Interview

曽我部恵一が語る、15年間の軌跡を刻んだソロ・ベスト・アルバムと今日まで、そして明日から。

曽我部恵一が語る、15年間の軌跡を刻んだソロ・ベスト・アルバムと今日まで、そして明日から。

曽我部恵一がベスト・アルバム『The Best Of Keiichi Sokabe -The Rose Years 2004-2019-』をリリースした。2018年はサニーデイ・サービスとソロで矢継ぎ早にリリースが続いたが、今年は全国各地での弾き語りワンマンライブを中心に行い、初の芝居や映画にも挑戦。その多岐に渡る活動と精力的なリリースでつねに注目を集めてきた人だが、ソロとしてスタートしてすでに18年。自らが主宰するレーベルROSE RECORDSを設立してからの15年に及ぶソロの集大成ともいえるベストは、それぞれに収録内容が異なる配信、CD、アナログ盤の3形態でリリース。年間100本に及ぶライブの現場で歌い続けてきた名曲の数々をあらためて発見できる内容に編まれている。ここでは、曽我部恵一のソロの歩みを振り返りながら、その変遷と彼の自由闊達な姿勢を探るインタビューをお届けしたい。

取材・文 / 佐野郷子 撮影 / 沼田 学


パーソナルな音楽をつくろうとしていたメジャーでのソロ時代。

ソロのベスト『The Best Of Keiichi Sokabe -The Rose Years 2004-2019-』をいま、リリースするのは?

今年でROSE RECORDSを設立して15年になるんで、ここで一度まとめてみようというのと、僕は作品の数が多いので、ライブを初めて観る人はベスト盤を聴いてもらうのがいいのかなと思って、最近の曲も入れてつくろうと思ったんです。

曽我部さんはライブの本数もすごく多いので、初めてライブに接する人も多いわけですね。

そうだと思います。初めて観る人が多い場所になるべく出て行きたいと思っているので。サニーデイ・サービスで動くときはワンマンが多いんだけど、ソロだと単独のライブ以外にも色んな場所で歌うことが多くて、今年も年間で100本を超えたのかな。ソロだとアコギ1本でサニーデイでは行けないところにも行けるし。

曽我部さんのソロのスタートは、2001年に小西康陽さん主宰のレディメイドからのシングル「ギター」から始まりましたが、2000年のサニーデイ・サービス解散後はソロとしてやっていこうと考えていたんですか?

そうですね。新しくバンドをつくろうとは考えていなかったな。最初はソロでマイペースでやっていければいいかなくらいの感じで、一人だと何でも出来るし自由だなとは思っていたけど、メジャーのレーベルは自分にとってはちょっとめんどくさかったかな。

メジャーからは『曽我部恵一』(2002年)と『瞬間と永遠』(2003年)の2枚のアルバムをリリースしましたね。

経験としてはよかったんですよ。あの頃は、ソロになってのんびりパーソナルな音楽をやっていこうとしていて、メジャーに行くタイミングではなかったし、僕自身があまり売る気がなかった気がしますね。選曲会議は絶対やりたくない、プロデューサーはつけたくない、宣伝方法も自分で考えたいとか、色々言ってたし、好き勝手にされたくないという思いが強かった。いま思えば、メジャーに行った時がいちばん生活に密着した個人的な音楽をつくろうとしていた気がしますね。

曽我部恵一 エンタメステーションインタビュー

ソロになってからの反響はどう受けとめていましたか?

反響は特にないですよ。サニーデイから現在に至るまで、大きく売れたことは一度もないし、ずっとひっそり活動している感はありますね。

2004年に自主レーベルROSE RECORDSを設立したのは、自分の作品を自由にリリースできるという理由が大きかった?

有り難いことにメジャーでも契約を更新したいという話はあったんですが、結果が出ていないので、事務所を運営していくためには移籍先を探さなければならなくて、それがとにかくめんどくさくてね。そんなことを考えながら音楽を続けていくのはしんどいので、これは独立するべきだなと。メジャーで勝負していたらどうなっていたか分からないけど、いまはたまたまこういうやり方で、こういう曲をつくって歌っていますという感じなんですよ。レーベルをつくってからは、誰にも頼まれずに自分が好きに勝手にやっている意識はつねにありますね。

手探りで始めた自主レーベルと曽我部恵一BANDの結成。

今回のベストアルバムでいちばん古い曲は、2002年の1stに収録されていた「おとなになんかならないで」のライブ・ヴァージョンですが、ROSE RECORDSからリリースされた最初のソロアルバムはライブ盤『shimokitazawa concert』でしたね。

ライブ盤を出して通販も始めたんですが、注文が来ても在庫がなくて、タワーレコードとかに買いに行ったんですよ(笑)。レーベルを始めたものの、すべてが手探りでしたね。最初がライブ盤だったのも、レコーディング・スタジオに入って制作するお金がなかったからで、先ずはライブ・アルバムを出発点としてレーベルをまわしていこうと。まぁ、そんなに簡単ではなかったですけどね。

ご自身のレーベルでソロ活動を始めて間もなく、2005年に曽我部恵一BANDを結成したのは? 

