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【追悼】BOOM BOOM SATELLITES・川島道行が貫いた「人生のための音楽」

【追悼】BOOM BOOM SATELLITES・川島道行が貫いた「人生のための音楽」

“逆輸入”という形のブレイクスルーの先鞭をつけたロックユニット

2016年10月9日、世界屈指のロックユニット、BOOM BOOM SATELLITESのボーカル&ギターの川島道行さんが亡くなった。デビュー後に発症した脳腫瘍との闘病の末の逝去だった。ホームページでは音楽的パートナーの中野雅之氏が「ボーカリスト川島道行が旅立ちました。ようやく不自由な身体から解放されて、今頃は世界中を飛び回っているのではないかと想像しています。悲劇ではなく人生のゴールとハッピーエンドを手に入れた瞬間でした」とのコメントを寄せている。おそらく、そのとおりなのだと思う。

BOOM BOOM SATELLITESが結成されたのは1990年。日本での活動の後、1997年にベルギーのR&Sレコーズからデビューして、翌年、ヨーロッパでブレイク。いくつものヨーロッパの大型フェスへの出演を果たしたのだった。

1997年といえば、日本ではGLAYのベスト盤が400万枚を越す売り上げを記録するなど、音楽シーンは空前のCDバブルの真っ最中で、ミリオンセールスが次々に生まれていた。しかし、その一方で、21世紀に向けて新しいインディーズ・シーンが形成されていたことも確かだった。同じく1997年、Hi-STANDARDがシーンに躍り出て、初の主催フェス“AIR JAM97”をスタートさせる。メジャー以外でチャンスを待っていたバンド群が、これを機に活躍を開始したのだった。

そんな頃、BOOM BOOM SATELLITESはまったくベクトルの異なる姿勢でシーンに現われた。ヨーロッパを見すえた音楽や映像作りを行ない、前述のように日本ではなく、ベルギーのR&Sレコーズからデビュー。エレクトロニカのファクターを取り入れながら、ロックのエモーションを前面に出すことに成功。エッジの効いた作品を次々に発表して、全盛だったJ-ROCKに飽き足らない日本のリスナーたちの注目を浴びた。BOOM BOOM SATELLITES は、“逆輸入”という形のブレイクスルーの先鞭をつけたロックユニットという言い方もできるだろう。それはHi-STANDARDたちの動きとも重なって、メジャー以外で未来を見失っていたミュージシャンたちに、勇気を与えることになった。

ジグ・ジグ・スパトニックやジーザス・ジョーンズなどの80年代末のイギリスのバンドたちが開発した、ロックのフォーマットを一度解体して、最先端のテクノロジーやファッションを巻き込んで再構築する手法から始まって、やがてBOOM BOOM SATELLITESは独自の音楽を獲得していく。2004年に3Dライブアニメ映画『APPLE SEED』に「Dive For You」を提供して日本でも広く知られるようになった。

生きるために創作する

しかし、すでにその頃から、川島さんは脳腫瘍と闘っていたのだった。手術を繰り返し受けながら、レコーディングやライブを続ける日々。僕は、その創作意欲はどこからくるのだろうと思っていた。だが、川島さんはインタビューで正反対のことを語っていた。「スタジオで過ごすことが、生きるモチベーション、闘病のモチベーションになっている」、と。創作するために生きるのではなく、生きるために創作する。非常に明快でありながら、自分に置き換えて考えることが難しい言葉だ。そのとき、ふと、僕の頭によぎるものがあった。この夏にインタビューした作詞家&精神科医の北山修さんの言葉だった。

「人生のための歌であって、歌のための人生ではない」。
川島さんが最後まで貫いたのは、この姿勢だったのではないか。だから川島さんを見つめ続けてきた中野氏は、「人生のゴールとハッピーエンドを手に入れた瞬間でした」とすっきりと言い切れたのではないかと思う。“人生のための音楽”が、川島さんを支えてきたのだ。
BOOM BOOM SATELLITESの作品に改めて触れてみると、サウンドもビジュアルも恐ろしく研ぎ澄まされていることに驚く。このテンションの高さが、彼らの作品が古びないことを保証している。僕は個人的には「BROKEN MIRROR」が好きだ。豊かに響くギターサウンドに、川島さんは何を託したのだろうか。

謹んで川島道行さんの御冥福を祈ります。

文 / 平山雄一