総力特集 海を渡ってきたJ-POPシンガー『K』  vol. 5

Interview

【寺岡呼人xK対談】寺岡と盟友・桜井和寿が愛してやまないKの歌と人となり

【寺岡呼人xK対談】寺岡と盟友・桜井和寿が愛してやまないKの歌と人となり

Golden Circle主宰をはじめ、アーティストとして、そして様々なプロデュース活動を展開する寺岡呼人と、本特集でフューチャーしているKとの対談が実現。二人の出会いから、現在までの軌跡を語りあう。

インタビュー / エンタメステーション編集部
構成 / 森朋之


呼人さんがKさんに初めて会ったのはいつごろですか?

寺岡 僕がNHKのBSの番組(「ウエンズデー J-POP」)で月1ぐらいのコメンテーターみたいなことをやっていて。そのゲストに出てくれたのが最初ですね。2006年かな。

K 2006年の12月くらいですね。

寺岡 ちょうど2枚目のアルバム(「Music in My Life」)のときですね。

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それまでにKさんの存在はご存知でした?

寺岡 もちろん名前は知っていて。ただ資料を聴いたときに衝撃を受けたといいますか、すごく良かったんです、そのアルバムが。もちろんゲストの資料は必ず聴くんですけど、Kくんのアルバムはずーっと車でも聴いていて、本人がゲストに来たときもホントに大絶賛したんです。まあ、Kくん覚えてないと思いますけど(笑)。

K (笑)いやいやいや。

寺岡 こう言っちゃなんですけど“本物感”を感じたんです。この人はホントに音楽が好きで、ソウルミュージックが好きでということが、国籍がどうのこうのっていうのを飛び越えて、すごく飛び込んできた。日本人のアーティストでも、そういうことはあまりなかったんですよね。

具体的に言うとKさんのボーカルということですか。

寺岡 声、ボーカル、そこですね。歌が上手い人はいっぱいいるんですけど、例えば“カラオケが上手い=感動する”というわけではないですよね。歌が上手くても、なんとなく右から左に流れてしまうこともあるし。Kくんはそうじゃなくて、ソウル感があったんですよね。

ソウル、パッションみたいなことですよね。実際にKさんと初めて会ったときの印象は?

寺岡 目をまったく合わせてくれなかった(笑)。

K (笑)あのときは、あんまりしゃべれなかったんですよ。ちょうど2枚目のアルバムを出したぐらいだから、あの頃から自分のラジオ番組始まったのかな? そこでも少ししゃべるぐらいだったから、音楽番組でガッツリしゃべるっていう機会はなかなかなかったんです。あと、寺岡呼人さんがジュンスカ(JUN SKY WALKER(S))にいたということも、その番組キッカケで知ったんですね。そこから調べていくと、“あのバンド、このアーティストたちも寺岡さんがプロデュースしていて、ソロでも活動している”ということを知って。だから僕のほうもちょっと緊張してたんです。

すごい人だなと。

K そうですね。その人が、僕のアルバムを分析っていうわけじゃないんですけど、聴いてくれるわけじゃないですか。それに対しての恐縮感はありましたね。

それから約10年の長い付き合いが始まるわけですね。サッカーという共通の趣味もあって。

寺岡 そうですね。そのときに多分、連絡先を交換して。「サッカーやるので」みたいな感じで連絡したのかな。

K そうですね。

寺岡 で、一緒にやったんですよね。フルコートだったんですけど、Kくんは全然走れませんでした(笑)。

K 全然走れなかったですよね、あのときは(笑)。

寺岡 だって当時まだ23、4でしょ? メタボっていうわけではないけど(笑)、運動をずっとしてこなかった感じの動きというか。

K 高校を卒業してからほぼ一度も運動をしてなかったんですよ。

寺岡 そういうのはあるよね。運動って慣れだから。

K 高校までガッツリやってて、卒業した途端やらなくなって。「音楽やるのに運動してるのはカッコ悪い」みたいなイメージがあったんですよね。

呼人さんはサッカーうまいんですね。

K 走れてましたもんね。

寺岡 体力はまあまああるんですけどね。単純に体を動かすのが好きって感じなんですけど。

サッカーの話はさておき、音楽的なところでふたりが初めてしっかり組んだのはやはり「Golden Circle」ですよね。

K そうですね。今話した番組で連絡先を交換させてもらって、それからしばらく連絡がなかったんですよ。お互いに人見知りっていうか「飲みに行きましょうね」って話はしたんですけど、実現しなくて。で、その後、Golden Circleに参加させてもらうことになって……呼人さんと会ったのは事前告知の映像でしたよね?

