横川良明の演劇コラム「本日は休演日」  vol. 20

Column

才能に焦がれ、他者を羨んだ、青春の終わりの物語。

才能に焦がれ、他者を羨んだ、青春の終わりの物語。
今月の1本:舞台『絢爛とか爛漫とか』

ライター・横川良明がふれた作品の中から、心に残った1本をチョイス。独断と偏見に基づき、作品の魅力を解説するこのコーナー。今月は舞台『絢爛とか爛漫とか』をピックアップ。若手実力派俳優4人が挑んだ、繊細で愛しい会話劇について語ります。


みんな誰かになりたくて、誰にもなれなくて、苦しんでいる

才能って難しい。それを激しく欲する人には与えられなくて、さして要していない人に恵まれていたりする。そんなところは、ちょっと恋に似ている。好きになればなるほど振り向いてもらえなくて、好きな人は他の別の人のことを見ている。だからもどかしくて、だからもっと夢中になる。

『絢爛とか爛漫とか』は、文学に恋をした青年たちの物語だ。舞台は昭和初期。処女作を発表したものの、2作目が書けずに苦しむ古賀(安西慎太郎)、批評家志望のインテリ青年・泉(鈴木勝大)、自称耽美派小説家の加藤(川原一馬)、そして非凡な才能を持ちながらもそれに執着していない諸岡(加治将樹)。若き4人の文士の日常と葛藤が、美しい四季折々の風景と共に描き出されていく。

泉の下手くそなバイオリンに絶句したり、無人島に行ったらこの中の誰と肉体関係を結ぶかで大騒ぎしたり。時代背景は違うけれど、男子同士だからこそのおバカ感は、今と何も変わらない。何でもない1日の、何でもない風景。人はきっとこれを「青春」と呼ぶのだろう。その眩しさは、青春の光そのものだ。

そして、その中で芽を出す嫉妬と羨望。発端となるのは、こじらせ男子の古賀だ。「書けない」という壁の前でもがく古賀は、友人たちが着々と新作を発表するのを横目に悶々とするばかり。中でも、「自分には絶対にこんなもの書けない」と絶望するしかない諸岡の才能の前に、筆を折ることさえ考える。だけど、やめられるはずがない。自分には書くことしかないのだ。書くことを取り上げたら、何が残ると言うのだろう。自分の凡庸さを自覚しながら、それでも書くしかないから苦しいのだ。

古賀はスランプから抜け出すべく、何とか新作を脱稿する。けれど、その出来は既存の作品から骨組みを借りてきたような内容で、とても古賀らしさはうかがえない。こんなものでいいはずがない。それも全部わかっている。けれど、古賀は見えないふりをして目をそらそうとする。

そんな古賀に、諸岡が家業の鉄道会社を継ぐため作家業から足を洗うことを告げる。自分よりもずっと才能に恵まれた諸岡が、あっさりとそれを手放そうとしている。古賀にとっては血を吐いてでもほしいそれは、諸岡にとって人生を賭すものではなかったのだ。その皮肉な現実に、古賀の心は暴れ出しそうになる。

だが、妬んでいたのは古賀だけではない。諸岡もまたずっと執着できるものを見つけられずにいた。だからこそ、脇目も振らずに執着できるものをすでに見つけている古賀のことを心の底で羨んでいた。

みんな、誰かになりたくて、誰にもなれなくて、自分が憎らしくて、でも自分を受け入れていくしかなくて。そんな青春の影が、観客の心に遠いあの日の自分を思い出させる。

4人の個性がマッチした、愛しきチーム男子感

脚本は、「自転車キンクリート」の飯島早苗。初演は1993年。今回上演された「モダンボーイ版」の他に、女性4人を主役とした「モダンガール版」も存在し、どちらもこれまで多くの団体で上演されてきた。そんな良質な戯曲に、飯島と共に「自転車キンクリート」のコアを担い、93年の初演、さらに98年の再演で演出を務めた鈴木裕美が21年ぶりに挑戦した。

昨年の『宝塚BOYS』でも感じたけれど、鈴木裕美はチーム男子の関係性を表現するのが絶妙にうまい。下品になりすぎず、かといって女子目線で消費することもなく、男同士のバカ騒ぎをチャーミングに舞台に乗せてくれる。そこには、役者の持つ個性や魅力に対する、優しく的確な眼差しがあるように思う。

古賀役の安西慎太郎は、舞台『男水!』、舞台『野球』飛行機雲のホームランなど、これまでも多くのチーム男子的作品に出演しているけれど、どちらかと言うとその耽美な面立ちもあって孤高の役割を背負わされることが多かったように思う。それが今回は、妙に口は立つけど中身は子どもの古賀を人間臭さたっぷりに体現。多くの観客が共感し、愛さずにはいられないキャラクターに仕上げていた。

鈴木勝大の知的な雰囲気が泉によくはまっていたし、川原一馬の持つ独特のたおやかさや浮世離れした感じが、『宝塚BOYS』でも今作でも絶妙に活きていた。そして見た目も演技も豪胆な加治将樹が諸岡を演じるからこそ、古賀と諸岡のちょっとねじ曲がった関係がいやらしくなく成立した。少し配分を間違えると、もっと生々しくなりそうなところを、加治の持つさっぱりとした大らかさが効いて、嫉妬で塗りこめられたふたりの関係に、きちんと友情を感じられたのが良かった。

春、夏、秋と4人で過ごした古賀の部屋は、最後の冬で古賀と泉のふたりきりになる。加藤は母が倒れたため実家に帰り、諸岡は海外の鉄道事業を視察すべく留学中だ。そして、泉もまた「自由恋愛」と称していたフジコと身を固めることを決意する。それぞれが、それぞれのやり方で人生の次の一歩を踏み出していた。

そのときに、ふと気づいたのだ。これは、青春の終わりの物語だったのだと。他人を羨み、自分の価値が決まることを恐れ、人生とは何かを常に自問自答していたあの頃――それを「青春」と呼ぶのなら、彼らはこの1年を経て、何者でもない時期に区切りをつけ、「現実」に向かって歩み出した。

大した理由もないのに部屋に集まり、時間も気にせずグダグダと他愛のない話に興じる時間はもうしばらく訪れないのかもしれない。もし久しぶりに顔を揃えたとしても、部屋で安酒を飲むより、もっと洒落た店でうまいものを食べる方が性に合うようになってくる。

だけど、いつかもう少し時間が経ったときに、振り返って思うのだろう。不毛にしか思えなかったあのバカ話が、どんなに輝いて、どんなに尊いひとときだったかを。時に本気で嫉妬し、本気で自己嫌悪に苦しみながらも、4人で過ごしたあの日々はいつまでも胸の中で爛々と瞬き続けるのだ。

舞台『絢爛とか爛漫とか』

8月20日(火)~9月13日(金)@DDD青山クロスシアター
作:飯島早苗
演出:鈴木裕美
出演:安西慎太郎 鈴木勝大 川原一馬 加治将樹

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