Review

『この世界の片隅に』は、私たち一人ひとりの物語

『この世界の片隅に』は、私たち一人ひとりの物語

アニメーションという手法への限りない信頼と挑戦。その物語は、私たち一人ひとりの物語になる。

もしも100年後の子どもたちに残す映画を二つだけ選んでいいと言われたら、私は『風の谷のナウシカ』とこの作品を選ぶ。「戦争もの」だとか、「広島が舞台」だとかを超えて、たった一人の生がこんなにも胸にはり付いて離れない作品を他に知らない。

物語は昭和9年1月(映画では8年12月)から始まる。
母親に風呂敷包みを持たされた、まだ幼さの残る少女が、初めてのまちに一人で海苔を届けにいく。
舟に乗せてくれた船頭さんに、兄の代わりであることを大真面目に伝え、手のひらの十銭玉二つ眺めて、兄や妹に買って帰るおみやげを夢想する少女の顔には、ふんわりと春の草のような笑み。
船頭さんに深々とお辞儀をし、海苔を背負い直して賑やかなまちを歩き始める姿は、けなげで頼りない。
そして、少女は「ばけもん」にさらわれ……。

『夕凪の街 桜の国』が高い評価を得、映画化でも話題になった漫画家・こうの史代さんの代表作を、『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督が映画化した。
この間、原作ではわずか5ページ。映画では1分。その中で主人公・すずのまっさらなひたむきさ、家族関係、物語の背景が過不足なく語られる。

映画では、冒頭にすずの声が入る。

「うちゃあ よう ぼーっとした子じゃあ 言われとって」

演じるのは、のん。監督のたっての希望で、改名後初の主演作となった。
罪のない声質が、広島弁特有の抑揚のあるイントネーションと合わさって、心に吸い付く。
ゆったり流れる川の水面、白サギ、溶けてしまいそうな空の青、白い雲、たんぽぽ、綿毛が画面いっぱいに描かれ、コトリンゴの「悲しくてやりきれない」が重なると、私たちは懐かしく澄み切ったその世界に引き込まれてしまう。

背負いカゴに入れられたすずの目に映るのは、広島県産業奨励館のドーム状の屋根。ここで私たちはこの物語が悲劇的な方向に向かうであろうことを予感する。が、作品のトーンはのほほんと明るい。このかすかな明るさは、物語の通奏低音となる。
カゴの中で年上の学生・周平と出逢ったすずが、機転を利かせて難を逃れるまでが「冬の記憶」と題されて「月刊漫画タウン」に掲載されたのが2006年1月。前奏曲的な短編「大潮の頃」、「波のうさぎ」を挟んで、2007年(平成19年)、軍港のある呉にすずが18で嫁ぐところから「漫画アクション」での本格的な連載が始まった。
平成と昭和、年号は違っても19年から21年までの2年間のすずの生活を、同じ時の流れの中で “日記のように”原作は綴った。

すべて手描きで、スクリーントーンさえも使わない一コマ一コマは、まるでノートの切れ端に鉛筆で描いた絵のようで、描き込まれない「余白」が、読者に心地よい想像の隙間を残す。さらに「戦争中の暮しの記録」(暮しの手帖社)をはじめ膨大な資料を読み込み、当時の道具が保管されている記念館にも足を運んで「暮し」を描ききった原作を映画化するのは、どれほど大変だったことだろう。
モノトーンの絵に、色を、声を、音を重ね、描かれていない背景、動き、シーンを創り出すだけでなく、漫画という表現方法の解体に挑む作家の作品を扱うには、深い思索とイマジネーションが必要だ。さらに監督は、実際に現地を訪ね、まちの隅々を歩き、戦火をくぐり抜けた人々から話を聞き、平成と昭和を地続きにして、この作品を完成させた。

感謝せずにはいられないのは、監督ほかスタッフがそれを“自分の物語”にしなかったことだ。
こうのさんの原作、すずさんという存在に最大のリスペクトを払い、制作過程で協力してくれた一人ひとり、映画を観る一人ひとりのための物語をつくってくれたことだ。