ライブのためですね。サニーデイの時は、それほどたくさんのライブを経験していなかったので、ライブで体力をつけていかなければと思って、ツアーをまわれるバンドをつくるというのがコンセプトだった。ライブを年間100本できるバンドとなると、いちいち外のミュージシャンにお願いするというわけにはいかないから、バンドとしてやっていくのが理にかなっていると思ったんですよ。

曽我部恵一BANDになって、初期のソロとは音楽性もかなり変わりましたね。

そう。パンク、青春パンク。ちょうどその頃、銀杏BOYZが人気で、ソカバンでも共演したりしていたし、青春パンクの波にのって(笑)、僕もバンドでライブをガンガンやっていましたね。自分は元々パンクバンドから始まったし、パンクは大好きだから、すごく楽しかった。

ただ、サニーデイからの曽我部さんのファンは戸惑った人もいたのでは?

僕のリリカルな部分を好んでいた人は「えっー?」となったと思うんだけど、たまに弾き語りでライブをする程度だと、体力はなかなかつかないじゃないですか? だからガチンコのロックンロールでツアーをまわって自分を鍛えたかったというか。あと、当時、人気のあったアークティック・モンキーズやリバティーンズのようなシンプルなロックバンドの影響もあったかもしれない。

曽我部恵一 エンタメステーションインタビュー

ライブを重ねてゆくことで掴んだ人前で歌う肝と歌手としての自覚。

バンドでライブを精力的に行うようになって、いちばん変わったことは?

あそこである意味、歌をちゃんと歌えるようになった気がしますね。レコーディングではそれなりに歌えていたんだけど、人前で歌を歌う肝を学んだというか。どんなPA装置であろうが、歌詞とメロディーが届かないと意味がないということにおいて歌い方を習得していった。もうひとつは、誰も聞いていない部屋で一人で歌うこと。この二つが自分に備わったのがあの時期だったと思う。以前は人前で歌うことに意識的じゃなかったんですよ。でも、いまの自分は歌手としてやっていると思っています。

それだけライブを重ねながら、アルバムも途切れることなくリリースされている創作欲の源は?

自分が曲をつくりたいと思ったらつくっているだけなんですけどね。多作っちゃあ多作なんでしょうけど、それくらいしかやることがないのかな? なんのかんの言っても音楽マニアなんですよ。

2006年にはソロのライブでもサニーデイ・サービスの曲を歌うようになりましたが、そこに何か意識の変化はあったんですか?

「まあ、いいか。自分の曲だし」というくらいの動機で、理想を言えば、サニーデイの曲もソロの曲もライブでやってもいいと思っているんだけど、サニーデイのライブの時はまだどこか保守的な部分があって、ソロの曲を歌うのはまずいんじゃないかという意識がまだあるんですよ。それがあと、4、5年経ったら、なくなるといいかなとは思ってるんですけど。

バンドとソロを並行しているアーティストには、そこは微妙な線引きがあるんでしょうね。

いまのポール・マッカートニーみたいにそれがなくなって、ビートルズの曲もソロの曲もライブで一緒に歌っちゃうようになれるといいんですけどね。歳をとって、そこがぐちゃっとなるのも面白いかなと。

曽我部恵一 エンタメステーションインタビュー

サニーデイ・サービスを再結成してからのソロとのバランスは?

サニーデイが再び動き始めた頃がいちばん難しかったかな。それを自分で慣らしていくのに時間はかかりましたね。最初の頃は、曽我部恵一BANDの歌の体のまんまサニーデイをやっていたから、裏声も出ないし、優しい歌とか歌えないんですよ。いまは、どっちの曲を歌うのもまったく違和感がなくなったけど、それができるまで10年近くかかったかもしれない。

ライブを重ねることで歌えるようになった?

