ALFA MUSIC LIVE Special  vol. 2

Interview

ALFA MUSIC伝説のエンジニア 吉沢典夫インタビュー

ALFA MUSIC伝説のエンジニア 吉沢典夫インタビュー

ALFAの創始者、村井邦彦が他社から引き抜いたエンジニア、吉沢典夫。荒井由実(現 松任谷由実)からYMOに至るまで、レーベルのサウンドの基礎を固めたのは、この男だと言っても過言ではない。革新的な音創りの秘密の数々。
そして村井が契約した珠玉の洋楽レーべル、それが偶然にも吉沢が敬愛するA&Mだった。
洋楽と邦楽のあいだで、レコードの音響にこだわり続けた吉沢エンジニアの歴史を聞いた。

「A&Mのような温かい音を創りたかったんです」(吉沢典夫)

時間軸を戻して、吉沢さんに語って頂きたいんですけど。最初はエンジニアとしてアルファにお入りになったんですか?

吉沢 いや、そうじゃなくて。僕はもともとね~ビクターなんですよ。

そうなんですか。

吉沢 で、村井(邦彦)さんと会ったのも、ビクターの・・・古い話になっちゃうんだけど・・グループサウンズ時代。村井さんがザ・テンプターズの作曲をやってたんですよね。それで、大ヒットして、(何かの雑誌で見たんだけど)、村井さんが「これで音楽の仕事をやっていける」と思ったという、その曲(おそらくは「エメラルドの伝説」‘68年リリース)で自信を持ったという話なんだけど、それを担当してたんですよね。その時、僕も村井さんのことをあまりよく解らなかったけど、僕のビクター在籍中に、アルファミュージックが最初に設立した〝マッシュルームレーベル〟があって。コロムビア・レコードの中にね。で、GAROとか小坂忠、あの辺を僕はバイトでやってたのね。それで、ずぅーと繋がりがあって。

その時、吉沢さんはバイトで何をやってたんですか?販促ですか?

吉沢 違うよ。もちろん録音、エンジニアとして。だって僕はずっとエンジニアだもの。その当時は(バイトでは)珍しかったけど。村井さんはディレクターの本庄さんと一緒に組んでた訳。

コロムビアの?アルファの?

吉沢 ビクターの。ビクターの中には邦楽部とRCAとそれから・・その他フィリップス関係もあった訳。それら各洋楽も全部邦楽をやり出した。それで、フィリップスには本庄さんというディレクターがいたんだけど、その人が村井さんなんかの曲をディレクションしてたりして。その中にミッキー・カーチスさんもいた。それで結局、フィリップス関係のエンジニアを僕が担当することになったんだけど、それからのお付き合いで、録音も手伝ってくれということで、マッシュルームの制作現場に関わったんです。ビクターの仕事終わってから夜中に他のスタジオで、アルバイトしに行っていた。

ずっとレコーディングしてたんですか?

吉沢 そう。だから結局はビクターの音楽の創り方と、アルファの音楽の創り方が全然違うから、面白かったのね。

どう違っていたんですか?

吉沢 全然違いますよ!創り方が。結局、ビクターがやっていたレコーディングは、基本“書き譜”を元にしたものでしょ。だけどアルファの細野さんとかがやってるのは、書き譜じゃなくて、その時のフィーリングで・・基本パターンはあるけど、それこそドラムなんかは一発で録音するみたいな雰囲気ですよ。だからアルファの録り方は、マルチ的な録り方ね。そこがビクターとは違った。アルファで夜中レコーディングして、それでまた僕は朝9時にビクターに出勤して行ったんだよ。ビクターでは、フランク永井から童謡からクラシックまで、何でも録音したよ。録音部に所属するエンジニアって、それが仕事だったからね。ビクターみたいなメジャーな会社は、(当時は)仕事が早めに終わってたから、夜中、他のスタジオ行ってアルファの仕事やって(笑)。面白かったなー。マッシュルームレーベルに所属したアーティストの作品は、ほとんど僕がレコーディングしてた。

では、GAROとかの作品もみんな録ってたんですか?

吉沢 勿論。だからボーカル(大野真澄)なんかも凄く親しいし。・・・村井さんがある時「スタジオを作りたいね」という話をして・・アルファのスタジオを作る最初の時ね。したら、それが実現しそうなので、「吉さん、会社(ビクター)を辞めてこっち(アルファ)に来て」なんて話になっちゃって(笑)。で、「(ビクターの)部長にどうしても僕が必要なんだって説得してくださいよ」って村井さんに言ってもらって。というのも僕も、先輩が(仁義を切らずに)ビクターを辞めて出入り禁止になっちゃったのよ。それを見てる訳。だから、ビクターも出入りしたいし、色々な技術的なことも知りたいからね。で、村井さんに「部長が納得したら行きますよ」って話した。結果、晴れてアルファにエンジニアとして入ったんですよ。

ビクターのスタジオは、16chだったんですか?

吉沢 当時はねぇ・・・いや16chまだなかったんじゃないかな。

でも、アルファのスタジオAは当時最新鋭だった24chがあったんですよね?

吉沢 それが・・・一番最初アルファは16 ch仕様で全部創ってた。というのもその当時、マルチを日本で考えると16 chしかない。ところが外国は24 chが出来てた。結局16 chの仕様でアメリカへ機材を買いに行ったんですが、向こうではもう24 chを作ってる。じゃあ24 chくれって言った訳。でもアルファはお金が16 ch分しかなかった(笑)。じゃあ16 ch仕様でいいから出来たら早く送ってくれって言ったら、24 ch仕様で送ってきたの。フル装備で。だけど、結局8ch分は日本の代理店が返してくれって言うことで変わっちゃった。だってお金16 chしかもらってないんだから。まあ、仕様は全部できてるから、後はカードを入れるだけでいいってやつだから、すぐ24 chにしましたけどね。

面白い(笑)。

吉沢 ハイ・ファイ・セットかな…… サーカスか…… どっちかだったけど、ロサンゼルスのA&Mスタジオで、録音したのね。もうA&Mスタジオは24chの仕様になってるから、それ用のテープを使ってる。だけど、アルファ(日本)には、まだ16ch仕様しかない。村井さんもいい加減な人でね、「24 chのテープがそっち(日本)に行くから、機械を調達して」なんて、急に言うわけよ(笑)。MCI社の機材だったら、24chに対応できるって言うんで、僕はあまりMCI好きじゃなかったんだけど、しょうがないよね~テープが来ちゃうんだから。そういう経緯がありましたね。

そのA&Mスタジオ的な音と、吉沢さんが特にニューミュージックとして録った音は似てますよね?

吉沢 そうですかね。僕がアルファに入ったころは、主流がアメリカ・サウンドだった。ロス関係のね。その後、主流はニューヨークのサウンドになったり、イギリスのサウンドになったり変わって行くんだけど。僕らの時は、まずロサンゼルスの音ですよね・・

ウエストコーストのね。

吉沢 そう。ウエストコーストのサウンドでね。僕はA&Mのレコードは、もうアルファがA&M(の販売権)を取得する前に、キング時代からいろいろと買ってる訳。でJAZZにしてもクリード・テイラーというプロデューサーが、凄い好きでね。出てくるアルバムを待ってるくらい。そしたら、ある日の夜中、村井さんから国際電話で「吉さん、A&M取ったよ~!」って(笑)「えぇぇえっ~」って話になっちゃって、これもすげぇーなって。

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