特集・ムーンライダーズ デビュー40周年記念スペシャル  vol. 2

Interview

鈴木慶一が語る、ムーンライダーズ誕生の頃【後編】

鈴木慶一が語る、ムーンライダーズ誕生の頃【後編】

2016年にデビュー40周年を迎えたムーンライダーズ。12月には、『火の玉ボーイ~40周年デラックス・エディション』やボックスセット、高橋幸宏、曽我部恵一にスカートなどの若手アーティストが参加したトリビュート盤が続々リリースされ、今なお影響を与え続けている。今年は期間限定で「活動休止の休止」を発表し、東京・新宿LOFTを含む6カ所7公演のツアーを実施。12月15日、中野サンプラザの「moonriders Final Banquet 2016〜最後の響宴」で、「活動休止の休止の休止」となったが、独自の音楽性を貫き、日本のロック・ヒストリーにその名を刻むレジェンドであることは間違いない。
ここでは、ムーンライダーズが誕生した1970年代中頃に焦点を絞り、不朽の名盤『火の玉ボーイ』が生まれ、日本のロックが変革期にさしかかった時代の貴重な話を鈴木慶一氏にたっぷり語ってもらった。

取材・文 / 佐野郷子 撮影 / 柴田和彦


鈴木慶一

アルバム『火の玉ボーイ』に詰め込まれた時代の音

結果的には、「鈴木慶一とムーンライダース」として1976年1月に発売された『火の玉ボーイ』は、ご自身ではどんなアルバムにしようと考えたいたのでしょうか?

モデルとなるようなアルバムが特にあったわけじゃないんだけど、音楽の志向が、はちみつぱいの時とは徐々に変わってきていたのは事実だね。アグネスのツアー中にホテルのロビーで、10ccの「アイム・ノット・イン・ラブ」とクイーンの「キラー・クイーン」がかかっていて、すごく新鮮だなと思ったことをよく覚えているし、そういう新しいUKのロックに興味をひかれつつ、同時にジェフ&マリア・マルダーあたりのアメリカのルーツ・ミュージックも好んでいた頃になるね。その少し前に流行ったグラム・ロックにはそれほど関心はなかったんだけど、『火の玉ボーイ』のジャケットは、デビッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』を見て、なぜか黒豹がいるイメージが思い浮かんでね。それで歌詞に「黒豹彷徨う」と入れたんだ。視覚的には気になっていたんだね。

その頃には慶一さんの服装も劇的に変わり、厚底スニーカーだったりしたんですよね?

そうそう(笑)。恰好が変わってゆくと共に音楽も変化していくのが70年代の特徴でね。70年代も半ばになると『センチメンタル通り』のジャケットのようないかにも中央線的なヒッピー然とした恰好とは随分違ってくるんだよ。細野さんも、バギー・パンツとかスーツを着るようになっていたじゃない? ステージもシアトリカルとまではいかないけどパッケージ・ショウ的な構成を取り入れたり、だんだんイギリス寄りになっていく。キンクス的なね。

とはいえ、アメリカの音楽の要素もまだふんだんに盛り込まれているのが、『火の玉ボーイ』の特色でもありますね。

アメリカのロックも当然変化していくわけで、当時はマリア・マルダーのようなレトロな傾向の音楽も注目されていたし、映画『アメリカン・グラフィティ』(1973年)のサントラの影響なんかもあった。そんなオールディーズな世界が、「あの娘のラブレター」の歌詞や、ウルフマン・ジャック風のDJの下りに入っているし、この後の青山・VAN 99ホールのコンサートでは、50年代のオールディーズ・ナンバーを日本語の歌詞で歌ったりもしていた。

『火の玉ボーイ』には、はちみつぱいの後期にライブで演奏していた曲も収録されていますね。

岡田徹が作曲した「ウエディング・ソング」や「君と旅行鞄(トランク)」のB面に入っていた「酔いどれダンス・ミュージック」とかね。あの曲は、はちみつぱいからムーンライダーズに至るまで、色んなヴァージョンがあって、はっぴいえんどで言えば「はいからはくち」のようなもの。あの曲も最終的に『風街ろまん』で落ち着くまで私は色んなアレンジを聞いていたので、「酔いどれダンス・ミュージック」の着地点がどこか変なのは、私の記憶に残っていた「はいからはくち」の変遷の影響もあるのかもしれない。

はっぴいえんど解散後に、細野晴臣さんが率いていたセッション・バンド、ティン・パン・アレーを「火の玉ボーイ」で起用されたのは?

