Interview

悲しみの中でつかまえていく人生の実り 『この世界の片隅に』片渕須直監督の情熱

悲しみの中でつかまえていく人生の実り 『この世界の片隅に』片渕須直監督の情熱

クラウドファンディングでは目標額を大きく上回る3912万円の制作費を達成。日本映画史上最大のサポーター、協力者を得て完成した『この世界の片隅に』が注目を集めている。
広島を舞台に、昭和19年から21年までの「普通の暮し」を丁寧な日記のように綴った漫画家・こうの史代さんの原作を、宮崎駿氏のもとで経験を積んだ片渕須直監督が映画化した。
広島、呉のまちを隅々まで歩き、人々に尋ね、緻密な調査を重ねて当時の風景と生活を生き生きとスクリーンに蘇らせた監督の手法に、広島県内はもとより多くの「市民」からの感謝と賞賛の声が止まらない。
野草を摘み、玄米を衝き、着物を裁って作業着に仕立て、一日一日を必死で生き延びる主人公・すずを演じるのは、この映画が改名後第1作となる「のん」。
「戦争もの」と思って観てしまうと、いや、観ないともっともったいない、懐の深い作品について、片渕監督に訊いた。

取材・文 / 村崎文香
撮影 / エンタメステーション編集部

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すずさんを描けるのは僕しかいない

何度も涙が溢れました。胸の奥深くに沁み入って、なんとも言えないあたたかさを残す作品でした。こんな作品をつくってくださって、ありがとうございます。

それを皆さん仰るんです。試写会などで、お客様を見送りに出ると、こちらが言う前に「ありがとうございました」と言われてしまって……。面食らっています(笑)。

原作の世界が、全く損なわれることなく立体的に立ち上がり、色彩、音が加わり、いっそう真実味を増しています。原作へのリスペクトと慎ましさに溢れた作品だと思いました。

手がけることになったとき、自分がいちばんの原作のファンになろう、原作の読者になろう、と思いました。原作の意図を損ねないようにしなければ、この原作を扱ってはいけない、と。
実はこの作品を映画化するのには、ためらいがあったんです。というのも、“終生の友”みたいな、一生枕元に置いて読み解いていきたい作品だったから。映画化するには作品の隅っこまで読み解いていかなければならない。それはちょっと大変だからまだ置いておこう……と思っていました。


原作本 「この世界の片隅に」上巻
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著者:こうの史代 (著)
出版社:双葉社

戦中の広島県の軍都、呉を舞台にした家族ドラマ。主人公、すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、新しい世界に戸惑う。しかし、一日一日を確かに健気に生きていく…。


それを、あえて映画化されたのは?

実はうちの企画プロデューサーの丸山正雄が「これは、よそでも企画の手が付いているんじゃないか」とおそろしいことを言うものですから(笑)。
人がやるくらいなら自分がやる。すずさんを描けるのは僕しかいない。その一念でした。
実は後で、すずを演じてもらったのんちゃんも、「私がやりたい!私じゃなければやだ!」という気持ちだと伝えてくれたんです。同じですね。

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そこまで原作に惚れ込まれた理由は何でしょう?

いろいろな入り口があるんですが、アニメーションで生活をきちんと描きたいという想いが強くありました。さらにその後ろに戦争があることで、普通の生活の細部に意味があることが際立ってくると思ったんですね。突き詰めると、物語の中のすずさんという人がとても大事で、その存在を損ねない、というより、“本当にそこにいる人”として掘り出す、そういうことをしたいと思ったんです。

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原作者こうの史代さんは戦時下の人々の暮らしをさまざまな文献から調査。普通の人々の淡々とした生活の細部が丁寧に綴られている。 「この世界の片隅に」下巻より ©こうの史代/双葉社

アニメーションだからこそ

観客もそこに引き込まれます。決してヒーローやヒロインではない、ごく普通の女性というか少女が、18でよく知らない人のもとへ嫁ぎ、慣れない土地、新しい家族のもとで生きることを余儀なくされ、大切なものを戦争で一つ一つ奪われながらも、誠実に一日一日を暮らしていく。その姿に共感し、心配し、気がつけば応援しています。

人の人生ってさまざまなんですね。
僕がアニメーションの世界に入った頃は、まだ子ども向けの作品が多かったから児童文学を一生懸命読んで、この作品を映画にするんだ! なんて思っていました。
その頃、大事にしていたことは、やはり子どもに向けて語るのなら、「あなたにはきちんと未来があって、実現されるのですよ」ということ。それが子どもに向けて何かを語る意味だと思っていました。
だけど、だんだんアニメーション自体に興味を持つ人が増えてきて、子どもというより若い人から大人が観るものになってきた。でも、そうなったときに自己実現を約束してあげられないんですよ。だって、観客の中には既に挫折した人もいるわけですから。
自分自身もそうだったんですね。このアニメーションの世界に入って、こんなこともやりたい、あんなこともやりたい、と思っていたのが全部報われたかというと、五分五分。その中でいかに生きていくか。それを描くのが大事だと思うようになったんです。

監督はそもそもどうしてアニメーションの道を?

母方の祖父が映画館を経営していて、子どもの頃からアニメーションを観ていました。もちろん、子ども向けのもの。その頃は、児童映画というジャンルがはっきりあった。子どものためにつくる映画。大人の社会が見え隠れする中でも、子どもが一生懸命生きている映画。
だから始めの頃は、もっと児童文学的なものをアニメーションの映像に落とし込んでいくことを志していました。
でも、いまは、子どもにそういうものを見せる文化自体が途絶えてしまった。TVで見知ってるとか、大きなブランドになっているスタジオがつくったとか、そういう入り口で観るようになった。
だから、『この世界の片隅に』は、まずは大人に見せて、それからその人が、自分が知っている子どもに見せたいと思ってもらえたらいいなと、そんな気持ちでつくっています。

小学生全員に見せたいと思いました。児童文学というと、私は最近『ゲド戦記』(全6巻)を読み直して、一生に一度は読んでほしい、とくに十代の子どもに読んでほしいと強く思いました。

じゃあ、その話をしましょう。『ゲド戦記』だと2巻がとくに好きです。自分の名前と本来の個性を奪われてしまった少女の話。その代わりに彼女は墓所を護る巫女の地位が約束されている。でも、その地下の迷宮で魔法使いのゲドと出逢い、自分自身を見出されて、共に逃げ出すんです。
その物語がすごく好きで、影響を受けて『アリーテ姫』という作品をつくりました。
本来は王女として、国の政略結婚に利用されるべきお姫様が、自分を見出そうとそこから逃げ出す。けれど、悪い魔法使いによって、いかにも絵に描いたようなお姫様に変えられてしまう。
つまり、魂を抜かれてしまうわけです。その魂を抜かれた人間が、いかに自分の内側から魂を見出して自分で魔法を解くか。そんな物語なんです。地下の迷宮を彷徨うシーンも出てきます。

ゲド戦記では、「名前」も重要なモチーフでしたね。

そうです。『この世界の片隅に』では、「浦野すず」という人間が、ある日突然「北條すず」と名乗れ、と言われる。そんな彼女が、浦野すずに戻るんじゃなくて、北條すずとして自分を見出して生きていく話だと原作を読んだときに理解したんですね。すずは、最初自分は空っぽだと思っている。でも、与えられた場所で必死で生きていくうちに、その中にどんどんたまっていくものがあるんです。


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こわれた腕環 ゲド戦記2

著者:アーシュラ・K.ル=グウィン(作)清水真砂子 (訳)
出版社:岩波書店