ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 17

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華々しいスタートで順風満帆に見えていた新会社~創立1周年のタイミングで大ヒットした「上を向いて歩こう」~

華々しいスタートで順風満帆に見えていた新会社~創立1周年のタイミングで大ヒットした「上を向いて歩こう」~

第2部・第16章

「黒い花びら」の大ヒットとレコード大賞の受賞は、東芝レコードにとって思わぬ大きなプレゼントになった。フリーの作家がこれまでにない新鮮な歌を誕生させたという事実が、音楽業界の構造を根本から変えていくきっかけにもなったのだ。堅牢強固だった日本独自の専属作家制度は、ここから徐々にほころび始めて、ビートルズの来日を契機に崩壊することになるのだ。

1971年9月30日に発行された『東芝音楽工業株式会社10年史』は、創立10周年を記念して2年もの時間をかけて編纂された社史だ。その責任者は前年の11月をもって、専務取締役を定年で退任した石坂範一郎である。そこには東芝レコードの歩みが記録されただけでなく、レコード産業に新規参入した企業で働いたミュージックマンの歩み、使命、夢、苦悩、喜びが、血の通った言葉で随所に記されていた。

「黒い花びら」のレコード大賞については、こんな一言が添えられていた。範一郎が強い自信を得たことが伝わってくる。

これによってレコード会社独立の機運も熟し、関係者一同は更に強い自信を抱き、待望の輝かしい明日に向かって前進した。
(『東芝音楽工業株式会社10年史』)

社史をよく目を凝らして読み込むと、そこには石坂範一郎個人の年譜にすら思えるほど生々しい箇所があることに気付く。一人のミュージックマンの血と汗と涙の記録が、冷静に綴られた貴重な資料でもあったのだ。エグゼクティブ・プロデューサーとしての石坂が最初に放った大ヒット、それが「黒い花びら」だったこともわかってきた。

ロカビリーブームをきっかけに日本の音楽産業に参入した東芝レコードは、フリーの新しい作家を中心にした邦楽制作と渡辺プロダクションとの提携で活路を見出した。当時はロカビリーという名前で括られたが、拙いながらもエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」や、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ルーラ」などを懸命に歌っていた若い歌手たちは、知らず知らずのうちに海外の音楽と日本語をどう結びつけるのかにチャレンジしていた。

ロックンロール・ナンバーばかりを歌っていたわけではなかったが、若者による大人社会への異議申立てや、既成概念を壊そうというロックンロールの精神は、多少なりとも受け継がれていた。日劇ウエスタン・カーニバルはおよそ3か月おきに開催されて、水原弘、井上ひろし、かまやつひろし、守屋浩、坂本九、森山加代子、ジェリー藤尾と新しいスターが続々と生まれてきた。

その後に続いたアメリカンポップスのカヴァー・ブーム、エレキブーム、GSブーム、フォーク・ブーム、ニューミュージックなどの音楽のムーブメントは、このロカビリー・ブームが原点となったのである。そして東芝レコードは常に新しいムーブメントの先導役を果たしながら、企業として成長していく。そこへ優秀な若い才能も集まってきた。

雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長だった草野昌一が、東芝レコードの立ち上げを準備していた石坂範一郎を訪ねたのは、ちょうど「黒い花びら」がヒットしていた時と重なっている。要件は早稲田大学を卒業する弟、草野浩二の就職依頼だった。その結果、浩二は範一郎との面接だけを済ませ、1960年の4月から契約社員のような立場で、ディレクター見習いとして働き始めた。

タイミングが良かったのは東芝レコードの邦楽制作部門が、徐々に活発になったところだったことだ。レコード大賞に輝いたことで売れ続けていた「黒い花びら」に次いで、1960年の年が明けてまもなく、またしてもマナセプロダクションから新人のヒット曲が誕生する。

新しいレコード会社の船出にふさわしい少女スター、17歳の女性シンガー森山加代子が登場したのだ。6月にヒットしたデビュー曲「月影のナポリ」はイタリアのミーナが歌った「Tintarella di luna」の日本語カヴァーで、原曲はイタリア版のロックンロールだった。続いてはラテンナンバーのカヴァー曲、「メロンの気持ち」がヒットした。 東芝レコードと組んだことで大成功したマナセプロダクションは、ビクターからデビューしていたダニー飯田とパラダイス・キングと、所属ヴォーカリストの坂本九も移籍させている。そして各社の競作となった「ムスターファ」のカヴァー・ヴァージョン、アラビア風のエスニックな「悲しき60才」(作詞・青島幸男)を8月に発売すると、これもまた大ヒットしたのである。