「火の玉ボーイ」がティン・パンの演奏に合うんじゃないかというのはあったね。あれは、セッションをしながら出来ていったんだけど、何テイクか目ですごく良いのが録れてね。ただ、セッションしつつのレコーディングに時間がかかりすぎて、もう1曲演奏してもらうはずだった「酔いどれダンス・ミュージック」が時間切れになってしまった。ティン・パンの演奏は素晴らしかったけど「はいからはくち」の歴史をなぞるんだな。「火の玉ボーイ」の録音で印象的だったのは、ダビング時のアッコちゃんのスキャットには鳥肌が立って、同時録音だった私とくじら(武川雅寛)は声も出なかった。一本のマイクの前でね。テイクワンだよ、確か。あの曲は元をただせばトム・ウェイツなんだけど、シンガー・ソングライターのアルバムに腕利きのミュージシャンが起用されるようになってきた時代の流れもある。あの頃は、ミュージシャンの間での独自の流行というのがあって、この少し前はリトル・フィートがブームだったし、ニューオリンズのドクター・ジョンやアラン・トゥーサン、ヴァン・ダイク・パークスなんかもミュージシャン発で人気が出た人たちだった。

最近、誰が面白いのか、どのアルバムが気になるのか、ミュージシャンたちが最新の音楽にすごく意識的だったと?

そうだね。常に誰がどんな音楽をやっているかを注視していたし、気になるミュージシャンやプロデューサーの動向を追いかけていた。少なくとも我々の周辺はそうだったね。

鈴木慶一

パンク直前の1976年という奇跡的なタイミング

『火の玉ボーイ』は、アナログではA面がCity Boy Side、B面がHarbour Boy sideと記されているのも興味深いのですが?

「シティ・ボーイ」という言葉を使ったのは、雑誌『ポパイ』の創刊より少しだけ早かったと思うよ。はちみつぱいの所属していた「風都市」の出版部門がシティ・ミュージックだったことも多少は関係していたのかもしれないけど。B面は「地中海地方の天気予報」などどこか南仏風だし、「ラム亭のママ」という曲はフランス映画『ラムの大通り』の影響大。後のヨーロッパ映画をモチーフにしたアルバムの萌芽がすでにこの頃からあったともいえるけど、それはかしぶちくんの存在も大きい。コンセプチュアルなアルバムの作り方でいえば、レコーディングの途中で参加したあがた森魚の『日本少年』で実験したことが色々なところに反映されている。

ラストショウが参加した「髭と口紅とバルコニー」のようなカントリー・ロック・テイストの曲も70年代は人気がありましたね。

あの曲には徳武弘文さんのカントリー・フレイバーなギターが欲しかったんだ。岡田くんは徳武氏と少年探偵団に参加していたからラストショウと関係が深くて、アレンジも考えてくれたんだけど、この曲のようなオールド・グッドタイム・ミュージックを残せたのは、今思えば、1976年という時代だったからこそだと思う。70年代も後半になると、ロックも、我々ムーンライダーズも急速に変革していくからね。だから、これは奇跡的なタイミングでレコーディングされたアルバムといえる。

音楽的にもはちみつぱいとムーンラーダーズを繋ぐ内容になりましたね。

1975年というのは、いわば空白の時なんだよね。だから、何をやってもいいし、イメージも決まってないから好きなことが出来た。ただ、このアルバムのイメージが尾を引いて、その後も『火の玉ボーイ』のようなアルバムを望むファンも多かったんだけど、我々はもう違うところに行っちゃうわけだ。だって、この2年後にはパンク・ニューウェイブの波が来るからね。

1976年の5月にはムーンライダーズとして、『ムーンライト・リサイタル』(芝・郵便貯金ホール)を開催。ゲストには矢野顕子さん、細野晴臣さんも。

あれはアグネスのバッキングが終わり、メンバーも資本金を出して、自分たちの事務所が出来た頃だった。デビュー前のアッコちゃんが「丘を越えて」を歌い、細野さんの「蝶々ーSan」や「Black Peanuts」を一緒に演奏したりと、『火の玉ボーイ』と『JAPANESE GIRL』と「東京Shyness Boy」(アルバム『泰安洋行』収録。鈴木慶一氏をイメージした曲といわれている)が同じステージに立った貴重なステージだった。この頃になると、私の服装も目に見えて変わり、行く店も原宿のバー「カル・デ・サック」になり、付き合う友人も少しずつ様変わりしていくんだ。渋谷・百軒店のロック喫茶「B.Y.G」にいた友人の時津嘉朗くんが開いた「カル・デ・サック」は、店でかかる曲も先端的な音楽ばかりで、そこで一気にニューウェイブに進む。悲しいことに2016年10月に時津くんは亡くなってしまった。実に残念だし、お礼を言いたかった。

