特集・進化するトライセラトップスという恐竜  vol. 5

Interview

和田唱が共感した唯一無二のベーシスト、林幸治が語る過去と現在

和田唱が共感した唯一無二のベーシスト、林幸治が語る過去と現在

 

トライセラの屋台骨、林幸治。3ピースのバンドにとって、林のベーシストとしてのスキルは極めて重要だった。バンドと共に成長を続ける林が現在を語る。

取材・文 / 平山雄一 撮影 / 森崎純子


10曲20曲と叩けないなと思ったんです。だから早々に「ベースやる」って言って、それが高1のとき

音楽を始めようと思ったのはいつ頃ですか?

幼稚園のときからエレクトーンをやってたり、笛とかピアニカが好きでしたね。小4のとき、ブラスバンドでサックスをやってました。中学に入ったら、バレーボールの部活を始めるようになって、楽器は一切やめました。
中2の夏休みに、小学校が一緒だったけど中学で別々になった友だちと遊んでたら、彼らがバンドやってたんですよ。俺も一緒に遊びたいし、音楽が好きだったんで、「入りたい」って思った。ギターに興味を持ったんですよね。で、ギターに触らせてもらって「いいなあ」と思って、自分でも買いました。でもみんなギターをやりたがるから、ギタリストばっかりになっちゃって、空いてたのが鍵盤だったんですよね。僕、エレクトーンできたんで、鍵盤でそのバンドに参加してたんですけど、自分ではギターも弾いてたんですよ。
そのメンバーで「同じ高校に行こうぜ」って言ってたんですけど、行けたのが5人中3人だけだった。で、3人ともギターをやりたかったんです(笑)。中のひとりがすごくギターが上手だったんで、残りのどっちかがドラム、どっちかがベースになるっていうときに、俺はドラムはヤだなと思ったんです。

どうして?

俺、ドラムも小4ぐらいからやってて、体力的に無理だと思ったんです。1曲ぐらいしか叩けないっていうか(苦笑)、10曲20曲と叩けないなと思ったんです。だから早々に「ベースやる」って言って、それが高1のときですね。

トライセラ 林幸治

唱は美術の学校に行ってて、その学校に俺がベース持ってよく遊びに行くようになった

和田唱さんと出会ったのは?

音楽専門学校の1年のときですね。ある日、学校で何の概要も知らされず、「お前、ここでちょっとベース弾け」って言われて、白い壁の前でビデオを回された。そうしたら「あのビデオを観た人が会いたいって言ってるから行け」って言われて(笑)。で、行ったら、唱に出会ったんです。

最初に会ったときのことは、覚えてますか?

覚えてます。唱はセーターを着てました。場所は表参道の「ラスチカス」っていうカフェで、店員がみんな外人なんですよ。俺、地元は江戸川区で、表参道に行ったのも初めてだし、店員が全員外人の店に行くなんていうのも初めてだったから、「えらいところに来たもんだな」と思って。そこには大人が何人かいて、今思えば事務所の人やプロデューサーの木崎さんだった。「音楽はどんなのが好きなの?」とかそういう話をしつつ、「いいなあ。一緒にやりたいな」と思ったんです。
唱は美術の学校に行ってて、その学校に俺がベース持ってよく遊びに行くようになった。お茶の水だったんで、楽器屋とかいっぱいあるから、楽しいんですよ。唱はギターを持ってて、学校の敷地内で休憩になると2人でよく一緒に演奏してました。それを友だちが見てる、みたいな。俺は自分の学校には行かず(笑)。 

そういうところから2人の交流が始まったんですね。

そうですね。その美術学校に、偶然、共通の友だちがいたんですよ。好きな音楽が近かった友だちがいて、それで唱と友達関係になっていった。
「学校から紹介されて繋がってできたバンドでデビュー」みたいなのは、なんかヤだったんです。「友だちと一緒にバンドをやってデビュー」っていうのが俺の夢だったんで。結局、友だちの友だちだったんで、いいじゃないかっていう。そういう出会いでしたね。
それで2人でドラム探しを始めた。これが長旅でした。全然いなくて。ドラマーってたいてい、ある程度腕があると何個かバンドやってるんですよ。それで、「このバンドだけでやっていこうぜ」っていう感じになるのが難しかった。

吉田(佳史)さんもいくつかバンドをやってたと聞きましたが?

佳史は、テクニック的に申し分なかったのと、本人がすごくやりたがったっていうのが強かったです。「とにかく一緒にやりたい」って言ってくれて。そこからライブをやり始めたんですよ。それまで曲はちょいちょいあったんですが、ドラマーがいなくてライブができなかった。

ライブをやってくうちに変化が起こったんですか?

