【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 129

Column

YMO ライブ盤で示した、テクノという名の新たな演奏技術。

YMO ライブ盤で示した、テクノという名の新たな演奏技術。

YMOの3人は、どのようにしてメイド・イン・ジャパンのテクノ・ミュージックを産み出すことが出来たのだろうか。先々週も参考にさせていただいた『HOSONO BOX 1969-2000』のライナーノーツから、再び細野晴臣の言葉を引用させて頂く。これは『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が出て、ワールド・ツアーに出掛けた頃の回想である。

この頃には、コンピューターに全員がフィットしてくるというか、コンピューターに慣らされていった感じ。ドンカマと一緒に演奏するのが快感と感じるかどうかで、かなりふるい分けがあったんだろうね。

ドンカマというのは、リズム・マシーンのこと。そしてもちろん、3人は“快感を感じる”ことが出来たわけだ。ただ、そこに至るまでには道のりが…。

ジャスト・ビートと戦っていた。ブレイクがあると良くわかる。ジャスト・ビートのブレイクは短いんだよ。それに慣れるのに随分かかったね。その感覚をジャストに合せていったのが80年代という時代だった。すごい鍛錬だったね。だから面白かったよ。

ここに鍛錬という言葉が出てくる。なにやら剣の道を極める、みたいな時に使いそうな言葉だが、つまりはテクノを演奏するには、頭で考える以上に肉体的な習熟が必要だったということだ。

“ジャスト・ビートのブレイクは短い”というのはどういうことだろうか。でもこれ、実践した人間ならではの表現に違いない。おそらく、みんなでせーので演奏すると、息を合わせ、弾みをつける分、タイムラグというかロスというか、それがあるのだろう。しかしマシン相手だと容赦ない。ここで言う“短い”の正体は、それなのでは…。

こうして培われた彼らの演奏技術が、遺憾なく発揮され、世界中の音楽ファンを魅了したのが79年のワールド・ツアーである。その時の模様は、初のライブ盤『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』として残されている。この年の秋のロンドン、ロサンゼルス、ニューヨークでの演奏(さらに凱旋公演の東京での会場の様子)から編集されている。

1曲目の「雷電」(「ライディーン」)の冒頭に、ヴォコーダーによる“グッド イブニング ロンドン”という挨拶が聞かれる。こうした趣向から感じられるのは、お客さんをワクワクさせようという、エンターテインメントの精神だ。

しかし彼らのステージは、観客に媚を売ることはせず、黙々と演奏に打ち込むことを最大のサーヴィスと捉えていた。結果としてそれが、日本人のパブリック・イメージである“寡黙で謙虚”みたいなことにもフィットして、“日本からやってきたグループ”であることを伝えやすくしたかもしれない。

この時のステージには、中心となる3人以外に、マニピュレーターの松武秀樹、ギタリストの渡辺香津美、キーボードの矢野顕子がいた。こうしたメンバーを含めたものが、当時のYMOの“実体”であった。

渡辺香津美と近かったのは坂本龍一で、79年の6月には、渡辺の『KYLYN』というアルバムを共同プロデュースしている。アルバムを引っ提げた同年のライブ盤もあり(『KYLYN LIVE』)、そこでは矢野顕子のボーカルがフィーチャーされた「在広東少年」も聞かれるのだ。なので彼らは、当時、近しい“ファミリー”の間柄だったともいえるだろう。

でも困ったことに、日本コロムビアと契約していた渡辺に関しては、アルファ・レコードから出るYMOのライブ音源への許諾がおりず、彼のギターのパートは削除されることとなるのだ。日本コロムビアとしては、自分のところの人気ギタリストの溌剌たるプレイがフィーチャーされた音源が、他の会社から出るのは困りものだったのだろう。

結局、それを補うため、というか、坂本龍一が新たにシンセサイザーのパートをダビングしたり、高橋幸宏がボーカルをダビングしたりなどして、リリースへと辿り着く。なのでこのライブ盤は、録って出し、ではなく、音楽的な再構築を経たものなのである。

その後、1991年になって、渡辺香津美のギターも炸裂している元のままの音源が、『フェイカー・ホリック』というタイトルでファンに届けられた。当時、さっそく聴いてみたが、やはり渡辺のギタ−の臨機応変・縦横無尽なプレイには特別なものがあり、これはこれで、別の音楽として、優秀な出来映えだった。

そうした経緯があったのだ。ただ、これはあくまで裏話であり、我々が受取ったのは、実質8曲、トラック数としては9曲入りの『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』というアルバムだった。以下、印象深い作品について書かせて頂く。

まずは「東風」。以前も書いた通り、アメリカ盤では「イエロー・マジック(東風)」として、ボーカル入りの別トラックになっていた。彼らを世界に紹介するためにそうしたのだろうし、普通なら、ワールド・ツアーでもこの形でやりそうだけど、そうではない。デビュー・アルバム収録の「東風」を、さらに進化させたものが演奏されている。

オリジナルは生のピアノも印象的だったが、ここではよりコクを増したシンセ・サウンドとなっており、(ぼくの耳には)オ〜ィ!みたいに聞こえる合成音(?)が、定期的に突き上げるようなアクセントを加え、実にライブ栄えするものに仕上がっている。

「COSMIC SURFIN’」もオリジナルと違う。テンポを落とすことで腰が据わり、60’Sのテックスメックス風オルガン・ロックみたいな雰囲気だ。テクノでありつつも汗が飛び散るような鬼気迫る熱演になっている。テクノだからってクールかというと、そうではなく、実に熱い。熱いけど、根っこはジャストなリズムだから、暴走はせず、とめどなく、淀みなく、エネルギーを放出する“音楽の炉”のようなイメージだ。

このアルバムの最後に「BACK IN TOKIO」というのが収録されている。これは演奏ではなく、1979年12月の東京・中野での凱旋公演のオープニング(?)のMC部分であり、電気的に激しく加工されたヨレヨレする音声で、メンバー3人のことを紹介してる。興味深いのは、音声こそヨレヨレだが、言ってることは「それではごゆっくりお楽しみください。イエロー・マジック・オーケストラでございます」と、やけに丁寧な点である。客席からは「キョージュー」(坂本のこと)とか「ホソノー」とか「ユキヒロー」とか、男女のファンの熱い声援も被さっている。そして「ビハイド・ザ・マスク」のイントロが始まって期待感を高めると、そのまま曲は聞かせず思わせぶりに終っている。

文 / 小貫信昭

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