vol.8 ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち

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来日公演が報じられてから一斉に巻き起こったマスコミ狂想曲~どういうわけか沈黙を守り続けた東芝レコード

来日公演が報じられてから一斉に巻き起こったマスコミ狂想曲~どういうわけか沈黙を守り続けた東芝レコード

第1部・第7章

さて、熱心なファンが長く待ち望んでいたビートルズの来日公演は、1966年の6月から7月にかけて実現することになった。その第一報はアメリカのUPI通信を通して3月4日、国内の新聞三大紙に掲載された。これはイギリスの音楽誌「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」が、3月3日に載せた記事が情報源になっていた。内容はブライアン・エプスタインが2日ほど前に、同誌に語ったものだという。 

       

それぞれに「ビートルズ今夏訪日か」(朝日)、「ビートルズ夏に来日か」(毎日)、「ビートルズ、夏に来日の予定」(読売)という見出しになった。日程までは定かでなかったが、信ぴょう性は伝わってきた。ここからビートルズの来日公演は音楽についての話題ではなく、社会問題としてマスコミを賑わせていくことになるのだ。

来日が正式に報じられたのは4月6日、「ビートルズ側が日本公演を正式に行うと発表した」という、ロンドン発AP通信のニュースだった。これも海外からの配信であり、日本では翌日に各紙が報じた。

次に来日に関する報道を大きな記事で掲載したのは毎日新聞で、9日の夕刊には写真入りで「気をもませるビートルズ 六月末にやってくる?」という見出しがあった。こちらは6月末に来日することが濃厚になったと、日程までをほぼ特定していた。

4月14日にも毎日新聞は夕刊で、「ビートルズ六月来日」という見出しの記事を出した。6月28日に来日し、30日と7月1日および2日、東京の日本武道館で3回の公演を行うことが明らかになったのだ。中部日本放送と協同企画の同時共催ということもふくめて、報道された日付と会場は正確なものだった。

ビートルズを招聘することになったプロモーター、協同企画の代表だった永島達司は、4月11日に外貨の枠に余裕がある中部日本放送へ足を運んでいた。主催を依頼する打ち合わせを行うためだった。来日に関して毎日新聞が独占的に報道したのは、中部日本放送が毎日放送系の放送局だった関係で、いち早く交渉内容を知ることが出来たからだろう。

4月20日発売のミュージック・ライフは、「6月30日に決定!ビートルズの来日」と表紙に刷っただけでなく、赤い紙の号外もはさみ込んだ。そこでは「四月一五日 本誌にロンドンからウナ電到着!! 六月二八日に来日繰り上がる!」と伝え、公演会場も「武道館に内定」と書いた。

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正式にビートルズの来日が確定したのは1966年4月27日のことで、読売新聞が「世界最高の人気グループ ザ・ビートルズを招く 6月下旬、東京で演奏会」と、社告という方法で発表したのだ。公演日まで3か月もないというタイミングでの発表だったので、ここからマスコミによる騒ぎが一気に大きくなっていった。

それはビートルズを宣伝する時に海外の若者たちの間で起こった熱狂を、突然変異と打ち出した2年前の東芝レコードの宣伝方法に準じるものとなった。ところがこの時、どういうわけか東芝レコードは沈黙を守っていた。あんなに熱心だった担当ディレクターの高嶋でさえも、あたかも傍観者のように歯切れの悪いコメントを出していたのだ。

どこかおさまりが悪い、なんとなく納得の行かない、そんな発表になった。何かが不自然だという違和感が残ったのは、なぜだったのだろうか。

ウチとしても、再三にわたって来日を交渉したが、ラチがあかず、あきらめていたところです。ただ、マネージャーはひどくムラ気なところのある人だそうですから、来日の意思を語ったということは十分に考えられます。ただ、それだからといって来日が決定したとはいい切れないでしょう。実現すれば、私どもにとってこんなにいいことはありませんが……。
(報知新聞1966年3月5日)

当時はエレキブームが大人たちからの非難に晒されて、非行化の温床として教育委員会を先頭に、全国各地でエレキ禁止令が敷かれていた。エレキギターやジャズの楽器を買わないようにすること、テレビのエレキ番組を見ないようにすることなどが小中学生に指導された。したがってビートルズはもちろん、ビートルズに夢中になるファンたちも、世間的には否定的な存在と受け止められていた。

もともと騒々してよくわからない、大人には理解し難い音楽だったのは確かだ。だから当然の成り行きだとも言える。そんな状況だったから女の子のようなおかっぱ頭で、エレキギターをかき鳴らしながら歌い、髪を振り乱して叫び声をあげるビートルズは、不良を作り出す元凶とみなされても仕方がない。

新聞の社会面や週刊誌にセンセーショナルな扱いで取り上げられた時点で、ビートルズの音楽は大人たちにとって騒ぎの発生源でしかなかった。ビートルズの文化的な背景やその魅力について、大人向きのマスコミは何ひとつ伝えてはくれなかった。

肝心の音楽についての説明や評価がないまま、なにか大変なことが起きるかもしれないという、野次馬的な期待感がマスコミによって増幅されていく。来日が近づくにつれて世間の風当たりは強くなる一方で、マスコミ自体が少しずつ浮足立っていった。

ファンたちによって引き起こされると想定される騒ぎが書き立てられて、それに反感を持つ右翼の抗議が始まったことで、ビートルズに対する警戒感はにわかに高まった。そこからは単に有名人や人気スターがやって来るのとは別の次元で、来日公演で起きるかもしれない不測の事態を防ぐことが真剣に検討され始めた。

やがてその対策については警視庁や法務省が、国家の威信をかけて正面から取り組んだのだ。それは凶悪なテロ対策や、過激派の封じ込め作戦にも通じるほどで、とにかく徹底したものだった。

著述家でビートルズ大学の学長を名乗る宮永正隆は、そのあたりのニュアンスを次のように述べている。

「ワールドカップでフーリガンが上陸」というニュースに「オウム信者急増中」「キレる若者」といったニュースまで合わさったような大変なものだったのだ。その一方で「なぜかイギリスでは女王から勲章までもらっている国賓だから失礼にも扱えん」という、日本の大人社会にとって訳の分からない存在であった。
 仕方なく日本はこういう対応をすることにした。
――英国の珍しいカブトムシが世界巡業で日本にもやってくる。観客が殺到してカブトムシに何かあっては大変、カブト虫のバイ菌で日本人が汚染されても大変。よって滞日中の数日間はカゴから一切出さぬよう厳重警備せよ――

(「究極のビートルズ来日賞味法! ビートルズが日本に与えたもの」)

宮永はこの視座さえ外さなければ、さまざまな狂騒の理由や起こった現象が読み解けるだろうと述べていた。そのアドバイスを参考にして、ぼくはビートルズ来日にまつわるいくつか疑問点を、自分の記憶を手繰り寄せながら分析してみた。そしてこの歴史的なイベントに関わった人たちと、そこで果たした役割や知られざる事実を新たに知ることとなった。

次の章からは日本でのビートルズ来日公演を最初に立案しただけでなく、いくつもの障壁を乗り越えながら3年越しで実現させた人物、東芝レコードの石坂範一郎を中心に話を進めていきたい。

→次回は11月24日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:撮影 / 長谷部宏 提供 / シンコーミュージック・エンターテイメント

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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