いつからバンドっぽくなったかはよくわからないですけど、「3人でトライセラトップスだぞ」ってバンド名をメンバーで付けた辺りからバンドになったんじゃないですか(笑)

「tri」だから「3つ」っていう意味で?

いや、そういうわけじゃなかったんですよね。唱は自分がボーカルだとは、最初は決めてなかったんです。誰かボーカルを入れてもいいし、ギタリストをもうひとり入れてもいいし、鍵盤を入れてもいいし、3人で完成とは思ってなかった。でも3人でとりあえずライブができるようになったから、そのまま走り出したっていう感じでした。

乱暴ですね(笑)。

うん。でも今思うと、唱以外の人が歌うっていうのは考えにくいと思います (笑)。俺は3人に拘ったわけではないけど、「もっとメンバーが必要だ」とも思ってなかったです。「3人で行こう!」って決めるよりも前に、トライセラトップスっていうバンド名があって、そのバンド名が「3」っていう意味もあったから、「まあ3人でいいんじゃないの?」っていう(笑)。あとあとそうなったというか。

しかも音楽として成り立つし。

はい。とにかく3人でできることが、まだまだいっぱいあった。のちのち、広がりを求めていくとき、「やっぱり鍵盤が欲しいね」とかはありましたけど。

その時期から3人でがんがんハモっていたんですか?

別に自分たちがコーラスの多いバンドとは思ってなかったです。そういうもんだと思ってた。3人しかいないし、やれることはやろうって。ビートルズが好きで、彼らはみんな歌ってるじゃないですか。当然のことだと思ってました。

トライセラ 林幸治

上昇志向がなかったかどうかはわからないですけど、“新しい波”を作りたかった

いよいよデビューに向かって走り始めるのかな?

初ライブからデビューまで、あっという間だった気がします。下積み的なものがまったくなかった。今思えば、いろんなことがわかってないのにデビューできちゃった。だから、あんまり実感がなかったですね。流れに乗ってたら、ファーストアルバムが出てたみたいな。
ただ、無知なりの勢いみたいなものがあって、自分たちにすごく自信がありましたけどね。何の迷いもなく、自信に溢れてたような気がします。「俺ら、いいだろ? 俺ら、売れるよ!」みたいな。当時は「自分たちが楽しみながら、自分たちの好きなことをやりたい」って思ってました。「自分たちが好きじゃないけど、こういうほうが売れるからこうしよう」とか、そういう発想になるのはすごくイヤだったんです。今でもイヤですけど、若い頃は特にそれがありましたね。バカみたいに突っ張ってました(苦笑)。
リハから跳んだり跳ねたり、全力でやってました。サウンドチェックというよりは、リハであっても見てる人がいっぱいいると、そういう人たちに「俺ら、いいだろ?」って見せつけるような気持ちで(笑)。単純に演奏すること自体が楽しかった。音を出すことだけで楽しかったんです。

「音を出すだけでいい」って、すごくいい時期ですね。時代もCDがどんどん売れるし、いろんなバンドが大きい場所でライブを成功させたり。

俺らはそういう時代を経験した最後の世代ですよね。お陰で、地方に行っても、全然音楽が好きじゃない人に「トライセラトップスです」って言うと「あー、知ってる知ってる」って言ってくれる感じ。それは97年にメジャーデビューしてたことの恩恵だなって、すごく思いますね。その時代にデビューしていたからこそ、知ってくれてる人がいまだに多い。

いわゆる“スター志向”は、まったくなかったんですか?

あんまりなかったかもしれない。デビューしたときはまだ20才くらいだったんで、自分自身がどう見られたいかとか、そこまで細かく考えてなかった。ただ単に突っ張って、カッコつけてたような気がします。甘っちょろく見られたくない。本格派に見られたい。だから化粧するのもすごいイヤだったし、髪型もそんなに気を付けてなかった。そんな感じに思ってました。
「100万枚売ってやろう!」みたいな気持ちは、俺はなかったかもしれないですね。でも、自分がカッコイイと思ってる音楽が100万枚売れないとは思ってなかった。上昇志向がなかったかどうかはわからないですけど、“新しい波”を作りたかった、というか。それまでは、メイクして衣裳を着てっていうのがメジャー感のあるバンドだったわけですけど、自分たちは私服を着て、ちょっと穴の開いたジーンズでスニーカー履いてライブをやってた。そういう音楽が人気が出るといいなと思ってました。自分たちのスタイルで勝負したかったってことですよね。

トライセラ 林幸治

4枚目のアルバムまでにいろんな知識を蓄えて、「さあ、いざ自分たちでやるか!」っていうのが5枚目

デビュー後は?