あとは鍛錬でしょうね。どっちかにシフトしようと思ったこともあるけど、どっちも続けるのが自分だなと思っていまに至ります。

趣味全開でつくった全曲ラップのソロアルバムの『ヘブン』。

昨年の4年ぶりのソロ『ヘブン』は全曲ラップ・アルバムでしたが、それも意表を突かれました。

あれは自分にしかできないアルバムだと思います。サニーデイの「若者たち」もラップの曲だし、実は僕の年頃はヒップホップ世代でもあるんですよ。だから、いちばん趣味全開かもしれない。毎日レコード屋に行って中古盤を買うのが趣味だから、ネタを探してビートをつくって、詩を書くのは楽しくてしょうがないんですよ。ラップはポップ・サイドの人たちからしたら、すごく職人的なイメージがあるかもしれないけど、その人がラップをすることに必然性があるかが問われているんじゃないのかな。自分なりのラップができるまでは長年研究はしましたけどね。

今年はソロのライブ活動が中心でしたが、『ヘブン』をリリースしたことでRHYMESTER主宰の野外フェス「人間交差点2019」にも出演されましたね。

RHYMESTERのMummy-Dさんがアルバムをすごく気に入ってくれたのは嬉しかったですね。ヒップホップの人ってこっちからしたら敷居が高い感じがあるけど、音楽をカッコイイかどうかという観点で捉えるところが新鮮で、リベラルなんですよね。また、数年後にラップ・アルバムをつくれたらと思います。

この秋には曽我部恵一と後藤まりこで、吉田拓郎のカヴァー「結婚しようよ」を発表しましたが、その経緯は?

たまたま後藤さんと一緒にライブで歌う機会があって、それがすごくよかったからレコーディングしたんですよ。そんなに熱心に追っかけてはいないんだけど、吉田拓郎さん、好きなんですよね。

曽我部恵一 エンタメステーションインタビュー

「好きなことを楽しくやって自由であればいい」という哲学。

配信のベストには「結婚しようよ」も入りましたが、今回のベスト盤で15年間の曽我部さんのソロの軌跡を聴き直すと、多彩な表現の中から立ち上がる歌の表情の豊かさが強く残ります。

歌を頑張りたいと思うようになったのはこの10年くらいですね。ソロになってイベントなどでの客演が増えて、忌野清志郎さんのようなそうそうたる歌手の方と同じステージで歌うようになり、これは力をつけないとやっていけないなと感じたことも大きかったのかな。清志郎さんは、音圧が一人だけ全然違うんですよ。声がデカいということもすごく重要なんだなと思ったし、プロレスラーが技だけでなく、強いことが大事なように歌手はこうじゃないと商売にならないんだって分かった。バンドだとバンドで成り立ってしまうから、それに気がつきにくいんですよね。

客演も多い曽我部さんですが、今年だけでも「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」や細野晴臣さんの「細野さんを歌おう!」などのイベントからフラワーカンパニーズや真黒毛ぼっくすまでと幅広く参加されていますね。

僕は、いい意味ですきま産業みたいなところがあるから、この人に頼めばなんとかカタチにしてくれるだろうという期待に応えるのがわりと好きなんですよ。客演に限らず、プロデュースやサントラやCMの仕事も引き受けるし、依頼に対してどうやったらうまく応えられるかはつねに考えているところはありますね。

そこからはアーティスィックというより、プロフェッショナルな姿勢がうかがえますね。

こだわりがなくなってきたんですよ。昔は、こういう仕事は受けない、自分は違うというこだわりがすごく強かったんだけど、そこは随分変わりましたね。いまは基本、来た仕事はほとんど受けることにしています。謙遜でも何でもなく、自分は何者でもない、ということが分かったんでしょうね。それに気がついたことは大きかったかもしれない。好きなことを楽しくやって自由であればいいのかなというのが自分の哲学になってきたんです。ジョン・レノンであれ、パンクであれ、自分が教えてもらったのは、何をやっても「自分は自分であれ」ということだったのかなと。

曽我部恵一 エンタメステーションインタビュー

どうしようもない気持ちや世の中に対して、自分は曲をつくるしかない。

今回のベスト・アルバムは曽我部さんの音楽の入門編としてもふさわしいと思いますが、「汚染水」や「街の冬」のような初心者には強烈なインパクトを与える曲も収録されています。

ここ1週間で、配信でいちばん聴かれたのがなぜか「汚染水」だったのは意外でしたね。発表した当初は原発のこともあって、「今まで好きでしたがもう聴きません」という厳しい反応もあったし、「ふざけんな!」と思った人には「すみません」という気持ちですけど、メタファーとしてはキツい表現だったかもしれないですね。

