Interview

『エルガイム』『Zガンダム』『ドラグナー』…80年代アニソンの美声レジェンド・鮎川麻弥 デビュー秘話と35年の奇蹟を語る

『エルガイム』『Zガンダム』『ドラグナー』…80年代アニソンの美声レジェンド・鮎川麻弥 デビュー秘話と35年の奇蹟を語る

1984年7月にTVアニメ『重戦機エルガイム』の後期OPテーマ「風のノー・リプライ」でデビュー後、35周年を迎えた鮎川麻弥がベストアルバム『鮎川麻弥 35th Anniversary Best ~刻をこえて~』をリリースした。本作の収録曲はファン投票によって決定され、『エルガイム』以外にも『機動戦士Zガンダム』『機甲戦記ドラグナー』の主題歌、あるいは歴代のCMソングなどが集められた。

この機会に、彼女がいかにしてアニソンと出会い、シンガーソングライターとして成長し、今またアニソンファンを楽しませるシンガーとなってきたのかを迫った。彼女の言葉に耳を傾かせつつ、我々を楽しませたスピード感あふれるサンライズロボットアニメに思いを馳せる時間としてほしい。

取材・文 / 清水耕司(セブンデイズウォー) 構成 / 柳 雄大


デビュー秘話~富野由悠季監督との出会い

まずは、鮎川さんが『重戦機エルガイム』(1984年~85年放送、富野由悠季監督によるロボットアニメ)のOPテーマで歌手デビューすることになった経緯を教えていただけますか?

鮎川麻弥 当時、23歳だった私は「神崎マミ」として、バイトしながらですけどアーティスト活動を始めていて、新宿RUIDO(その後、原宿RUIDOを経て、現在の新宿RUIDO K4に)というライブハウスに出ていたんです。その中で、『エルガイム』の主題歌を歌う新人シンガーを探していた(キングレコードの)井口良佐さんとの出会いがありました。シンガーとしてデビューしたい思いが強かったので、願ってもない話だと思って「ぜひ」とお返事させていただきました。

このとき、アニメの主題歌を歌うということについてはどんな思いでしたか。

鮎川 自分で作詞作曲をしていたので、シンガーソングライターになりたいという目標があったんですが、それでいきなりデビューするのは難しいというお話でしたし、今度の楽曲は(作曲を)筒美京平先生に書いていただくのですごくいい作品になるだろうし、絶対チャンスだとも言われました。もちろん私自身、筒美京平先生の楽曲も素晴らしいと思っていたので「歌ってみたい」と思ったんです。

それと、シングルとは別にアルバムのお話がもうあって、私の書いた曲はアルバムに入れるのはどうだろう、というお話もありました。ですので、特にアニメの主題歌ということについて抵抗もなかったですし、むしろ歌わせてもらえるということはすごいことだと思っていました。

富野作品では、主題歌アーティストの方も富野監督との面通しがあるとお聞きしたことがありますが?

鮎川 まさに。そこがすごく重要で、井口さんからも「たぶん大丈夫だと思うんだけど、監督がうん、と言わないとダメなんだよ」とは聞かされました。それで監督のいらっしゃる仕事場へ行きました。サンライズさんは、今よりもっとコンパクトな感じの会社で……覚えていますけど、最初は怖かったですよ(笑)。

(笑)。第一印象は皆さんそうおっしゃいますね。

鮎川 とにかく緊張しました。仕事場に入ったら資料が壁中、上は天井まであるんですよ。NASAとかそういった宇宙の本が。監督は椅子ではなく床に座ってテーブルに向かってお仕事されていたんですけど、ご挨拶したら、「君は、左の顔の方がいいね」って。そのひと言でした。

そのひと言で終わりですか?

鮎川 終わりです、私の記憶にあるのはそれだけです。でも、今でも確かに写真は左から撮ってもらうことが多いんですよ。守っているわけではないんですけど。

今回のアルバムのジャケットもそうですね。

鮎川 お忙しい監督に対面していただき、じっと見られたらヒューンって縮こまっちゃいましたけど、でも帰りにはディレクターさんから「大丈夫だったよ」と聞かされて。今になると、監督にそう言ってもらったことが大きなことだったと思えます。監督が「うん」と言わなかったら私はデビューできていないわけですから。それが(1984年の)2月か3月の春間近で、そこからは早かったです。7月25日がリリース日ですから。

名曲「風のノー・リプライ」ができるまで

そのあと、楽曲をいただいたのでしょうか?

鮎川 今度は、筒美先生にお会いしに行ったんです。六本木にあった筒美先生の事務所にお邪魔して、応接室で待っていたら物腰柔らかくて優しいお顔の筒美先生がいらっしゃって、「君が麻弥ちゃんね。いいの書くから、3、4日待っててね」というふうに言ってくださったんです。だから、「風のノー・リプライ」は『エルガイム』の世界観に私のイメージをプラスして書いてくださった曲なんです。すごい宝物になりました。贅沢なお話ですよね。

曲をいただいたときの印象は覚えていますか?

鮎川 私が最初に聴いたのは、筒美さんがエレクトーンか何かで演奏しているデモテープでした。だから、アレンジもテンポも完成に近い状態で。すごく華やかだし爽やかだし、メロディも大きくてわかりやすく、本当に素晴らしい曲だと思いました。

そのあと、売野雅勇さんの歌詞が届き、レコーディングに進むわけですね。

鮎川 たたみかけるようにいろいろなことが同時進行していました。私が最初に見たレコーディングはイントロの弦を入れているところでした。六本木のソニースタジオで、コントロールルームから窓越しに見ました。大きなスタジオで総勢何十人もの方が揃って弓を動かしているのを見たとき、そこで「この曲を私が歌うんだ!」と感動しました。忘れられない風景です。

歌入れは緊張しましたか?

鮎川 それが、あんまり緊張せず、嬉しくて何も考えないうちにわりとすぐ終わったんです。ヘッドホンをかぶったときの空気感というか、自分の声がリバーブに乗るのを聴いて、私の声がこんな広がるのかと嬉しくなりました。

ではリテイクもあまりなく?

鮎川 あまりなかったです。今自分で聴くと、いっぱいダメ出ししちゃうんですけど(笑)。でもあのときの、何も構えることのない初々しい感じで歌う自分というのは、最初だからこその真っ白さで貴重だとは思います。

そのデビューシングルのB面「傷ついたジェラシー」は富野監督が(ペンネームの井荻麟として)歌詞を書かれました。

鮎川 その制作もほぼ同時進行だったんです。歌詞に「井荻麟」と書いてあったので最初は監督だとわからなかったんですけど、聞かされたときは驚きました。戦士の哀愁を感じるような詞で……富野監督って眼光鋭い方だけど繊細な、ナイーヴな方なのかな、と思えてちょっと安心しました(笑)。

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