4枚目のアルバム『KING OF THE JUNGLE』まで、あっという間だった。何も考える間もなくそこまで行っちゃったって感じで、気が付いたら武道館をやってた。何も考えてなかったというか、何も考える暇がなかった。ホントに、休みがなかったです……今からは想像できないぐらい、休みがなかったですね(苦笑)。

その環境を楽しみはしなかったんですか?

いや、逆に反発し始めたんですよね、「こういうのはヤだ」って。3枚目、4枚目ぐらいになってくると、唱も曲を作るのがしんどくなってきていて。曲がないのに、アルバムを出す日は決まってる。何にもないのにスタジオが取ってあって、スタジオに行ってから、「さてどうしよう」みたいな(苦笑)。ツアーで地方に行っても、周りに大人が10人ぐらいいて、どこに行っても奢ってくれるし(笑)。ちょっと変な感じだった。それを一回、フラットに戻したかったっていうのはあったかもしれないです。
それで4枚目を出したあと、エピックをやめて、ビクターに行った。そこでやっと自分たちでいろいろ考えるようになった。レコーディングの進め方に関しても、自分たちで決められるようになったんです。4枚目のアルバムまでにいろんな知識を蓄えて、「さあ、いざ自分たちでやるか!」っていうのが5枚目の『DAWN WORLD』からです。

その頃のメンバー間の人間関係はどうだったんですか?

あまりにもずーっと一緒にいたから、改めて考えたことはなかったですけど、5枚目の『DAWN WORLD』のときは佳史がすごく頑張った。自分でプロトゥールス(注:レコーディングが簡単に出来るコンピュータ・システム)を買って、デモテープを佳史の家で作ったりしてたんですよね。そういうのは久しぶりだったかもしれないですね。自分たちだけではコンピュータの扱いが全然できないんですけど、でもそれなりに時間掛けながら3人だけでやってた。よく朝方まで作業して、俺と唱は車を持ってなかったんで、佳史が車で俺らをそれぞれの自宅まで送ってくれたりして。佳史は朝6時に家に帰ると、コンピュータの画面の見過ぎで気持ち悪くなったって言ってましたけど(笑)。

ははは! 「友だちが集まったバンドでやりたい」っていう林さんの夢は、5枚目に至って達成されたんですか?

そうとも言えるし、でも別の言い方をすると、最初から達成されてたような気がするんですよね。

早くそう言ってくれればいいのに(笑)。

ははは。

トライセラ 林幸治

自分たちも年を重ねていくにつれて、いろんな幅を出していきたいし、出していったほうがいい

去年の暮れのアコースティックライブは、スタンダードやボサノヴァを演奏したりしてとても楽しかったです。ああいった音楽性の広がりは、バンドの当初から目指していたんですか?

当時から好きな音楽はいろいろあったし、「ひずんだギターの楽曲しかやりたくない」とか、そんな想いは全然なかったです。いろいろなカバーもずっとやってきてたんで、徐々に徐々に音楽の幅の広がりが出てきていたとは思うんですけどね。
ただあのライブで僕が一番困ったのは、立ち位置。ステージの真ん中でベースを弾いたんですが、あそこはいちばんロー(低音)が溜まる場所なんで、ベーシストがいちゃいけない場所のような気がする。すーごくやりにくくて、ツアーの最初の何本かはすごく困りましたけど、何だかんだやりながら、最終的には何とかなりました。

吉田さんは「全員の顔を見ながら演奏できると楽だし、楽しい」って言ってました。

んー。ま、それぞれ感じてることって違うんでしょうね。

あははは。

僕の場所だと、逆に全員が見れないんですよね。きっと佳史はいつもは真ん中だから、そういうことなのかもしれないですけど。

スタンダードの「カム・フライ・ウィズ・ミー」を、和田さんが歌ったことについては?

唱はああいうのが好きですから、そういう部分も出していっていいと思うし、出したいんじゃないですかね。自分たちも年を重ねていくにつれて、いろんな幅を出していきたいし、出していったほうがいいと思ってます。
ツアーは年に2回やってるんで、いつも同じだとつまんないよなっていうのもあるんで、少しでも何かしらの変化を付けるためにも、アコースティックライブはいいなと思ってます。

アコースティックやスタンダードへのトライ以外にも、林さんがやりたいことは? ちなみに、PLAGUESの新しいアルバム『Free Will』に参加していますが?

