佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 106

Column

「世界に届く日本の歌声ってこれじゃないのかな」と思えたのは、朝倉さやが唄うジブリソングを聴いた瞬間だった

「世界に届く日本の歌声ってこれじゃないのかな」と思えたのは、朝倉さやが唄うジブリソングを聴いた瞬間だった

朝倉さやのヴォーカルを初めて聴いたのは、昨年の秋も押し迫った頃のことである。

このシンガーの存在を教えてくれたのは、純烈のリーダー・酒井一圭さんだった。

9月16日と17日に開催される「あいちトリエンナーレ」の音楽イベント『1969年の前川清と藤圭子~昭和を彩るロックとブルース~』で、酒井さんには出演するだけでなく、全体のプロデュースも依頼していた。

そこで電話で打ち合わせしていたときに、ひとりで悩んでいたことを相談してみた。

ぼくにはどうしてもこの企画の中で、若い女性シンガーに唄ってほしい楽曲があった。
しかしそれを唄うにふさわしいイメージの人が、いつまで経っても浮かんでこなかった。

そこで酒井さんに、こんな助けを求めたのだ。

藤圭子さんのデビュー曲「新宿の女」のB面に入っていた知られざる傑作があるんです。ただ、あまりにも歌詞がストレートすぎて、ふつうの演歌歌手には唄えない難しい歌なんですね。なにしろ最後の歌詞が、「♫ 生命ぎりぎり 生命ぎりぎり 燃やして死ぬのさ」というもので、自分をさらけ出さなければならない…。唄うシンガーに特別の歌声と存在感がないと、嘘っぽくなってしまうんです。なかなかそんな人はいないだろうという気がしていたけど、でもこの歌が生まれて50年、そろそろ誰か出てこないかなと思っているんですけど…。

話を聞き終わった酒井さんはほとんど間髪をいれず「朝倉さやさん、知ってますか? 彼女がいいんじゃないかな」と教えてくれた。

その自然な口調のなかにはなんとなく自信が感じられたので、すぐに調べてみることにした。

山形出身で民謡が得意だという若い歌手がデビューしたことは、少し前に話題になったことをかすかに覚えていた。
だがその歌声については、まだ一度も聴いたことがなかった。

電話が終わってからさっそくプロフィールを調べると、このように記してあった。


朝倉さや
1992年6月29日生まれ、山形県出身。
ひいおばあちゃんや、母が民謡が好きだった影響で小学2年生から本格的に民謡を習い始め、小学4年生から三味線も習い始める。民謡日本一に2度輝き、18歳で上京。

自分で作詞・作曲した「東京」というデビュー曲は、実体験にもとづくストレートな歌詞を、ふつうの話し言葉で素直に唄ったところが印象に残った。

そして歌詞を読んでみると、東京を舞台にした「生命ぎりぎり」と実に似たテーマであったことに気づかされて驚いた。

「東京」
作詞・作曲:朝倉さや

見慣れて来た東京の狭い夜空
見上げながら歩く一人帰り道
笑ってるのがつらいです
笑顔が減った気がします
無感情人間になりたくありません
現実受け入れるため今はただがむしゃらです
なんかそれに気付いたら号泣しています
あたし一人でがんばるよ

見慣れて来た東京の狭い夜空
見上げながら歩く一人帰り道
見慣れて来た東京の狭い夜空
泣きながら歩く一人帰り道

山形から上京してきた18歳の朝倉さやが、心細い思いで泣きながら歩いていた姿は、「演歌の星」という設定を与えられて、孤独な夜の蝶の哀しみを唄った藤圭子さんの「生命ぎりぎり」と相通じていたのである。

朝倉さやはようやく見慣れてきた東京で、「♫ あたし一人でがんばるよ」と唄ってデビューを果たした。
そして藤圭子さんも誰も知らない東京に出てきて、「♫ 生命ぎりぎり 生命ぎりぎり 燃やして 死ぬのさ」と唄って、50年前にデビューしていた。

「生命ぎりぎり」
作詞・作曲:石坂まさを

夜に疲れた 恋に疲れた
蝶々が一人
酔って泣いてる花の陰
いいよ いいのさ
私のことなら放っといて
誰も知らない東京で
生命ぎりぎり 生命ぎりぎり
燃やして 死ぬのさ

2曲を聴き比べていて、酒井さんの“千里眼”にも愕然とさせられた。

この歌でデビューしたとき、藤圭子さんは18歳だった。

ぼくはすぐにスタッフに連絡をとって、本人とも一緒に会うことになり、「あいちトリエンナーレ」に出演することを承諾していただいた。

それから半年が過ぎて、彼女の新しいアルバムが8月21日に発売になるというニュースが流れた。

スタジオジブリの主題歌や挿入歌をカヴァーした、『大人になるってわるくない〜わだすのジブリ〜』である。

そのアルバムを聴いて思ったのは、朝倉さやの唯一無二の歌声によって、十分すぎるほど有名な歌の数々に、日本の自然があらためて吹き込まれたことへの感慨だった。

いい楽曲はこうして、後世に歌い継がれていく。

とくに今後への可能性を感じたのは、1986年に公開された『天空の城ラピュタ』の主題歌だった「君をのせて」であった。

歌がア・カペラで始まった瞬間に、喜びと緊張で身体がいくらか硬直しそうになった。

そして「世界に届く日本の歌声って、これじゃないかな」と思えてきた。

ぼくが40数年間にわたって思っていたことが、まもなく「あいちトリエンナーレ」で実現する。

朝倉さやに唄ってもらえことになった「生命ぎりぎり」は、さて、どんな歌になるのだろうか。

それは純烈の酒井さんに相談したから導かれた結果だったし、彼のひらめきのおかげでもあった。
自分が一人で考えていたとしたら、ここまでのつながりと広がりまでは持てなかっただろう。

いかなる大衆をも拒まない歌謡曲は、どんな時代になろうとも、いつだって外に向かって開かれている。

今はどんな歌を聴くことも自由だ。
そこから何をどう感じ取るかも聴いた人の自由である。
そこには聴く人の持つ、音楽のチカラが生じてくる。

「世界に届く歌声って、これじゃないかな」と感じたぼくの思いつきだって、ささいな個人的妄想ではなく、いつの日にか現実のことにならないとも限らない。

人が行動に起こしてみないと何も始まらないのだとすれば、これからも歌と音楽の力を信じて生きていたいと、朝倉さやの歌声で再認識させられた気がしている。

あいちトリエンナーレ2019

2010年より3年ごとに開催されている「あいちトリエンナーレ」は国内最大規模の国際芸術祭。
2019年のトータル・テーマは「情の時代」
純烈Presents 「1969年の前川清と藤圭子〜昭和を彩るロックとブルース」

https://aichitriennale.jp/index.html

朝倉さやの楽曲はこちら

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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