Interview

矢野顕子「SUPER FOLK SONG」レコーディング現場にあった極限の緊張感を紐解く

矢野顕子「SUPER FOLK SONG」レコーディング現場にあった極限の緊張感を紐解く

映画「SUPER FOLK SONG~ピアノが愛した女。~」[2017デジタル・リマスター版]の上映を記念して、当時のレコード会社のA&R・名村武氏のインタビューが実現! 矢野顕子の初のピアノ弾き語りアルバム「SUPER FOLK SONG」の制作秘話、撮影時のエピソード、ピアニストとしての矢野顕子の魅力などについて聞いた。

取材・文 / 森朋之


「弾き語りアルバムを作りたい」という話があった

「SUPER FOLK SONG」は、矢野顕子さんにとって初めてのピアノ弾き語りアルバム。矢野さんのキャリアのなかでも、ひとつの分岐点となる作品だった思います。

確かに録音された作品としては初めてでしたけど、その前から“ピアノがあればどこにでも行きます”という「出前コンサート」でカバー曲も演奏されていて、「SUPER FOLK SONG」もそれが基本になってるんですよ。
当時、矢野さんのマネージャーをやっていた永田くん(永田純)は昔からよく知っていたし、「弾き語りアルバムを作りたい」という話があったときも、すぐに「いいですね。やりましょう」ということになって。ただ、映像にするのは反対だったんです。伊作(城西伊作監督)からレコーディングの様子を撮りたいという打診があったときも「絶対にムリだ」って言いましたから。ピアノと歌だけのレコーディングなのに、カメラを回したら音が入るじゃないですか。

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実際、映画のなかでも「カメラを回す音が入ってしまう」というくだりがありましたからね。

そうそう。あのときは「うわ、どうしよう」って思いましたよ。結局、カメラをピアノから離すことで何とかなかったんですけど。

それにしても矢野さん、レコーディングの撮影をよく承諾しましたね。

伊作がニューヨークまで行って話をしたんですけど、あいつの人柄じゃないですかね。あとは伊作の作風かな。
大雑把に言うとオーガニックな映像なんですよね。レアな感じ、生々しさもあるから、ピアノと歌のアルバムにも合うだろうし。それでも僕は反対でしたけど(笑)、一方で「実現したら貴重な映像になるだろうな」とも思ってましたね。レコーディングが行われたのはホール(東京・千駄ヶ谷の津田ホール、長野県松本市のザ・ハーモニーホール)だったから、撮り方によってはライブ映像みたいな感じになるだろうなと。まさか映画館で上映することになるとはまったく思ってなかったですけどね。もしかしたら伊作はそこまで考えていたのかもしれないけど。

当時A&Rを担当していた名村 武氏

当時A&Rを担当していた名村 武氏

最近は音楽ドキュメンタリーを映画館で上映することも増えてますが、当時としてはかなり稀なケースでしたよね。

そうですね。あの頃はレコード会社の売り上げもあったし、予算的にも余裕があったんですよ。会社としても「せっかく矢野さんがEPICに移籍してきたんだから、それなりのバジェットを用意したい」という意向もあっただろうし。

90年代前半といえば、音楽業界はまだまだバブル期でしたからね。

はい。しかもこの映画、フィルムで撮ってますからね。いまじゃとても考えられないですよ。

レコーディング自体もテープを延々と回すという方法で。そういえば矢野さん、映画のなかで「(レコーディングのための)テープがもったいないから、巻き戻して録っていいよ」なんて言ってましたね。

矢野さんはある程度、ご自分で予算を管理されてました。主婦感覚みたいなものもあっただろうし(笑)。アメリカのアーティストは、そういう感覚を持ってる人がけっこういるんですよ。矢野さんはアメリカ人のエージェントと仕事をしてましたからね。

レコーディングを行ったホールの選定は?

永田くんとエンジニアの吉野金次さんが決めたんじゃないかな。僕は報告を受けて、ホールと交渉をしました。あとは吉野さんと一緒に下見に行って…あ、そうだ、確か松本のホールには矢野さんが好きなピアノがあったんじゃないかな。当時、地方に行くとすごいピアノがけっこうあったんですよ。2000万くらいするようなピアノが立派なホールに置いてあったり。

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「歌とピアノ、どっちに比重を置いているんだろう?」って

それも余裕があった時代のエピソードですね…。映画を観ると、レコーディング中はとにかく空気が張りつめていて。実際、矢野さんはどんな様子だったんですか?