寺岡 そうそう、コメント撮りみたいなね。

K その収録の前の日に、呼人さんから連絡がきたんです。

寺岡 違う違う。収録の日にKくんが連絡くれたんだよ。

K 僕がですか?

寺岡 そうそうそう。「今日はよろしくお願いします」っていう感じで。俺も「キター!」みたいに思ったから(笑)。

K そうか。その日はスタレビさん(スターダスト レビュー)もいらっしゃったんですけど、確か僕、遅刻したんですよね。申し訳ないなと思って連絡したような気がする、今思えば(笑)。

イベントのプロデューサーである呼人さんが、Kさんを初めて抜擢した理由というのは?

寺岡 あのときのGolden Circleは6回目か7回目ぐらいだったのかな? もう知り合いが底をついてたんで(笑)。

K (笑)。

寺岡 嘘です(笑)。スタレビさんとRAG FAIRが、ブラックミュージックじゃないんですけど、ゴスペルみたいな感じでハモったりしているのを見ていて、そこにKくんも混ざって欲しいなと思ったので。

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そのときはピアノも弾いたんですか?

K 僕の楽曲のときは弾いてましたね。あとはスタレビさんと一緒にセッションをやったり、最後にみんなでアカペラをやったり。実はあのイベントがターニングポイントだったんですよ、僕。スタレビの根本要さんとそこで初めてお会いしたわけなんですけど、ずっと悩んでたマイクの持ち方とか声の出し方とかを要さんに質問したんです。その頃、歌い方に悩みがいっぱいあったんですよね、ボーカリストとしての悩みっていうのが。だから、僕にとってはいろいろと教えていただいたイベントでしたね。あれはホントに呼人さんに感謝してますね。

寺岡 僕としても生のKくんの声、ピアノを聞けたのは良かったですね。個人的なことでは、要さんの無茶ぶりで「木蘭の涙」(スターダスト レビュー)という曲を僕のピアノと一緒にふたりでやりたいっていうのがあったんですよ。東京が初日で、次の日が大阪だったんですけど、大阪では手が震えてぜんぜん弾けなくて。めちゃヘコんで「ハア〜」ってなってたら、打ち上げのときにKくんが僕の横に来てくれて、「いやあ、今日のピアノすごいよかったです」って言うんです。「どこが? めちゃ間違えたよー」とかって言ったら「僕、歌を歌ってる人のピアノが大好きなんです」っていうふうに言ってくれて。あのときは「自分が女だったら、今日抱かれてもいい」と思った(笑)。

K (笑)。

寺岡 そういういろんな思い出がありますね。「トワイライト・アヴェニュー」(スターダスト レビュー)を楽器なしのホントのアカペラでやってみたりとか。そのときは修学旅行っぽい感じがあったんですよ。人数も多かったし。

K 確かに。D.W.ニコルズと僕がセッションしたり、あのイベントはちょっと特別でしたよね。一緒にモノを作っていく感じがあるというか、ただ単に自分の曲歌って、宣伝して、最後に1曲セッションして終わるっていうことではないので。

寺岡 東京に帰ってから「もう一回打ち上げしよう」みたいな感じで、Kくんの行きつけの店にみんなで集まって飲んだり。

K 要さんもいらっしゃって。そうやって一緒にストーリーを作っていく感じがすごく魅力的でしたよね。

Kさんにとっては、呼人さんがいい音楽パートナーになったっていうことですよね。

K ホントに。最初はテレビがキッカケだったんですけど…。

寺岡 そこからここまでつながりが続くって、珍しいと思うんで。

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日本武道館(2016年7月に開催された「Golden Circle 第20回記念スペシャル~僕と桜井和寿のメロディ~」)を見させていただいて。あのときもKさんがいろいろな役割を担ってましたよね。ピアノのサポートもしたし、ソロで歌うコーナーもあって。あのイベントの中でのKさんの位置っていうのは、どういう感じだったんですか?

寺岡 僕以上に、桜井が「Kくんの歌をもっと聞きたい」とか「Kくんにもっとこういうことをやってほしい」みたいな感じだったんです。タイトルが「僕と桜井和寿のメロディー」だったから「このタイトルでKくんのパートを増やすのもどうなのかな?」って気を使ってたんですけど、リハーサルで桜井が「Kくん、ここから半分歌ってもらってもいい?」みたいな感じでリクエストを出して、どんどんKくんの役割が増えていったんです。桜井のKくんへの愛情というか、そこで“Golden Ciecle感”がすごく出来上がったのかなと思いますね、結果的には。

Kさんは自分の仕事がどんどん増えてったわけですが、それは嬉しいことでした?

