佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 119

Column

西城秀樹さんのトーク・イベントを終えて感じたロックへの熱い想いを伝えたい

西城秀樹さんのトーク・イベントを終えて感じたロックへの熱い想いを伝えたい

西城秀樹のアナログレコードを聴いて、彼の音楽をもう一度、日本の音楽史の中において、冷静に評価を考えてみたいと思ったことから、12月1日に世田谷にある下北沢・タウンホール内のイベントスペースにおいて、勉強会のつもりでトーク・イベントを開催した。
イベントそのものは世田谷音楽プロジェクトの支援もあって、無料で開催できたので、告知とともに受付チケットはすぐに定員に達した。

当日は熱心な西城秀樹のファンの方たちが、北は札幌、西は名古屋や大阪からも駆けつけてくれた。

会場にはかつてのファンの方に混じって、西城秀樹さんが昨年の春に亡くなった後になって、彼の歌の魅力に気がついた人もやってきた。

まあ、ぼく自身もつい最近、新たにファンになった1人でもあるわけなので、そうした動きは音楽文化の継承や発展につながるからいい傾向だとも思った。

この日にアナログレコードで一緒に聴いてみたくて準備したのは、1974年に発売された2枚組ライブ・アルバム『西城秀樹リサイタル ヒデキ・愛・絶叫!』である。

アルバムには1973年11月7日に東京郵便貯金ホールにおいて開催された、2回目のコンサートの模様が収録されていた。
オープニングを飾った楽曲は、ジョン・レノンの慈愛に満ちた「ラブ(LOVE)」のカヴァーだった。

その優しい歌声を聴いていたら、芸能界で派手なアイドルとして売り出されていた若者が、実は”ロックの申し子”だったのではないかという思いを強くした。

レコードを聴いていくうちに、なんとも切実な“ロック衝動”が伝わってきたのである。

西城秀樹が生まれたのは1955年だったが、その年は日本に初めてロックンロールが上陸している。

全世界で映画『暴力教室』が公開されて、主題歌の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がヒットしたのだ。
映画では大人社会や教師に反抗する若者のリアルな姿が、効果的な音楽をともなってモノクロで描かれいた。

その頃にアメリカ南部から登場したエルヴィス・プレスリーが、翌年から「ハートブレイク・ホテル」が大ヒットしたことで、世界的にブレイクしていく。

その影響でジョン・レノンやポール・マッカトニー、ミック・ジャガー、キース・リチャーズなど、無数ともいえる世界中の少年たちがロックに目覚めた。

そうした記念すべきロックの時代に生まれ育ったことや、音楽好きの父と兄がいた家庭環境から、日本にも広島で”ロックの申し子”が誕生していたのである。

ぼくがこの日にぜひレコードで聴いてみたかったのは、1979年に出た2枚組のライブ・アルバム『BIG GAME ’79 HIDEKI』に収められていた、キング・クリムゾンの「エピタフ」だった。
これはプログレッシブ・ロックを確立したデビュー・アルバム『クリムゾンキングの宮殿』からのカヴァー曲で、9分近い長い大作だったが、激しい雨と雷鳴が轟く中で決行された後楽園球場でのライブにおけるハイライトになった。
その素晴らしいテイクをレコードの音で、大勢の人と一緒に聴いてみたかったのである。

ライブ録音なのでその前に唄っていたクイーンの曲「ドント・ストップ・ミー・ナウ」の後半から聴いていくと、曲と曲の間にほんものの雨の音が入ってくる。

そのことによって否が応でも臨場感が高まり、気持ちを音楽に集中できた。

一緒に聴いていたお客さんの中には、途中から涙を流している人も見受けられた。
「ああ、こんなふうに昔のレコードでも、人の心を感動させることができるんだなぁ」ということに、ぼくはあらためて気づかされて胸が熱くなった。

それと同時に自分がこの先に為すべき仕事について、これまで以上に真剣に考えねばならないとも思った。

個人的なことになるが、初めて目にしたそのライブ・アルバム「1979」の解説を書いていたのは、ぼくが大学を卒業して就職した音楽専門誌「ミュージックラボ」の編集長で、新入社員の頃に厳しく指導された阿古島たけし氏だったことにも驚かされた。

そのライナーノーツをじっくり読んだ後で、劇的なライブ録音の音源を聴いたことで、瞬間的に時間の隔たりを超えてしまったのは確かだ。

イベントでは自分が体験してきたエピソードや、楽曲の説明などを話したが、西城秀樹のロックに共感できたので、なんとも貴重な体験になったと思う。

クイーンやエルトン・ジョンの伝記映画がつくられて、ドキュメンタリーではなく、エンターテイメントして楽しめる音楽作品がこのところ増えてきている。

そう考えると西城秀樹の世界もまた、いつの日にか連続ドラマや大河ドラマになってほしいと、素直に思えたのだった。なぜならば、それが日本の歴史のひとコマなのであり、ひとつの時代を描けるからである。

ぼくはずっとCDが好きではなく、早くアナログが復活したらいいのにと思っていた。
けれどもそれが現実になることについては、願望に過ぎないと自分でもそれほどまでは信じていなかった。

しかしそう思い続けていて、自分でもその方向に動いていく企画を立てたりしていたら、いつの間にか現実の方が近づいてきた。

これもまた何かの行動を起こさないと夢は実現しないということの、象徴的な出来事のような気がしている。

だからあきらめてはならないのだ。

一人ひとりの愛情とともに、西城秀樹の歌と音楽は今でも生きている。
そこから生まれる力を信じようと思った。

西城秀樹の楽曲はこちら

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
久世光彦のエッセイを舞台化した「マイ・ラスト・ソング」では、構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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