ピアノと歌をいっぺんに録るというのは、矢野さんにとってもかなりハードルが高かったと思うんですね。ライブでは弾き語りをされてましたけど、レコーディングはまた違いますから。おそらく、矢野さんも相当練習されたんじゃないかな。ずっと「歌とピアノ、どっちに比重を置いているんだろう?」って考えてましたけど、結局、よくわからなかったですね(笑)。

歌の伴奏としてピアノを弾いているわけではないですからね、矢野さんは。

そうですね。普通はもちろん歌を優先するんでしょうけど、矢野さんはピアノに対するこだわりもすごかったので。専任の調律師の方に毎日来ていただいて、レコーディング中にも1~2回くらいチューニングして。確かフェルトの張替もやったんじゃないかな?

松本のホールでは暖房を使わなかったそうですね。

空調の音が入っちゃいますからね。あと、部屋の温度が変わると、ピアノの音も変わってしまうので。

そうやって環境を整えて、あとは矢野さんが納得できる演奏が出来るまで待つ、と。

そうなんですけど、演奏を聴いているだけで疲れるんですよ(笑)。難しいパートになると「どうにか切り抜けてくれ」って緊張しながら聴いているし、最後の最後でミスってしまうこともあって。通常のレコーディングだったら(複数のテイクを)つなげるんでしょうけど、矢野さんの弾き語りはテンポもフリーだし、その場その場でアレンジも変わりますからね。演奏が上手くいって「いまのテイク聴いてみます」ってなっても、「やっぱりダメ。この曲は明日!」とか。

映画を観ていても、どこが良くないのかがわからないんですよね。

「いまのテイク、いいじゃないですか」とは言えないんですよ(笑)。僕なんかが矢野さんに音楽的なことで意見を言うは、ものすごく勇気がいることなので(笑)。ただ、吉野さんには「どうだった?」って聞かれてましたね、矢野さん。僕も吉野さんとは「いまのは良かったですよね」みたいは話をしました。結果的に吉野さんを通じて、矢野さんに意見を伝えようとした気がします。

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音楽に対しては非常に厳しいです

今回25年ぶりに映画「SUPER FOLK SONG~ピアノが愛した女。~」を観させてもらって、「自分にも他人にも本当に厳しい人だな」という印象を受けたんですよね。あらゆる意味でストイックというか。

そうかもしれないですね。優しい方だし、女王様みたいな感じではぜんぜんないんですけど、確かに音楽に対しては非常に厳しいです。自分自身に対してもそうだし、他のミュージシャン、スタッフに対してもそうだし。そういう緊張感はあったほうがいいし、僕もやりがいはすごくありましたね。

レコード会社のA&Rから見ると、当時の矢野さんはどう映ってたんですか?

うーん…。もちろん才能は素晴らしいですよね。僕も高校のときに矢野さんのデビュー作「JAPANESE GIRL」を聴いて「すごい」と思ったし、いまに至るまで、ずっと新しいことをやり続けられてますから。
あと、矢野さんの世代に共通する特徴もあると思うんですよ。あの世代の方々がティーンエイジャーから20代前半の頃って、日本の音楽シーン=歌謡界だったんですよね。レコード会社や音楽事務所も芸能界チックだったし。だから、矢野さんは基本的にいわゆる業界の人間はあまり好きじゃないかなと(笑)。すべてを信頼しているわけではないというか。僕自身も矢野さんの少し下の世代なので、その感じはわかるんですよね。20代の頃はミュージシャンをやっていたんですけど、マスコミの人間なんて大嫌いでしたから(笑)。こっちは80年代のパンク、ニューウェイブも体験しているのに、テレビ局やレコード会社にはセーターを肩にかけたディレクターが本当にいましたからね(笑)。

それは合わないですよね(笑)。でも、EPICレコードは80年代から佐野元春さん、ザ・ストリート・スライダーズなど、先鋭的なロックアーティストを次々と送り出してましたよね。

そのことに関しては、伊作の力も大きいんですよね。あいつはビデオチームだったんですけど、アーティストの映像的な表現、紹介の仕方を含めて、貢献度はすごく高かったと思うので。特にスライダーズはそうじゃないかな。時代もちょうどMTVが出来て、日本のアーティストもミュージックビデオを撮り始めた頃だったし。

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では、「SUPER FOLK SONG」の話に戻りまして。リリースされた後の反響はどうでした?