K 嬉しいですよね。やらなきゃいけない分量が増えることに関してはプレッシャーもあるんですけど、それもチャンスだと思っていたというか。あと、Golden Circleというイベント自体――スタレビさんと一緒にやったときもそうだったんですけど――自分のパートが増えても、逆に削られたしても、イヤな感じがぜんぜんしないんですよね。一緒にひとつのモノを作ってる空気感がすごく好きだし、イベントがいい色になるんだったら、何でもやりたいなっていう感じはありましたね。ゲスト・キーボーディストなんだから、本来は「このコーラスのパート、こうしてみていいですか?」とか「この楽器を使ってみていいですか?」みたいな提案はしなくてもいいのかもしれないんですけど、やってるうちに僕も欲が出てきて。「ここの楽器、こうやってもいいですか」というボイスメッセを呼人さんに送ったり、リハの音源を聞いて、コーラスをちょっと直したりもしていて。僕が提案したものもあるし、もちろん他のメンバーが提案するものもたくさんあって、すごくバンド感があったような気がします。

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桜井さんと一緒にステージに立ったことも含めて、得られることは多かったのでは?

K これは武道館のひとつ前のGolden Circleの話に戻るんですけど、呼人さんが僕をゲスト・キーボーディストとして呼んでくれた意味を、ステージに立って初めて感じたんですよ。ずっとフロントマンとしてやってきたから、他の人をサポートするっていう経験はあんまりなかったんですよね。でも、桜井さんだったり、その前の小田和正さんもそうですが、(ゲスト・キーボーディストとして参加することで)自分が聞いてきた音楽、好きなアーティストを尊敬する感覚を取り戻せたような気がして。

ソロのときとはまったく違う楽しさがわかってきた?

K そうですね。人をサポートする喜びというか。

それはすごくいい体験ですよね。呼人さんは、約10年間Kさんを見てきて、その成長ぶりみたいなものはどう思われます? 演奏力、歌唱力、人間力、いろんなものがあると思うんですけど。

寺岡 最初に出会ったときから、スタイルは完成されてたんじゃないかなって気がするんですよね。たとえばライブでの度胸だったり、「ここで強く、ここで押して歌ったらもっと人が感動する」というようなことは、10年の間に積み上げてきたものもあると思うんですけど。でも、23~24才のときから、この感じで出来上がってたなという印象はありますね。

K 僕自身は変わろうとしていろいろ試してはいるんですけどね(笑)。ただ、変わらずにいる、キープするのもすごく難しいんです。そのために常に進化していかなきゃいけないのかもしれないですね。キープするために進化していくというか。

吹奏楽を学んだこともそうですよね。

K そう、軍楽隊で。あれは結構、勉強にはなりましたね。音の積み方とか、いろいろ。

次回:【寺岡呼人xK対談】自然体で行き当たりばったりのプロデユーサー論

 

寺岡呼人

自身のアーティスト活動と並行してプロデュース活動を行い、ゆず、矢野まき、ミドリカワ書房、植村花菜「トイレの神様」、グッドモーニングアメリカ、八代亜紀など多彩に手掛ける。 また、自身を中心とした3世代が集うライブイベント『ゴールデンサークル』を2001年に立ち上げ、松任谷由実、小田和正、仲井戸麗市、桜井和寿、奥田民生、斉藤和義、backnumberなど多くのアーティストが参加。 現在、再結成を果たしたJUN SKY WALKER(S)ベーシストとしても活動中。

K

韓国・ソウル出身のJ-POPシンガーソングライター。2005年3月TBS ドラマ「H2」の主題歌『over…』でデビュー。同年 11 月CXドラマ「1リットルの涙」の主題歌『Only Human』が大ヒット。その後リリースした1st アルバム『Beyond the Sea』はアルバムチャート最高位 2 位、30 万枚超のヒットを記録。このアルバムでアジアの男性アーティストとしては史上初のアルバムTOP3入りを果たした。2009年、外国籍としては史上初となる全国 47 都道府県を制覇した弾き語りツアー「K style~timeless night~」など、圧倒的なライブパフォーマンスで高い支持を集める。2010年11月30日には自身初となる日本武道館公演を成功させる。2011年1月18日に韓国民の義務である兵役のため入隊。2012年10月20日に陸軍軍楽隊を除隊。2015年には、デビュー10周年記念企画として毎回スペシャルゲストを迎えたアコースティックライブ「“K”olors」を全10公演開催。2016年、3月9日に16th Singleとして『あの雲の向こう側』を発売。カップリングには坂本九の名曲『心の瞳』をカバー収録。
オフィシャルサイトhttp://www.club-k.cc

ライブ情報

K Premium Live 2017

1月5・6日 ビルボードライブ東京
1月8・9日 名古屋ブルーノート
1月13・14日 ビルボードライブ大阪

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