vol.3 【KING of R&R】忌野清志郎と光る服

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忌野清志郎のソウルとともに 「くにたちPARADE2016」開催!

忌野清志郎のソウルとともに 「くにたちPARADE2016」開催!

1988年から3年間、忌野清志郎の衣装を手がけたRuu Ruuは、いまアーティスト集団とともに“100%PARADE”をさまざまな街で展開している。
昨年から始まった“くにたちPARADE”は清志郎の“聖地”ともいわれる国立・大学通りで開催。
アート、ファッション、ストリートの自由を求めて、今年は清志郎スタイルの10人が街を闊歩した。

構成・文 / 村崎文香 撮影 / 長小禮子

長く続いた雨が上がり、その日は真夏のような太陽が街に降り注いでいた。

忌野清志郎の衣装アーティスト、Ruu Ruuプロデュースで2007年に始まった100%PARADEが、清志郎のソウル息衝く国立の街に降り立って2年目。 “くにたちPARADE 2016”は、昨年を上回るたくさんのミュージシャン、パフォーマー、ダンサー、まちの人々を集めて、国立駅から南へ真っ直ぐのびる大学通りを色鮮やかな「祭り」で彩った。

ひときわ目を引くのは、Ruu Ruuが清志郎のイメージでスタイリングした10人のモデルたち。大学通りをステージに、200人を超える参加者の中でも際立って、街行く人々を魅了した。

 

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「キヨシロウさん風に仕立てあげる! そんなことが突然閃いて。キヨシロウさん風の衣装に身を包んだ人たちに大学通りを闊歩してもらったら、パレードもさぞかし煌めくだろう。
そのアイデアに乗ってくれたリファッション協会の方にリサイクル衣類を提供してもらって、私の私物、服やショールを組み合わせてみました」とRuu Ruu。

そんなチャレンジに応えるように、神戸から手弁当で駆けつけたメイクアップ・アーティストも、清志郎の大ファン。ファッションショーのステージのように予算も手間もかけられないなか、一人ひとりに渾身のメイクを施し、光のグラデーションを生み出した。

 

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Photo by A.M.

彼らのほとんどは20代。清志郎をリアルタイムに知っている人は少ないだろう、と思いつつ尋ねてみると、意外な返事が帰ってきた。

「もちろん知っています。もう音楽性がどうとか言うより生き方がカッコいい。今日は『清志郎さん風』になれて、すごく光栄です」
「憧れます。あんなに言いたいことをハッキリ言える人はいない」
「印象的だったのは、病気療養後初の復活LIVE。闘病生活の様子が早送りのビデオで流れて、楽屋でメイクする様子からステージに上がる直前までが映って、その後リアルなステージに光が当たって、清志郎さんが身につけていたマントを、バッと脱ぐ、その瞬間——!!R&Rって、なんてカッコいいんだ! 鳥肌が立ちました」
「僕はタイマーズが大好きで。歌も何もかも。あんなカッコいい人、もう二度と出ないんじゃないですか」

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青空と光と風と木をバックにストリートを行く彼らに、色もカタチも自由なパレードの参加者が続く。
アフリカンダンスの子どもたちは、生命力が漲るアフリカ布の衣装に身を包んで。

ミュージカル仕立てのファッションショー“Magical Rainbow”の出演者は、それぞれの役柄の衣装で。
ベリーダンスやフラメンコのダンサーは、衣装も動きもさすがに隙がない。

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パレードのゴールは富士見台団地内にある「たまご広場」。
商店街の一角にある酒店のオーナーも、長年の清志郎ファン。生ビールをふんだんに用意して2回目のパレードを盛り上げる。
「音が聞こえたので来ました! 清志郎さん、大好きなんです!」と声を弾ませる子連れのお母さんや、愛犬と一緒に参加した人も。
衣装や帽子はRuu Ruu から借りた人もいれば自前の人も。
子どもも大人も、誰もがちょっと気持ちを上げて、「非日常」を愉しむ。

Photo by A.M.

Photo by A.M.

地元の商店街やオーガニック・フード、手づくり品のマルシェも盛況で、子どもからシルバー世代まで幅広い層の住民が、いつもと違う「祭り」を愉しんだ。
広場中央のステージでは、和太鼓、アフリカンダンス、ベリーダンス、フラメンコ、ミュージカル、バレエ、詩の朗読、ロック、ヘヴィメタル、ファッションショーなど、多彩な音楽やダンス、パフォーマンスが繰り広げられた。

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くにたちPARADE2016のテーマソングを作曲し、ステージ全体の音響を担当した花ヲさんは言う。
「僕はこの団地で育ったから、凄く感慨深いです。
盆踊りもいいけれど、こういう全く別のかたちの参加型のイベントもあっていいんじゃないかなって思う。清志郎さんはまさに同郷、親しみを感じています。その意味では、ユーミンも浜田省吾さんもそう。
あの頃、むきだしの基地があった。
立川基地の名残がまだこのまちにも残ってた。
そこにあったある種のいかがわしさ。反発と強烈な憧れ、正と邪、光と影、ぐちゃぐちゃの中から生まれたのがロックという文化なんだと思う。

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普通の人とアメリカ人の間に、ちょうどよく悪い大人がいた。そいつらが『盾』になってた。
混沌の中から生まれてくるもの。白黒つけられないもの。光の乱反射。
人と人との関係、文化と文化が単一化すると暴力的な方向に向かう。だからこそ、これからの日本のあり方のヒントが、こういうパレードにあると思っているんです」

100%PARADEの事務局を担うUmiさんは、
「国立というまちは、キヨシロウへの愛に溢れているまちだと再確認しました。1988年、原発のことを歌ったまさにその年にRuu Ruuに出会ったことも、意味があると思う。
コムデギャルソンの川久保玲さんが『ひとは皆が自由であることで強くなる。強い服を着ることによって自由になれる。自分を解き放つ。人と違う意見が持てる。それが自由』と言っていたけれど、好きな服を着て、本当に胸を張って歩くことで、何かが変わると思う。
これから、もっともっと国立のまちにキヨシロウさんのソウルが、私たちの自由な魂が浸透していくようにしていきたい」。

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くにたちPARADE2016のテーマは、「しあわせなお散歩」。
最後にRuu Ruuはこう言った。

「街をにこにこしながら歩くのって、気持ちいい。
いつまでもこうやって歩ける街で、歩ける国であり続けることを願わずにはいられない。
未来永劫、生きとし生けるものが、しあわせなお散歩ができますように」

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衣装アーティスト・Ruu Ruu

京都良福寺に生まれ、藤川延子学園にてファッション・デザインを学ぶ。1975年、東京へ移り、東京ファッション企画デザイナー等を経て独立。1979年インドへ。ヨーロッパ、アフリカを紀行しながら帽子をつくり、1988年東京・千駄ヶ谷にアトリエRuu Ruuをオープン。帽子の他にミュージシャンの衣装を制作。手がけたアーティストは忌野清志郎、ボ・ガンボス、金子マリ、AURA、BUCK-TICK、Kusu Kusu、YOU(フェアチャイルド)、アンジーなど。 1991年6月、ロックの衣装展「光れる服」を東京・恵比寿 Phisyque2Bで開催。1993年、長男の誕生を機に奈良県吉野天川郷に移住。2000年、東京に戻り、2007年より「Song of Cerebration 祝祭の歌〜100% Love&Peace Parade」を始める。

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