ドラマティックに語ろうと思えばいくらでもできるだろうに、この物語はドラマツルギーの枠から外れて、“なんでもないこと”を、虫眼鏡で見るように綴っていく。爪に火をともす暮しのバカバカしさを笑いながら、哀しみに深く寄り添いながら。

konosekai_sb6_0322

周平とその両親、気位の高い姉・径子、その娘・晴美の世話と家事をしながら、ぼーっとしていた少女は「普通の暮し」を守るために日々闘うことになる。
その闘いにヒーローはいない。勝ち負けもない。いわしの干物4本で家族6人3日分、どうするか。そんな闘いだ。その日々のなかで、すずは少しずつ変わっていく。

平成のいまから眺めれば、当たり前のものがほとんどない、貧しく厳しくみすぼらしい日常の暮し。
でも、そこには、いまはなくしてしまったものたちが煌めいてもいる。
たんぽぽ、すぎな、はこべ、すみれ、たねつけばな……。摘んだ野草とわずかな配給ですずが毎日の食卓を整えるとき、小さな茶の間の風景に憧れさえも抱くのだ。
そこに突然何度も降り注ぐ焼夷弾の雨。
すずと小さな晴美を、義父の円太郎が、周平が自分のからだで庇うとき、死と隣り合わせの日常が、爆音とともにずしりと響く。

konosekai_sb1_0480

戦況はどんどん悪化し、一つ一つ「大切なもの」が毟り取られていく。すずはそれを受け入れるしかない。へらへらと笑いながら。が、物語の後半、受け入れ難い現実がすずを襲う……。
このシーンは、漫画、アニメーション、それぞれの表現方法への挑戦ともいえる大胆さで描かれ、私たちはあっけにとられて立ちすくむ。
そして物語を俯瞰することを忘れて、「断腸」の思いをともに味わい、ともに涙を流す。
けれども、物語はそこで終わらない。それでも人生は続いていくから。

スポットライトなど決して当たらない小さな役に、クラスでも会社でも目立たない大勢の中の一人の生に光を当て、徹底的に“虫の目”で描いていく原作の凄さ。
優しく強靭な一人が描いた一人のための物語は、一人一人の心に響いて、動かし、繋いで、大きなスクリーンの上に立ち上がった。冬の光の透明さ、蜻蛉の羽のような繊細さを、全く損なうことなしに。

広島から呉へ、すずと周作の夫婦と新しい家族の3人で帰る。希望を予感させる美しいラストシーン 「この世界の片隅に」下巻より ©こうの史代/双葉社

ぜひ、映画館で観てほしい。
最後に、監督がいちばん大事にしたという言葉が、コトリンゴさんの歌声とともに優しく降ってくる。
そして観終わったとき、深い余韻とともに気づくだろう。
すずさんを心配し、必死で応援していたようで、実は励まされていたのは「わたし」であったことに。
選ばなかった人生。
選べなかった人生。
どんな人生にも、どんな世界の片隅にも、あたたかい光は降り注いでいて、わたしは、「わたしの物語」を紡いでいけるということに。

文 / 村崎文香

映画『この世界の片隅に』

2016年11月12日公開

konosekai_poster

「長い道」「夕凪の街 桜の国」などで知られる、こうの史代のコミック「この世界の片隅に」をアニメーション映画化。
1944(昭和19)年広島。18歳のすずに突然縁談が持ち上がり、生まれ育った江波から軍港の街・呉に嫁いでくる。見知らぬ土地で、一家を支える主婦となったすずは新しい家族、新しい街に戸惑いながらも健気に毎日の生活を紡いでいく。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。そして、昭和20年の夏がやってくる――。
主人公すずは、本作でアニメ映画初主演を果たす女優・のんが演じている。やさしく、柔らかく、どこか懐かしい親しみを感じさせる声ですずさんに生命を吹き込んだ。

【監督・脚本】片渕須直
【原作】こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社刊)
【企画】丸山正雄
【音楽】コトリンゴ

【声の出演】
のん
細谷佳正 稲葉葉月 尾身美詞
小野大輔 潘めぐみ 岩井七世 牛山茂 新谷真弓/澁谷天外

オフィシャルサイトhttp://konosekai.jp/

©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

原作本「この世界の片隅に」上巻

konosekai_book1

著者:こうの史代 (著)
出版社:双葉社

戦中の広島県の軍都、呉を舞台にした家族ドラマ。主人公、すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、新しい世界に戸惑う。しかし、一日一日を確かに健気に生きていく…。

編集部のおすすめ