【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 134

Column

YMO 「散開」という名の「解散」は、それゆえ10年後の「再生」を生んだ

YMO 「散開」という名の「解散」は、それゆえ10年後の「再生」を生んだ

みなさん、当時の僕の立場になって、想像してみてください。あれは1983年、秋のこと…。長細い事務机を挟んで、目の前に、細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんが着席した。隣りに座るはずだった編集者は、ビビったのか、部屋の隅から動かない。ちなみにここは、四谷にあったラジオ局、「文化放送」のビルの中…。

1983年の10月。YMOは解散を表明した。彼らはそれを「散開」と表現した。この言葉自体、マスコミの注目を集めることとなる。確か自分も、広辞苑かなんかで調べた記憶がある。今回、改めて確認すると、もともとは軍隊用語であり、一箇所に固まるのではなく、各々が散ることで間隔を保ち、その状態のまま任務を遂行していくことが、すなわち「散開」らしい。

話を戻す。僕は緊張しつつ、3人に質問を続けた。答はけして、連射砲のようには返ってこなかった。あくまでぽつり、ぽつり、である。ちなみに細野さんも幸宏さんも坂本さんも、出身は東京である。え、それがなにか関係あるんですか?

当時は様々なアーティストに取材してたが、ほかの地方から一旗揚げようとやってきた方々より、どちらかというと東京の人達は、テンション低めに感じられた。しかしこの場合、ほかの方々が高めなのであり、あくまで3人は、いたって平熱・常温であっただけ、という解釈もできる。最後まで、取材はそんな感じで続いた。

残念ながら、その時の記事が手元にあるわけじゃないのだが、終わり際、ぽつりと細野さんが、幸宏さんにこう話してたのを覚えてる。「何回か取材したら、上手く喋れるようになったね」。幸宏さんは頷いてた。“上手く”とは、もちろん散開に関する説明の仕方のことだろう。インタビューのあと、階段の途中で撮影した。3人とも、あくまで自然な表情で、協力してくれた。

この年の11月から最後の国内ツアーが始まり、12月には最後のアルバム『サーヴィス』がリリースされた。スーパー・エキセントリック・シアターとのコラボ作品で、演奏のトラックとコントのトラックが交互に出てくるという、かつての 『増殖』(80年6月)に似たコンセプトだった。

でも、あれから3年の月日が流れていた。音楽シーンも大きく動いていた。コンピューターが制御したリズムといえば、もちろんテクノの代名詞だったが、例えばYMOが『浮気なぼくら』で使用したリン・ドラムは、あちらこちらのポップやロックでも使い始められていた。活用法は千差万別であったが、“打ち込み”によるサウンドが、一気に広まっていったのだ。

私達の耳は、いつしか“打ち込み”でも生のドラムでも、意識せずに音楽を聴き始めていた。この頃だと、ヒット・チャートを賑わした、フィル・コリンズなどもそんな音の代名詞だった。なので、そういう耳で『サーヴィス』を聴いたし、テクノというお題に関係なく、この3人は「いい曲を作るなぁ」という、実にシンプルな感想を、このアルバムに持ったものだった。

たとえば「以心電信」(作詞は細野 作曲は高橋と坂本)はシングルだが、ここ最近よく使われる言葉でいえば“アンセム”な感じというか、気高さのなか、心地良く心をノックしてくれるポップな作風だ。「世界コミュニケーション年」のキャンペーン・ソングだったが、その役目を重たく考えすぎず、飄々としているのがYMO流である。歌詞には[生まれたままに]自分を愛してみよう、という、人なら当然、心づもりしておくべきことがサラリと歌われている。

「THE MADMEN」は、1982年に世界デビューしたキング・サニー・アデのジュジュ・ミュージックからの影響があるという作品であり、ポリリズム特有の、時間の呪縛から解き放たれるかのような気持ちよさが伝わる(作詞作曲は細野)。曲のタイトルは、パプアニューギニアの儀式の名前から取られたものだそうだ。ステレオの真ん中に響くベースと、左右に飛び散る音のパルスを浴びましょう。

「SHADOWS ON THE GROUND」は、いわゆるシンセのパッド(和音の持続音)がムードを醸し出す、(陳腐な表現だが)夜の高速で車を走らせる時にぴったりなような(敢えて言うなら)アダルト・コンテンポラリーな作風である。これなどは、YMOという屋号と直接関係ないような気がしなくもないが、気持ちいいものは気持ちいいのだ(作詞作曲、高橋・坂本)。

そして「PERSPECTIVE」は坂本作品。“エブィリディ〜”と、思わず一緒に口ずさんでしまうキャッチィな曲。キャッチィなんて書くと安っぽくなるかもしれないが、キャッチィでありつつ、初対面の好印象が、ずっと続いてく耐性を備える。日本人の心の琴線に触れる哀感もある。なお、本作で聞けるスーパー・エキセントリック・シアターのネタは、クスっとしたり、お腹にじわ〜っとくるタイプのユーモアである。

それから時は過ぎ、1993年のことである。突如、YMOの再結成が発表された。かつて解散を「散開」と表現した彼らは、再結成を「再生」と表現し、ホテルでど派手な記者会見を行ったのである。

オープニングは、お棺に入った3人が登場するという奇抜なものだった……、いや、お棺に入っているのに自らの意志で登場することは不可能なので、書き直す。幕が開くと、そこにはお棺に入った3人が安置されていたのである。しかし起き上がった!

そのあと報道陣の居る場所に、「再生」を果たした3人が(確か3人とも手錠で繋がれたと記憶するが)やってきたのである。その際、事前に言われていたのは、彼らに話しかけることは可能です、ということ。つまり、立ち話程度なら、インタビューしていい、ということだったのだ。

この時、僕を10年前とはまた別の緊張感が包み込んだのは言うまでもない。もし、もし、立ち話が叶わず、3人に素通りされてしまったら…。さて、10メートル先の彼らが、徐々に徐々に、こちらに近づいてきたぞ。

見れば、一言、二言で済んでしまっているヒトもいる。あれじゃインタビューとは言えないだろう…。そしてさらに3メートル、1メートル…。3人が近づいてきた。

YMOとしてではなく、それぞれソロとしても取材などさせてもらっていたのもあり、どうやら向こうから見つけてくれて、3人は僕の目の前で足を止めてくれた。ラッキーラッキー。さっそく、なぜ今回「再生」するに至ったのかを訊ねた。幸宏さんだったと思うが、丁寧に説明してくれた。すると細野さんが、「なに真剣に答えてんのよ」と言い、そう言いつつも補足してくれ、坂本さんも純度の高い一言を残してくれた。そして、別のインタビュアーのところへ移っていったのである。

時間にしたら、ほんの数十秒だったろう。しかし(このあと、僕が書く台詞はみなさん想像できると思うが)こんなに長く感じた数十秒もなかったのである。

文 / 小貫信昭

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