そもそもPLAGUESの深沼(元昭)さんのMellowheadっていうソロのプロジェクトのライブを観に行ったことがあって、すごくいいなと思ってました。で、深沼さんが俺らのライブを観に来てくれたときに、「もしベースを探していたら、俺に声を掛けてくださいよ」つって。俺、あんまりそんなこと言わないんですけど、深沼さんには自分で言ったんですよ。そこから始まったんです。

トライセラトップスをやりながら、もう一個バンドをやるって、20年前とは違いますね?

そうですね。でも基本は、僕は深沼さんの音楽が好きで「いいな」と思ったし、人柄も好きだし、っていうところから始まって、友だちというか、一緒にやりたいっていうのがあるから。
たまに全然会ったこともない人からオファーが来たりするんですけど、俺は強烈な人見知りなんで、まず人間関係を築けるのかなあっていうところから考えますね。友だちとじゃないと音楽したくないって、基本的にはそういう想いがあります。音楽をやるに当たって、一回どこかで飲んだりして気が合ってっていうのがあれば、「じゃあ、一緒にやろうよ」ってなる。もう僕も40才ですから、そうも言っていられないとは思うんですけどね (苦笑)。

昔よりは自分も大人になったんで、2人には感謝してます。

今年の林さんは?

毎年「今年はどうなるんだろう」っていつもドキドキしてますけど、トライセラで新しい曲、新しいアルバムを作りたいなってすごく思ってます。

最後に、和田さんと吉田さんにそれぞれひと言ずつ何かあれば。

昔よりは自分も大人になったんで、2人には感謝してます。それぞれがそれぞれの思うこともありながらも、バンドのことを大事に思ってるんじゃないのかなって感じてます。

この前のアコースティックライブで和田さんがMCで林さんにムチャ振りしてましたけど。

唱のムチャ振りは全然いいんですけど、佳史のムチャ振りはなんかヤですね。

はははは!

唱が振ってくるのはなんか大丈夫なんです。唱の場合は落としどころがあるものを振ってくるんですよ。だからムチャじゃないというか。佳史の場合はわっけわからない。「それ、どうやって落とすの?」っていうようなことを振ってくるので、「いや、それは落とせないよ」っていう(苦笑)。

やめてほしいと(笑)。

そうですね。ははは!

じゃ、ありがとうございました。

ライブ情報

TRICERATOPS  不定期開催の恒例企画
“DINOSAUR ROCK’N ROLL -7-”
EX-THEATER 2DAYS公演、開催決定‼

2017年3月17日(金) EX-THEATER ROPPONGI
open18:15  start 19:00 
ゲスト:UNISON SQUARE GARDEN

2017年3月18日(土) EX-THEATER ROPPONGI
 open18:15  start 19:00 
Special Secret Guest有り(当日まで一切発表無し)

チケット(整理番号付き): STANDING 1日券¥4,950- / STANDING 2日通し券¥9,300- 
一般券売日:2017年2月4日(土)
プレイガイド:
チケットぴあ http://pia.jp 0570-02-9999 Pコード:320-274
ローソンチケット http://l-tike.com 0570-084-003 Lコード:74950
イープラス http://eplus.jp
お問い合わせ:
HOT STUFF PROMOTION/03-5720-9999(平日12:00-18:00) 
http://www.red-hot.ne.jp

TRICERATOPS “20TH ANNIVERSARY TOUR”

2017年5月~7月、全国各地で開催決定‼
詳細は2017年1月14日(土)オフィシャルサイトで発表。
http://triceratops.net/

トライセラトップス

和田唱(Vo&G)、林幸治(B)、吉田佳史(Dr)により結成。
1997 年、シングル「Raspberry」でメジャーデビュー。胸を締め付けるラヴソング、ロックの苦悩に刃向かう ようなポジティブなリリック、そしてたった 3人で演奏しているとは思えないサウンドと、リフを基調とした楽曲は、 良質なメロディセンスとライブで培った演奏力により、唯一無二の存在感で新たな可能性を拡げ続けてい る。多くのミュージシャンにもリスペクトされている国内屈指の3ピース・ロックバンドである。また Vo&G の和 田唱は、SMAP、藤井フミヤ、松たか子、Kis-My-Ft2、SCANDAL などへの作品提供も多数あり、ソン グライターとしても評価を集めている。
来年 2017 年、メジャーデビュー 20 周年のアニバーサリーイヤーに突入する。

オフィシャルサイトhttp://triceratops.net

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