佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 102

Column

細野晴臣が「こんなに素晴らしい写真集がなぜ今まで出なかった?」と語った『LONDON RHAPSODY』

細野晴臣が「こんなに素晴らしい写真集がなぜ今まで出なかった?」と語った『LONDON RHAPSODY』

1970年代から80年代にかけてのロンドンが、いかに独特で面白い音楽とファッションを世界中に発信していたのか、それが一目瞭然で伝わってくる。

トシ矢嶋の『LONDON RHAPSODY』は、今だからこそ注目されてほしい写真集だ。

そのなかには彼自身が体験したことが、文章としてコラムに残されていた。

それが読みものとしてきわめて面白かったのは、さまざまな相手と対等に向き合う表現者としての矢嶋が、いつの時代にもまったく姿勢がぶれていなかったからだろう。

サディスティック・ミカ・バンドを率いてイギリス・ツアーを行った加藤和彦の後押しで、1975年にイギリスに渡った矢嶋は21世紀の初頭までロンドンに住んだ。

そして四半世紀にわたって、さまざまなジャンルのミュージシャンとの交友を持った。

最初は台頭してきたパンクやニューウェイブをはじめ、UKミュージック・シーンに起こった現象をフィルムに収めていった。
さらには雑誌やラジオといったメディアを通じて、最新のロンドン情報を言葉でも日本に発信し続けた。

たとえばトップ画像に使用したセックス・ピストルズの写真が、どのように撮影されたのかについて、矢嶋は取材時に起こったトラブルのことを簡潔な文章にして残している。

プロデューサーのマルコム・マクラーレンが仕掛けていたバンド、セックス・ピストルズのデビュー作「アナーキー・イン・ザ・UK」は、1976年11月26日にシングル盤が発売された。
そこで視聴率の高い生番組にプロモーションとして出演したのはいいが、本番中に”ファッカー”という言葉を連発して批判を浴びたこともあって、ヒットチャートでは38位止まりの結果に終わった。

矢島はそんなピストルズを日本に紹介するために、直にマルコムを通して取材を申し込んでいた。

忘れもしない1977年2月10日。午後2時にメンバーが寝泊まりしているデンマーク・ストリートのフラットに行くようマルコムから指示された。約束の時間にドアをノックしたら、グレン・マトロックが出てきた。取材のことを話したが、”そんなことは聞いてないから帰れ”と言われ、ドアを閉められそうになった。とっさに足を押し込んだらかなり強めに挟まれたので、日本語で、それも大声で”馬鹿野郎!何するんだ”と叫んだ。するとドアを開けたが、残りの3人も出てきて、さらに”帰れ”を連発してくる。そして、ロットンが私にツバをかけたのだ。私は堪忍袋の尾が切れ、ロットンの胸元をつかむと、3人が仲裁に入った。”ジョニーが悪いぞ!謝れ!”と言ったところで私は手を離した。
結局本人が謝ってきたので、仲直りにビールでも飲みながらインタビューすることになった。

こうして矢嶋と大喧嘩した後のセックス・ピストルズが、後世にまで残る写真として記録されたのだ。

そんなリアルな体験に基づいたコラムを読みながら、あらためて写真を見直すと、時間と空間の広がりが一気に浮かび上がってきた。
そこがこの写真集の、ほんとうに素晴らしいところだ。

とにかく文章がいい。

「ジョニー・ロットンにツバをかけられた!」のほかにも、『LONDON RHAPSODY』には激動の時代を切り取った写真とともに、以下のようなコラムが実に冷静な筆致で、淡々と描かれている。

  • ポール・マッカートニーの光と影
  • ジェフ・ベックのホット・ロッドな田園生活
  • ジョニー・ロットンに唾をかけられた!
  • 忘れられない76年のパンク・フェスティバル
  • ザ・クラッシュがあの名盤を生んだ瞬間
  • マイ・ブラザー、ボブ・マーリー
  • ポール・ウェラーのファッション談義
  • オフィスの床に寝ていた”迷い猫たち(Stray Cats)”
  • オジー・オズボーンのビル・ワード髭焼き事件
  • リッチー・ブラックモアのサイキック・リサーチ
  • エリック・クラプトンが真にリラックスした瞬間
  • シャーデーとの甘美なひと時
  • イギー・ポップの雄弁なる日本食トーク
  • ロバート・フリップが放った沈黙の空気
  • イエスで著名な幻想画家、ロジャー・ディーンの仕事場

この写真は今年の秋に13年ぶりの来日ライブ「ヨシュア・トゥリー・ツアー2019」を開催するU2が、まだデビューしたばかりで無名だった頃に、アイルランドからロンドンにやってきたときの写真だという。

まだ初々しさが漂うスナップなのだが、矢嶋はそのキャプションにこんな言葉をそえている。

あどけなさはあったが、ボノの鋭い目が今でも忘れられない。

取材やライブ・ステージを撮影するだけでなく、矢嶋は自宅などのパーソナルな空間へも足を運んでシャッターを切ることを許された、稀有な日本人カメラマンとなっていったのである。

1950年に東京に生まれた矢嶋は中学生の時にビートルズを知り、そこから英国の音楽に魅了された。

そしてライターを兼ねた写真家の道を目指してアルバイトをしていたとき、加藤和彦と偶然に知り合ったことで、ロンドンに渡って人脈を広げながら、数々のミュージシャンと出会っていく。

1980年代にはシャーデーのオフィシャル・フォトグラファーとしても活躍し、それと並行して海外での活動に積極的だったYMOのコーディネイトや、音楽ジャーナリストとしても活動にまで幅を広げた。

そして1992年には小山田圭吾が主宰するトラットリア・レコーズ内に、レーベル“MO’MUSIC”を起ち上げて、アシッド・ジャズ関連作品のプロデュースも手がけている。

また英国のクラブ・シーンで活躍するDJやミュージシャンを招聘したイベントを主催するなど、四半世紀にわたり英国のカルチャーを日本に届けてきた。

なお『LONDON RHAPSODY』の巻末には「本書を見ながら聴いてほしい15枚」という、矢嶋のフェイバリット・アルバムを紹介するコラムがあった。

そこには日本を代表するプロデューサーの村井邦彦が手がけた、2枚のアルバムが取り上げられている。

「英国人も絶賛したグルーヴ感」と名付けられた雪村いづみの『スーパー・ジェネレーション』と、荒井由実のセカンド・アルバム『MISSLIM』だった。

どちらも1974年の作品であり、アレンジと演奏は細野晴臣が率いるキャラメルママである。

その文章の最後になってから不意に、細野のベースに触れた言葉が出てくる。

細野さんのベースは吉田美奈子とやろうが、スリー・ディグリーズとやろうが、テイ・トウワだろうが唯一無二、日本のトップベース奏者だ。

ほんとうに隅から隅にまで思いがこもった『LONDON RHAPSODY』には、矢嶋が持ち続けた音楽文化そのものへの愛が満ちている。

人間のリアリティと歴史の重みが伝わってきて、なんとも幸せになれる一冊なのである。

写真集『LONDON RHAPSODY』オフィシャルサイト
https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3118311001/

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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