佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 95

Column

岩根愛が12年にわたって追い続けてきたハワイのボンダンス、その足跡をたどっていて思い浮かべた人と歌

岩根愛が12年にわたって追い続けてきたハワイのボンダンス、その足跡をたどっていて思い浮かべた人と歌

すぐれた作品を発表した新人写真家を対象とする「木村伊兵衛写真賞」の第44回受賞者が、『KIPUKA』(青幻舎 2018)を発表した岩根愛に決定したのは3月中旬のことだった。
ハワイ諸島にある約90の仏教寺院で夏に開催される「ボンダンス(盆踊り)」を軸とした受賞作品は、福島とハワイの今をつないだ初の写真集である。

その作品が生まれるきっかけは打ち捨てられた質素なお墓たちを、荒れた草むらのなかで目にしたことだった。
そこから人と人とのつながりができて、いくつもの発見と貴重なカメラとの出会いがもたらされて、ハワイで生きた日本人移民の苦難の歴史を知ることになった。
こうして岩根愛は2006年から失われたキャンプや墓石、ボンダンスを真剣に追い始めたのだ。

さらにその後に起こったハワイでボンダンスを継承する人たちと、盆踊りを行うコミュニティを失った福島の人たちとの交流を企画し、それを映画化した『盆唄』(中江裕司監督)にこぎつけるまでを、時系列に沿って綴った文章が「キプカヘの旅」として一冊にまとまった。

すでに知っているエピソードもあったが、本人が書いた文章を読みながら関連する写真を見ていくと、とてつもない情報量とメッセージが伝わってくるのがわかった。

途中で何度も本を閉じて目をつむり、いろいろなことを頭のなかで思い浮かべて、文章に触発された問題を考えたりしながら読み進んだ。
それこそは活字を中心にした単行本のいいところで、その特質をとてもよく生かした書籍だとも思った。

そして自分自身の盆踊り体験やご先祖様の記憶をたどったりしながら、数日かけて読み終えた。

いまだに興奮がさめやらぬ映画『盆唄』のシーンを、いくつも思い出したのは当然だった。

それについていえば、ハワイに100年以上も受け継がれている「フクシマ・オンド」をきっかけにして、福島県双葉町の人たちとの交流が始まった背景と、そこで岩根愛が果たした役割がとてもよく理解できた。

そうこうして、後半にさしかかっていくうちに、2000年の1月にハワイ島で永眠した「どんと」のことや、彼と交わした言葉の数々、彼が残してくれた歌を思い出した。
37歳の若さで逝ってしまったにもかかわらず、ぼくは訃報を聞いたときから、彼が表現者としての寿命を全うしたようだと感じていた。

そのことについて自分でも不思議な気がしたのだが、ハワイつながりで「波」という歌を聴いてみたところ、あらためて納得できるところがあった。

波に抱かれて 島の唄を唄へば
ホロホロ涙が こぼれおちる
ここはお国か 波の音もなくて
叫んでみたけど とどかぬ想い
お〜い お〜い お〜い お〜い 波
お〜い お〜い お〜い お〜い また
お〜い お〜い お〜い お〜い 波
こたえておくれ

次に思い出したのは、4月25日に亡くなったばかりの遠藤ミチロウのことだった。
彼もまた2011年に起こった東日本大震災と福島原発の事故を契機に、志を同じくする人たちと一緒に、新しい盆踊り「ええじゃないか音頭」で福島を復活させようとしていた。

さらには半世紀以上も前につくられた中村八大と永六輔コンビによる「モンキー・ボン・ダンス」のことまで思い出してしまった。
これは「遠くへ行きたい」や「上を向いて歩こう」を生み出した、伝説のバラエティ番組『夢であいましょう』で1965年8月の歌としてオンエアされた。
中学系だったぼくはこの歌で初めて、アメリカ合衆国への移民が盆踊りを大切に思っていることと、それを「ボン・ダンス」と呼んでいることを知った。

ところで写真集のタイトルになった「KIPUKA」という言葉について、岩根愛はこんなふうに語っていた。

溶岩流の焼け跡の植物、再生の源となる「新しい命の場所」を意味するハワイ語、この言葉をずっと頼りに、私はハワイと福島への旅を続けた。
日系移民が築いたサトウキビ畑の町はあとかたもなく消え、福島第1原発付近から住人が消えた。消失と喪失の繰り返しの中で生き続ける唄は、生き残った私たちの命の種子のように、ふるさとを離れても再び広がり、黒い大地を森にする。

東京都出身の岩根愛は家庭の事情から中学校はまともに行かず、英会話の勉強とアルバイトだけして、1991年に単身渡米して北カリフォルニアのペトロリアハイスクールに留学した。

そこは1960年代にベイエリアで反戦運動をしていたフラワーチルドレンたちが、パートナーと森に移り住んで子供を持つようになり、自分の子どもたちのためにつくった全校生徒22人の高校だった。
自給自足の暮らしの中で学んだのは、家の建て方、電気の作り方、野菜の育て方、お金をかけずにアメリカ横断する方法などだった。

日本に帰国後はアシスタントを経て1996 年にカメラマンとして独立した。
ぼくが彼女と出会ったのは中江裕司監督の導きで、石垣島の「白百合クラブ」という楽団に出会ったのがきっかけだ。

2002年の秋に『THE BOOM presetns ウチナー・ビスタ・白百合クラブ』と題した東京ライブが行われたが、その模様を中心にしたドキュメンタリー映画『白百合クラブ 東京へ行く』が制作されたとき、スチールカメラマンとして彼女についてもらったのだ。

それ以来、個展の開催などの連絡が来ることで、今も交友が続いている。

『キプカへの旅』(太田出版)刊行記念トークイベント

岩根愛(写真家)×内野加奈子(海の学校代表)
「環太平洋という海の道を語る」

2019年6月2日(日) 19:00~21:00 (18:30開場)
場所 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F
入場料 前売1,500円 + 1 drink order
当日店頭2,000円 + 1 drink order

http://bookandbeer.com/event/20190602b/

岩根愛「キプカへの旅」(太田出版)

5月22日発売
価格 3,000円(税別)
ISBN 978-477831672-3 C0095
四六判上製

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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