「街の冬」のような実話を曲にしたことは自分にとっては救いでもあって、どうしようもない気持ちや世の中に対して、自分は曲をつくるしかないんですよ。

2013年のシングル「6月の歌」のカップリングだった「コーヒーとアップルパイ」の収録もうれしい。

アルバムには入っていない曲なんだけど、こうしてベストに入ると、FMなんかで夜かかってもいい感じの曲だし、こういうのもつくれるんですよ(笑)。ベストを編むにあたって、過去のアーカイブを自分で聴き返して選曲したんですが、自分でもあらためて気がついたことは多々あって、いまの気持ちで選んだ曲たちなので、タイミングが違えばまた違う曲になった可能性もあるんですよね。

曽我部恵一 エンタメステーションインタビュー

曽我部さんはずっとセルフ・プロデュースですが、今後は?

プロデューサーを立てることは考えてみたいですね。誰がいいのかなぁ。カヴァー・アルバムはやってみたいんですよ。もしくはアルバム丸ごとカヴァーとか。まだまだやっていないこと、やってみたいことはありますね。

今年は初の芝居『はなればなれたち』や映画『アイムクレイジー』『三つの朝』の出演もあり、役者としてもデビューしましたね。

来た仕事は断らないので、またお呼びがあればやってみたいですけどね。芝居はまだ自分が出来てないので、リベンジしたい気持ちはどこかにあるけど、音楽が好きなんでそっちの人には絶対ならないですけどね。

2020年は、年明けのサニーデイ・サービスのワンマンライブからスタートします。

いま、サニーデイの新しいアルバムをつくっているんですよ。来年はサニーデイを中心に活動しようかと思ったんだけど、ソロも併行してやっていこうと思います。ソロだと小さいカフェとか商店街とかどこかでライブをやっているから、ふらりと観に来てくれたらいいですね。こんな風にやっている歌手もいるんだって知ってもらえれば。

その他の曽我部恵一の作品はこちらへ。

ライブ情報

<サニーデイ・サービス>
2020年

新年スペシャル! – SunnyDay –
1月4日(日) 神奈川・江の島CurryDiner OPPA-LA

遠藤賢司生誕72周年『お~い えんけん!ちゃんとやってるよ!2020』
1月15日(水) 東京・渋谷クラブクアトロ 
出演:カーネーション/岸田繁/サニーデイ・サービス

ARABAKI ROCK FEST.20
4月25日(土)・26日(日) どちらかに出演予定。


<曽我部恵一>
2020年

キイチビール&ザ・ホーリーティッツPresents 「新年会in新FANDANGO!」
1月12日(日)大阪・堺 Live Bar FANDANGO
出演:キイチビール&ザ・ホーリーティッツ/曽我部恵一/台風クラブ

初恋の嵐 西山達郎生誕祭~初恋の嵐カモンアゲイン!~
2月10日(月)大阪・心斎橋 Music Club JANUS
ゲストボーカル:安部コウセイ(HINTO/SPARTA LOCALS)/クボケンジ(メレンゲ)/曽我部恵一(サニーデイ・サービス)ゲストミュージシャン:Gt : 木暮晋也(Hicksville)/玉川裕高/key:高野勲

-ウミネコカレー5周年記念-引き続きよろしくお願いします。
2月17日(月)東京・渋谷 WWW
出演:uminecosounds/Analogfish/imai/summertimeとサイトウ”JxJx”ジュン(YOUR SONG IS GOOD)
朗読:擬態屋(佐内正史/曽我部恵一)

詩情の人 – 小林勝行+曽我部恵一+鬼 –
2月27日(木)東京・渋谷 WWW
出演:小林勝行/曽我部恵一/鬼 (withピンゾロ)
*全編ラップのヒップホップアルバム『ヘブン』の完全再現セットを本邦初公開予定。

神奈川近代文学館『没後50年 獅子文六展』記念イベント
トークとライブ「発見・昭和の大衆モダン文学――獅子文六という作家を知っていますか?」

2月29日(土) 神奈川・神奈川近代文学館2階ホール
弾き語りライブ:曽我部恵一

春の湾家族 湯浅湾『脈』&『港』アナログ盤発売記念ライブ
3月7日(土)東京・代官山 晴れたら空に豆まいて
出演:湯浅湾 / 抱擁家族

曽我部恵一

1971年生まれ。香川県出身。’90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。’70年代の日本のフォーク/ロックを’90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。2004年、自主レーベルROSERECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。

オフィシャルサイト
http://www.sokabekeiichi.com/

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