それはすごくありました。いろいろなミュージシャンの方から「あのアルバムはすごい」と言われましたし、リリース後に行われた新宿厚生年金会館のライブには著名なミュージシャンがいらっしゃったり。そこに付加価値を付けたのが、この映画ですよね。
オーディオ面、ビジュアル面の両方で世の中にプレゼンテ―ション出来たので。いま振り返ってみると、作品のクオリティの高さはもちろんですけど、ああいう撮影って一生のうちに何回も出来ないと思うんですよ。矢野さんの音楽的な成熟度はいまも上がってらっしゃると思うし、ピアノもさらに上達されていると思いますけど、常識的に考えて、体力、集中力というのは30代、40代に一度ピークがくるんではないでしょうか。そう考えると、本当に貴重な映画ですよね。
余談ですけど、僕はその後ワーナーに移って、坂本龍一さんのピアノアルバム「BTTB」を担当したんです。坂本さん、最初はピアノのアルバムを作ることに乗り気じゃなかったんですけど、レコーディングに入って、その理由がわかりました。演奏者としても卓越された方ですけれども、ピアノ1本でCDを作るとなると、いきなりハードルが上がる訳ですからね。旋律、和音だけではなくて、打楽器としての側面もありますから。しかも矢野さんの場合、そこに歌もある。

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映画「SUPER FOLK SONG~ピアノが愛した女。~」における矢野さんのピアノについて、25年経ったいま、どんなふうに感じてますか?

僕なんかが上手くは言えないんですけど、ジャズなどに代表される即興的な音楽へのアプローチの仕方が独特だと思うんです。オーソドックスなジャズのピアニストとはぜんぜん違っていて、それがすごく心に響くんですよ。さらにニューオリンズ的なリズム、日本の土着的な雰囲気、沖縄の音楽、オーソドックスなポップス、など様々な要素があって。ああいうピアノを弾く人は世界でひとり。まさに唯一無二ですよね。

名村 武

1957年 兵庫県神戸市生まれ。1976年 大学在籍中にバンドを結成、関西で活動。1978年 アン・ルイスのバック・バンドを務めるため上京。ベーシストとし活動を開始。さまざまなアーティストのツアー、レコーディングに参加。1988年 EPIC SONY RECORD(当時)に入社。制作ディレクターとして、“ボ・ガンボス”、“東京スカパラダス・オーケストラ” “矢野顕子”などを担当。1997年WARNER MUSIC JAPANに入社。“キリンジ”,“BOREDOMS”“坂本龍一”などの制作を担当。その後、WEA制作部長に就任。2000年 ストラジック本部に異動し”Cornelius”の移籍、制作も担当。2003年 フリーとして独立。ディレクター、プロデューサー、アレンジャー、ベース・プレイヤーとして活動中。

SUPER FOLK SONG ~ピアノが愛した女。~
[2017デジタル・リマスター版]

2017年1月6日(金)より、新宿バルト9、梅田ブルク7、センチュリーシネマ(名古屋)、T・ジョイ博多、ユナイテッド・シネマ札幌ほか全国の劇場にて15日間限定ロードショー!

1月6日(金)からの初週と13日(金)からの2週目の入場者プレゼントが決定!1週目「福袋」(トートバック)、2週目「缶バッチ」を数量限定の先着アイテム(非売品)としてプレゼント!

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出演・演奏:矢野顕子
インタビュー出演:鈴木慶―/谷川俊太郎/糸井重里/三浦光紀/宮沢和史/David Rubinson(出演順)
監督:坂西伊作
撮影|夏野大介
1992年/日本/モノクロ/DCP/2ch/79分
企画・主催 ソニー・ミュージックアーティスツ
オフィシャルサイトhttp://www.110107.com/yanoeiga
©映画『SUPER FOLK SONG~ピアノが愛した女。~』[2017デジタル・リマスター版]

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