悲しき六十才

これを手がけたのが23歳のディレクター見習い、草野浩二だった。そして珍しいトルコの楽曲を見つけてきて、レコード各社に競作させたのが兄の昌一だった。草野兄弟と東芝レコードとの縁はここから長く続いていくことになる。坂本九はこのとき18歳、「悲しき60才」のヒットで一気にお茶の間の人気者になっていった。

そして東芝音楽工業株式会社が10月1日に発足した時には、ダニー飯田とパラダイス・キングの「ビキニスタイルのお嬢さん」のB面に入っていた、坂本九が歌う「ステキなタイミング」がブレイクして華を添えた。これもまた草野兄弟によるヒット曲で、昌一はここから訳詞家の漣健児となって、カヴァーポップスで一世を風靡することになるのだ。

坂本九は一般家庭に普及し始めたテレビで人気が出て、人なつっこくて屈託のない笑顔が老若男女に支持された。“九ちゃん”のレコードは毎月のように発売されて、出したレコードは次から次へとヒットしていった。しかしそれでも東芝レコードにはまだ足りないものがあった。森山加代子も坂本九も、ヒット曲のほとんどが外国曲のカヴァー・ヴァージョンだった。範一郎が期待したのはオリジナルのヒット曲で、しかも海外でも通用するレベルの作品だった。

範一郎は中村八大という音楽家の並々ならぬ才能に気がついて、1960年の春にエンターテインメントの本場・アメリカをまわる2週間の旅行をプレゼントしている。ロスアンゼルスのキャピトル・レコードを見学し、ラスベガスでナット・キング・コールのショーを見て、コールのために曲を書くように根回しをしていたのだ。それが終わったらニューヨークで、世界のトップクラスのクラシックやジャズに触れられるようなスケジュールを組んだ。

中村八大はそんな石坂の期待に応えて、せっかく海外で見聞を広める機会だからと、渡邊晋などから思い切って150万円もの大金を借りた。そしてニューヨークに2か月以上も滞在することにして、そこからさらにヨーロッパをまわる3ヶ月の遊学に切り換えた。これは公務員の年収にしたら10年分にも相当する大金だった。

そうした前向きの熱意に応えて、石坂はキャピトルを筆頭に関係各社へ、たくさんの紹介状を書いて持たせた。そして東芝の海外支店や営業所のネットワークを使って、中村八大が旅を実りあるものにするために、可能な限りのサポートを行っていた。

「黒い花びら」のディレクターだった松田十四郎と二人で出発した中村八大は、まずロスアンゼルスのキャピトル・レコードを訪ねた。その後ラスベガスを経由して、自分にとっての目的地だったニューヨークに着くと、心ゆくまでアートやエンターテイメントに触れながら、夜中はハーレムでジャムセッションに励んだ。それからフランスに渡ってしばらく過ごして、6月になって帰国したのだった。

それを待っていたかのようにマナセプロダクション社長の曲直瀬正雄からは、森山加代子のために「ヂンヂロゲ」という歌を新曲として仕上げてほしいという仕事が来た。「月影のナポリ」「メロンの気持ち」と、言葉遊びのような歌詞のカヴァー曲が続けてヒットしていたことで、曲直瀬社長は昔どこかで聞いて覚えた“変な歌”、「ヂンヂロゲ」のことを思い出したのだった。

明治時代の末期から演歌師や学生に歌い継がれていた「ヂンヂロゲ」は、インドに由来する「ヒラミルパニヤ」という歌が原型にあったらしい。うろ覚えだった曲直瀬社長から口伝で歌を教わった中村八大は、そこから摩訶不思議でごきげんな歌を誕生させる。それがほとんど意味不明の歌詞からなる「じんじろげ」で、森山加代子の明るくて健康的な歌唱で子どもたちにも歌われて大ヒットした。

じんじろげ

それから半年後、中村八大は1961年7月21日に「第三回中村八大リサイタル」を開いた。そのリサイタルでは、新しい時代のほんとうの日本の歌を目指して、10曲の意欲的なオリジナル曲を発表した。なかでも前評判が高かったのが、若き映画スターの加山雄三が歌うデビュー曲「夜の太陽」だった。ところが流行のドドンパのリズムを取り入れた「夜の太陽」は、まったくの不発に終わってしまう。

意外にもコンサートが終わった後で大好評となったのが、坂本九のために書き下ろしたロック・ビートを活かした「上を向いて歩こう」だった。それを気に入ったNHKテレビのディレクター、末盛憲彦がさっそく8月下旬に音楽バラエティ『夢であいましょう』で坂本九に歌わせたところリクエストが殺到した。

「上を向いて歩こう」は東芝レコードの創立1周年のタイミングで10月新譜として発売になり、期待通りに最大のヒットを記録したのである。

→次回は12月26日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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