲームなんですよ。せっかく貯め込んだ宝石をね。全部コンプリートすると盗まれなくなるんですけど、そうなるとつぎの街に行ってまた盗んで集めるっていうのをくり返すゲームで。だから、中途半端に宝石が揃っていないときって、誰かがそれを盗んでいけるんです。盗まれたくないから防御力を上げるっていう仕組みになっているんですね。

そこに課金をしていくというわけですね。

浜村 ええ、攻撃力も上げて敵の宝石も盗む。それのくり返しなんです。それで、何が憎悪かっていうと、夜中の3時、4時ころに必ず僕の宝石を盗みに来るヤツがいたんですよ。

必ずですか?(笑)

浜村 それで、あまりにも腹が立ったんで、このゲームってプレイヤーのプロフィールをある程度まで探れるので、これは誰だろう、僕は一体誰に盗まれたんだって調べて。それでずっと追いかけていくと、そのプレイヤーのその後のやり取りまで見えてきたんですよ。そしたら、僕の宝石を盗みにきたヤツは、僕から盗んだものを別の人にあげているってことがわかって。それがどうやら女性に貢いでいたらしくって。「何とかちゃん、いつもありがとう」と。「いいよいいよ、いつでも取ってきてやるよ」ってやりとりが僕からも見えるんです。

なんというシステム(笑)

浜村 僕から巻き上げた宝石を、彼は自分の彼女に渡していて。どうやらその怪盗は九州の男らしく、働いている時間が23時から5時とかみたいで水商売をやられているらしいと。僕が寝ているあいだに盗んでいっては、おそらく水商売仲間の女の子に渡しているんじゃないかっていう想像がどんどん膨らんでいって、もんのすごーく頭に来て。「そんなヤツに盗まれたくないっ!」と思って、速攻で5万円課金しました。防具を買って思いっきり防御力を上げたんです。

一同 (笑)

浜村 このゲームは、いまみたいな因縁の相手が見られるんですけど、いつかこいつを抜かして今度は僕が盗んでやろうって。必死になってその九州の男のレベルに追いつこうと頑張ったんです。それでいよいよ盗めるレベルまで上がったところで……このゲーム本当によくできていて、あまりにも因縁のある相手がいるとリアルな怨恨が生まれてしまうから、1ヶ月半経つと自動的に因縁の相手が見えなくなるシステムになってるんですよね。

なんと!

浜村 せっかく九州のヤツだってところまで判明したのにプロフィールが追えなくなってしまって、それでもすごく腹が立って。DeNAの守安功さんと話す機会があったときに、「最高のゲームですね、でもやめちゃったんですよ」って言ったら、「何でですか?」って聞かれて、「因縁の相手が見えなくなっちゃったからです」って答えたら、「それじゃ因縁の相手を3ヶ月見えるようにしましょうか(笑)」って即答されて。でも、「もうやらないです(笑)」って言いました。

対戦格闘ゲームとはまた違った感触のやり合いと言いますか。

浜村 対戦格闘ゲームって相手にやられても、なんていうかリスペクトがあるじゃないですか。そういうのはまったくない。ただのコソ泥だから(笑)。攻撃力すごい上げてコテンパンにしてもぜんぜん平気。むしろ容赦なくいくらでも盗む。

一同 (笑)

浜村 会議とか行ってそのあと帰ってきて『怪盗ロワイヤル』をやると、また誰かに盗まれてるわけですよ。手がワナワナ震えてくる。そうすると、編集部のみんなが「どうしたんですか? どうしたんですか?」って聞いてきて(笑)。ひと言怒りを押し殺して、「なんでもない……」って言うっていう(笑)

平成の終わり、そして訪れた令和時代のゲームシーン

ここまで感情的な浜村氏のインタビューは、かつて経験したことがないかもしれない。それほどまでに氏を熱くさせたゲームとは、やはり魅力的だったに違いない。さて、最後に令和時代に突入したゲームシーンが、どんな展開を見せていくのか。浜村氏の展望をうかがった。

現在のゲームシーンはものすごく洗練されていて、ハイエンドなタイトルやマシンも出てきて整然としているなかで、eスポーツや新しいクリエイターも登場しています。令和になっても、このまま静かに流れていくのでしょうか?

浜村 もうぜんぜん変わると思います、令和になったら。ゲームのプラットフォームのイメージがまったく変わると思います。いまとはまったく違うものになる。これは間違いなくそうなります。

キーワードはなんでしょうか?

