山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 4

Column

「満月の夕」〜中川敬との22年〜 【前編】

「満月の夕」〜中川敬との22年〜 【前編】

HEATWAVE 山口洋がこれまでに出逢ったミュージシャン、R&Rの魔法について書き下ろす好評連載。
1995年1月17日から22年。ひとつの曲をめぐる長い物語を、2回に分けてお届けします。


こんな存在の歌になるなんて、思ってもいなかった。

リリースしたら、歌はもう自分のものではなくなる。ふ化したあと、大海へと漕ぎだす鮭の稚魚のように。成長して戻ってくる歌なんて、ほんのわずか。人々のこころという未知の大海を泳いでいく歌たちが、どんな旅をしているのか、僕は知らない。どれだけ歌を書いても、それだけは分からない。

「満月の夕」は僕にとって、そんな稚魚のひとつだった。違うことがあるとするなら、独りで書いたのではないということだけ。リリース後しばらくして、いろんな人たちがカヴァーしてくれるようになってからも、この歌をクローズアップされることが苦手だった。忘れることができない、あの焼け野原の風景に向き合うことは、正直しんどかった。それゆえ特別な理由がない限り、この歌について語らなかったし、歌うこともなかった。

けれど、この歌は作者たちの手に負えない存在になっていった。ある種の公共財のように。人々によって歌い継がれ、南米で、北米で、イラクで、沖縄で、日本や世界のあちこちで歌われていると聞いた。苦難に陥っている人々を励ましていると聞いた。

こうなると、稚魚の思いもよらぬ成長によって、こちらが教えられるという不思議な現象が起き始める。あまりにも多くの人のこころを経由しているから、こちらは太刀打ちできず、取り扱いに困ったりもする。

たとえば、とある場所で、とあるヴァージョンが流れていたので、「それ友人と書いたんです」と云ったら誰も信じてくれない。たとえば、この歌を映画で使ってくれた監督にパーティーで会ったので、お礼を云いに行ったら、初対面なのに首を締められ「お前か!あれはな!いい歌だ!大事にしろ!」と云われたりもする。

作家として最高の栄誉があるとするなら、たとえば100年後にこの歌が歌われていることだ。傷ついた誰かのこころに寄り添っていることだ。だから、誰が書いたか、なんてことは本質的にはどうでもいいのだけれど、一度だけ、パブリックな場所で、きちんといきさつを記しておきたい。というより、僕自身がこの歌に向き合っておきたい。歌い継いでくれた人々と中川敬に感謝を込めて。

あれから22年の時が流れた。事実とは少し違うことがあるかもしれない。でも、僕はドリーマー。過去だって創造することがある。それは捏造ではない。お許し願えれば、と思う。

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前置きが長くなった。話を始める。

1994年冬。バブルの終焉とともに、バンドブームは「バンド焼け野原」と姿を変えていた。そのブームもまたバブルそのもので、個性と実力のないバンドはほとんどが淘汰されていった。そして、焦土の中、いくつかの骨のあるバンドが生き残っていた。そのひとつが中川敬が在籍していた関西のソウル・フラワー・ユニオン。彼はじゅうぶんに興味をそそる希有な存在で、焦土の中にギラギラと背筋を伸ばして立っていた。

僕はその頃、半分は日本に居なかった。この国が息苦しくて、世界のあちこちを旅していた。中川はそれに批判的だった。「もっと現実と足下、見た方がええで」。いい組み合わせかも、と僕は思った。

真剣に向き合ったなら、化学反応が起きるか、良くない爆発が起きるかどっちかだろう。僕もじゅうぶんに面倒くさかったし、いちばん面倒くさそうな男と組んでみることにした。互いに若かったし、刺激にも飢えていた。

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中川敬(なかがわたかし):1985年、ザ・ニューエスト・モデルを結成。1988年、伊丹英子率いるメスカリン・ドライヴと共に自主レーベル「ソウル・フラワー・レコード」を設立。パンク、モッズ・ミュージック、ソウル、ファンク、トラッド等多様な音楽スタイルと痛烈な社会批判で日本のロック・シーンに独自の道を切り拓く。1993年、2つのバンドを統合し、ソウル・フラワー・ユニオン結成。1995年阪神・淡路大震災後、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットを結成、被災地での出前ライヴを開始する。2016年、ニューエスト・モデル結成30周年記念アルバム第1弾『ザ・ベスト・オブ・ニューエスト・モデル1986-1993』、第2弾『ソウル・フラワー・ユニオン&ニューエスト・モデル2016トリビュート』発売。(写真はソウル・フラワー・ユニオン/1995年)
オフィシャルサイト


関西にある中川の家に僕は出向いた。土産代わりにラフなメロディーを抱えて。それはいつか友部正人さんに投げかけたくてキープしていたものだった。中川は三線、僕はギターという形で共作が始まる。くだんのメロディーを中川に投げかけると、「あかん!手癖や」。そして彼は隣の部屋に消え、数分でメロディーを作り変えて戻ってくる。それを受けて僕も作り変える。やりとりは数回に及んだと思う。

やがて、僕らはメロディーをループして演奏し始めた。こういうとき、三線とギターという組み合わせは都合がいい。中川がメロディーを、僕はコードを弾く。そうやってAメロとイントロとブリッジ部分が出来上がった。時間にしてわずか20分くらいのことだったと思う。濃密だった。2人の個性が凝縮されたメロディーとコードが出来た。そして、このAメロにはサビが不可欠だと意見が一致した。

続きはそれぞれが書き上げて、連絡し合うことになった。僕らは確かに腹が減っていた。中川と鍋をつついて、僕は東京に戻った。歌詞はまったくついておらず、どんな歌になるのか、まるで決まっていなかった。

そして忘れもしない、1995年1月17日。あの震災が起きる。

 


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ソウル・フラワー・ユニオン
「満月の夕」

HEATWAVE
「満月の夕」


著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

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1963年福岡県生まれ。1979年に結成したHEATWAVEのフロントマン。
1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表の『1995』には佐野元春プロデュースの2曲のほか、阪神・淡路大震災後に書かれた「満月の夕」(中川敬/ソウル・フラワー・ユニオンとの共作)を収録。
2003年より渡辺圭一 (Bass)、細海魚 (Keyboard)、池畑潤二 (Drums)と新生HEATWAVEの活動を開始。
東日本大震災後、福島県相馬市の仲間と共に現地を応援するプロジェクト“MY LIFE IS MY MESSAGE”を立ち上げ、仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らと活動している。
2016年4月に発生した熊本地震を受け、9月からFMK エフエム熊本で「MY LIFE IS MY MESSAGE Radio」をオンエア開始。毎月第4日曜日20時〜、DJを務める。
2017年1月17日(火)には熊本・ ぺいあの PLUSで〈MY LIFE IS MY MESSAGE Radio LIVE Smile〉として矢井田瞳、熊本在住のシンガー・ソングライター東田トモヒロと共演。予約・問合せ:TSUKUSU(つくす)→ www.tsukusu.jp

2017年1月20日(金)には横浜・THUMBS UP、2月10日(金)千葉・ANGAで〈山口洋 2017 SPECIAL! 聞きたい歌と、今歌いたい歌〉としてアコースティック・ソロライブを行う。
ROCK’N’ROLL ASS HOLE→http://no-regrets.jp

2015年12月26日のLIVEを収録した『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #004 151226』が好評発売中

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