そのコンサートでは、「Beep Beep Be オーライ」「スパークリングジェントルマン」など後のムーンライダーズのアルバムに入る曲も演奏しています。

『火の玉ボーイ』ですべて出し切ったというのがあったからね。だから、次の『ムーンライダーズ』通称“赤いアルバム”は、曲が出来た人から先着順でレコーディングしていくことになった。メンバー全員が曲を書けるバンドというのが理想だったんだ。ビートルズ、バッファロー・スプリングフィールド、ザ・バンド、好きなバンドはみんなそうだったし、メンバー全員がより選った曲を持ち寄り、一枚のコンセプチュアルなアルバムにしていくというのがいまだに私の理想のバンドのありかたなんだよ。そこでメンバー間の切磋琢磨が生まれ、摩擦も生まれるわけだが、まぁ、ワンマン・バンドの方が楽という面もあるんだろうけど、私の選んだ道はそうではなかった。

鈴木慶一

40周年を迎えて実感した大滝詠一の言葉

1975年頃には、日本のロック/ポップ・シーンの一部はニューミュージックと呼ばれ、「ルージュの伝言」(荒井由実)のようなヒットも生まれて、様々な新しい動きが生まれていきますね。

70年代半ばになるとカウンター・カルチャーとしてのロックにシフト・チェンジが起きつつあって、日本独自のロック・ミュージックをつくろうという気運も高まってきたんだな。そこで、従来の歌謡曲ともフォークとも違う“ニューミュージック”という言葉が生まれたんだろうね。当時は地方にキャンペーンに行くと、「どんな音楽をやっているんですか?」という質問に、「いわゆるニューミュージックです」と言うのがいちばん簡単だったんだよ(笑)。その頃、私がよく聴いていたのは、イギリスではジェネシスやセイラー、アメリカだとスティーリー・ダン、ボズ・スキャッグスあたりだったんだけどね。

『火の玉ボーイ〜40周年デラックス・エディション』に収録された新宿LOFTの秘蔵ライヴ音源(1976年10月)では、「レコード会社を移籍します」とMCで発言されています。77年には『ムーンライダーズ』『イスタンブール・マンボ』と2枚のアルバムをリリース、精力的な活動が始まっていく。

あれは新宿LOFTがオープンしてすぐの時のライブだよね。この頃はバンドが固まってきて、ライブで新曲を演奏しつつレコーディングに入るというのがいちばん良かったんだ。私の名前が外れてムーンライダーズ名義になって初めての“赤いアルバム”は、唯一コンセプトのないアルバムだし、そろそろパンクの影響も出始めていたから、はちみつぱいからのファンや『火の玉ボーイ』を好きな人は驚いただろうし、困惑したとは思う。70年代後半からは無国籍サウンドからニューウェイブに突き進んでいき、細野さんはYMOへと、それぞれの道に邁進してゆくわけだ。ただ、オープン当初の新宿LOFTに出て、今年の40周年にも出演したのが、山下達郎氏と私たちだけだというのが歴史の面白さでもあり、頼もしいぞとも思う。

2016年は、「無期限活動休止の休止」として40周年を迎えました。

今年に入って40周年ということに気がついて、45周年、ましてや50周年はどうなるか分からないとなと思ってね。長くバンドを続けていると、その歴史が邪魔になることもあるし、満遍なくファンを喜ばせるというのもなかなか難しいものがある。でも、今回のツアーは、次のアルバムをどうしようというのがなかったから、ライブを純粋に楽しめたんだよ。そしてお客さんと一緒に大騒ぎする。LOFT時代を思い出したりね。初めての金沢を含めて、全国6カ所というのは、『カメラ=万年筆』(1980年)以来だし、この年齢でよく無事に乗りきったと思うけど、これが今の我々の姿なんだ。生前に大滝さんがいみじくも言った「60代でまだバンド続けていたら、すげぇ面白いことになるよ」という言葉が今は実感としてよく分かるね。

リリース情報

火の玉ボーイ~40周年記念デラックス・エディション

火の玉ボーイ~40周年記念デラックス・エディション

鈴木慶一とムーンライダース
火の玉ボーイ~40周年記念デラックス・エディション

2016年12月7日発売
WPCL-12499/500 ¥4,000(+税)
【2CD初回限定盤(三方背BOX仕様+メモリアル・ブックレット)】

  

【収録曲】

火の玉ボーイ~40周年記念デラックス・エディション

【Disc1】火の玉ボーイ(鈴木慶一による2010年デジタル・リマスター音源)
01. あの娘のラブレター
02. スカンピン
03. 酔いどれダンス・ミュージック
04. 火の玉ボーイ
05. 午後のレディ
06. 地中海地方の天気予報
07. ウェディング・ソング
08. 魅惑の港
09. 髭と口紅とバルコニー
10.ラム亭のテーマ~ホタルの光
【Disk2】新宿ロフト・ライブ音源(1976/10/03)
[M1~M10]&ボーナス・トラック5曲
[M11~M16](2001年リイシュー時に収録[発売元:ワーナー 品番HDCA-10081])