浜村 5G(第5世代移動通信システム)とクラウドですね。STADIA(ステイディア)は鉄板になるでしょう。いま人々がYouTubeでゲームを見ていて、おもしろいなって思ったらステイディアのマークをポチっと押せば、その場ですぐにその動画のゲームが遊べるようになる。これほど強いレコメンドはありませんよね。ゲーム配信はこれが当たり前になっていくはずです。

ゲームへのアクセスの手間がほぼゼロになりますね。ほかには何があるでしょう。

浜村 あとブロックチェーンのゲームですね。ゲームを遊ぶために使ったお金が、その対価として別のゲーム内の現金に変わっていく。仮想通貨に変わるんです。そうなると、ユーザーがゲームをプレイすることでお金を稼げるようになっていきます。そうなったときにいままでとまったく違うゲームが生まれてくると思いますよ。ブロックチェーンとクラウド。これはゲームシーンを変えると思います。

クリエイターたちが備えるべきことも変わってくるのでしょうか?

浜村 ブロックチェーンに関しては、仕組みを学んでどういう遊びに組み込めるかっていうのは勉強しなきゃいけないと思います。なので、これに適応できた人は大きな飛躍を遂げるかもしれないですね。クラウドに関しては、これまでのゲームをクラウドで遊べるようになるということなので、むしろクリエイターにとっては効率的でハッピーな時代が来るんじゃないかな。いままでたいへんだった部分をラクにできる。いつでもどこでもゲームが遊べるようになるので。ハードがなくても遊べるわけですから、プレイヤー人口は間違いなく増えると思っていいですよね。

知らぬ間にゲームの世界に飛び込んでいた、という経験も出てきそうです。

浜村 任天堂がこれまで新しい発想で、ゲームをプレイしてこなかった人をどうゲームの世界に招き入れようかとアプローチしてきましたけど、そういうレベルではない革命が起こる可能性がある。競争は激しくなるけど、腕のあるクリエイターは幸せになれるでしょう。別の言いかたをするなら、家庭用のゲームとPCのゲームとスマホのゲームのボーダーがなくなっていくということだと思います。そういう意味でのゲームの異種格闘技戦が、令和で始まるかもしれないですね。

最後に、平成のゲームシーンについてひと言お願いします。

浜村 昭和の最後にファミコンが出て、ファミコンのときって玩具のひとつという認識だったから、ファミコンを遊んでいるときにスーパーファミコンが出るなんて誰も思ってなかったですよね。何ていうか、「すごい流行った玩具があったね」で盛り上がって終わりになると思っていた。ところが、平成になってスーパーファミコンが出て、ゲームは産業になっていきました。モバイルゲームも産業になって、さらにスマホゲームも、その上にはVRやAR(拡張現実)も、そしてこのあとクラウドも産業になっていく。じつは、こんな風にテクノロジーや別の産業が、多重構造的にゲームシーンに重なっていった時代が平成だったんです。だからゲーム業界は基本的に右肩上がりなんですよ。こんな産業ってほかにないんですよね。


今回、浜村氏にインタビューの主旨やテーマを話したところ、とても驚いていたのが印象に残っている。おそらく、平成のゲームシーンはどうだったか、ゲーム業界にとって平成とはどんな時代だったのか、そんな総括を求めるような質問が飛んでくることを身構えていたからであろう。
筆者と編集部が今回、浜村氏の個人的なゲームライフに焦点を当てた理由は、平成の約30年間を1時間半という限られた時間で振り返っても、おそらく表面的な出来事の羅列で終わってしまうのではないかと危惧したのはもちろんだが、中期の冒頭にも少し触れたように、ゲーム業界に精通する浜村氏がどんなゲームに触れ、どんなゲームでどんな出来事に遭遇してきたかを知ることそれ自体が、克明に平成のゲームシーンを描き出してくれると考えたからだった。
そして、浜村通信こと浜村弘一氏はファミ通と一心同体と言っても過言ではないほど、ゲームを愛し、ゲームに関わるすべての人を愛し、そしてゲームの素晴らしさをあらゆる手段を用いて“伝えたくて伝えたくてどうしようもない衝動”に駆られている人物であることがよくわかった。おそらくゲームに憎悪を絡めて、それを楽しさに変換できる人はそうはいないはずだ。これからの令和時代も浜村さんの話に耳を傾け続けていきたいし、そうしたチャンネルをずっと維持していくことが、メディアの役目であるとあらためて痛感する今日この頃である。

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