<新宿ロフト・ライブ音源(1976/10/03)>
01. ペルシャの市場
02. 魅惑の滝
03. Beep Beep Be All Right
04. 月の酒場
05. 地中海地方の天気予報
06. ラム亭のママ
07. 酔いどれダンスミュージック
08. あの娘のラブレター
09. 髭と口紅とバルコニー
10.スカンピン

演奏メンバー:鈴木慶一(ボーカル)、かしぶち哲郎(ドラムス)、鈴木博文(ベース)、椎名和夫(ギター)、岡田徹(ピアノ)、武川雅寛(ヴァイオリン)

(ボーナス・トラック)
11.酔いどれダンスミュージック(Out take)
12.髭と口紅とバルコニー(Out take)
13.ラム亭のMAMA(Live 1976)
14.魅惑の港(Live 1976)
15.ウエディングソング(Live 1976)

ムーンライダーズ in CROWN YEARS 40th ANNIVERSARY BOX

ムーンライダーズ in CROWN YEARS 40th ANNIVERSARY BOX

ムーンライダーズ in CROWN YEARS 40th ANNIVERSARY BOX

2016年12月7日発売
CRCP-20536/41 ¥9,259 (+税)

【収録曲】

ムーンライダーズ in CROWN YEARS 40th ANNIVERSARY BOX

デビュー40周年を迎えたムーンライダーズのクラウン在籍時代(1977年〜1981年)に発表された全音源を、紙ジャケット化したオリジナル・アルバム5作品に完全網羅。最新マスタリング、高音質UHQCD仕様で復刻。また、アナログ・マルチ・テープから発掘された本邦初公開となるアウト・テイク(全18曲)をボーナス・ディスクとして付属した豪華6枚組ボックス・セット。BOOKLETには、解説、特別鼎談:クラウン時代を振り返る。司会/構成:田中雄二 鈴木慶一×エンジニア田中信一×ディレクター国吉静治を所収。

ムーンライダーズ・トリビュート・アルバム ブライト・ヤング・ムーンリット・ナイツ-ウィ・キャント・リヴ・ウィズアウト・ア・ローズ-

ムーンライダーズ・トリビュート・アルバム ブライト・ヤング・ムーンリット・ナイツ-ウィ・キャント・リヴ・ウィズアウト・ア・ローズ-

ムーンライダーズ・トリビュート・アルバム
BRIGHT YOUNG MOONLIT KNIGHTS -We can’t live without a rose-

2016年12月21日発売
PCD-27033 ¥2,778(+税)

【収録曲】

ムーンライダーズ・トリビュート・アルバム
BRIGHT YOUNG MOONLIT KNIGHTS -We can’t live without a rose-

01. 曽我部恵一 – 夏の日のオーガズム
02. ゴンドウトモヒコ featuring 高橋幸宏 – くれない埠頭
03. ゆるめるモ! – 9月の海はクラゲの海
04. スカート – いとこ同士
05. 3776 – トンピクレンッ子
06. ayU tokiO – ディスコ・ボーイ
07. たをやめオルケスタ – あの娘のラブレター
08. 本日休演 – ヴィデオ・ボーイ
09. ANNA☆S(うどん兄弟) – DON’T TRUST ANYONE OVER 30
10. ポニーのヒサミツ – 犬にインタビュー
11. アシモフが手品師 – Beep Beep Be オーライ
12. 1983 – ダイナマイトとクールガイ
13. 空間現代 – 僕は走って灰になる
14. 佐藤優介 – Wet Dreamland

鈴木慶一

1951年、東京・羽田生まれ。
1970年頃から、はっぴいえんどを含む様々なセッションに参加し、1972年にはちみつぱいを結成。1973年にアルバム『センチメンタル通り』を発表するが、1974年に解散。1975年にはちみつぱいを母体に実弟の鈴木博文らが加わり、ムーンライダーズを結成。1976年、鈴木慶一とムーンライダースとして『火の玉ボーイ』でデビュー。2016年には40周年を迎えた。
また、ムーンライダーズの活動と並行して多数の楽曲提供、プロデュースを手がけ、ゲーム音楽「Mother」「Mother2」も担当。北野武監督の映画『座頭市』の音楽では第27回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。
2015年には「ミュージシャン生活45周年記念ライブ」を開催。近年はソロ活動に加え、Controversial Spark、KERAと結成したNo Lie-Senseなどでも活躍中。

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