ALFA MUSIC LIVE Special  vol. 2

Interview

ALFA MUSIC伝説のエンジニア 吉沢典夫インタビュー

ALFA MUSIC伝説のエンジニア 吉沢典夫インタビュー

で、アルファと言えば、最初に荒井由実をヒットさせたということで歴史的にも有名なんですけど。ユーミンのレコーディングはどんな風に……? 細野(晴臣)さんからリクエストとかあったんですか?

吉沢 そうじゃない。僕は村井さんから一任されてたから。村井さんが、全部「吉さんがやれ」ってことだったんだけど、仕事が凄く多くなっちゃって。結局はユーミンもやってるし、YMOもそのうち絡んできたし・・だから一応振り分けたけどね。でも、なるだけ僕がやるように。村井さんが僕のサウンドを求めてたのかどうかは知らないけれども、多分そうだったと思うんだよね。だからなるだけ僕がやるように努力しましたよね。
ユーミンも必然的に僕がやらないといけないという感じ。プロデューサーの有賀恒夫君も、ビクター時代に知ってるんですよ。顔は知ってんの。仕事はやったことないんだけど。でもちゃんとしたプロデュースやってないから、ディレクターをやってないから、いろいろ僕が教育したよね。僕は先輩だから。だから、やらざるを得ないくてやっているって感じでしたね。でも、やって面白かったよ凄く、ユーミンは。

楽曲にどのような印象をお持ちになりました?

吉沢 僕はユーミンの曲は全部好きよ。詞がいいんだ。勿論曲もいいけれど、詞と曲がマッチしてるけど、詞にともかく惚れたよね。ヴォーカルに関しての録音は大変だったけどね。

その当時はキャラメルママの演奏を1トラックずつ使っていって、バックトラックを作ってからヴォーカル入れしたんですか?

吉沢 そうそう、結局ユーミンが、今でこそ歌が上手いけど、あの当時はあんまり上手くなかったから、ヴォーカルトラックを一杯作らなきゃなんない。16chでやってるわけで、半分は・・オケはフルで使っちゃって、残り2chくらい残しておく訳。それをミックスして、なるべくそっちにまとめちゃって、それで凄く音質は悪くなる訳よ、オケの音は上がるけど。で、残ったchを全部ユーミンのために開けておくの。

ヴォーカルのためにね。

吉沢 それで1本にセレクトして、まとめて…… スイッチングをした。今でこそ簡単だけど、当時はいちいち切り換えなきゃなんなくて。いいテイクだけピックアップして、有賀君がうるさいから、それ専用のノイズが入らないような機械までうちのエンジニアに作らせて…… 大変だった。細かいパンチングすると、スイッチのノイズがチキチキッと入っちゃうの。それが無いように、エディットなんかを使って機械を作れって言って、うちのメンテナンスに作らせて。で1本にまとめてって形だよね。

ヴォーカルトラックを1本にまとめるのは大変ですね。

吉沢 大変。至難の業。だから、ヴォーカルトラックを1本にまとめると感情的な部分がが無くなっちゃうかもしれないね~。それは自分は嫌だったんだけど、ディレクターの有賀君とかがね、音程にうるさい人だったからね。

ブレッド&バターのお二人も言ってました。「ちゃんと音程を取れ」と有賀さんに言われたって。

吉沢 ユーミンは泣いてたね。僕はパンチングすると、音楽的に感情が無くなっちゃうような気がするんだけどね~。

その他に吉沢さんがご苦労なさったレコ―ディング現場ってありますか?

吉沢 それはなんてったってYMOでしょう。YMOはだって、海外ツアーまで行ってるから。

で、マルチを廻してたんでしたっけ?

吉沢 うん。あの~なんだ、一番最初は・・・・・ロンドン~ニューヨークだった。それでパリだね。で、また戻ってきてロンドンか・・。だから僕が録音が出来なかったのはアメリカだけだね、エンジニアのユニオンがうるさくてね。アメリカはユニオンに入ってないと仕事しちゃ駄目なんだって。録音は、ミック・ジャガーが考案したザ・ローリング・ストーンズのモービル・スタジオで・・ストーンズの中継車があるんだよね。それで全部廻ってたね。フランスまで。その間に、ユーミンが歌入れあるっていうんで、YMOのツアーが空いてる間に、とんぼ返りして(RECして)、すぐまた戻って・・・1週間“時差”で繰り返してたよ。最後には他の仕事がいろいろ忙しくなっちゃって、抱え込んじゃってたし、管理職だし。それで、後輩の小池に後半のYMOは任せた。YMOはあまりに待つ時間が多いんで(笑)。

YMOはセッティングに時間がかかるんですか?

吉沢 いや~駆け引き・・いろいろ・・・試行・・・譜面があって無きような世界でしょ。反面、ユーミンなんかは書き譜に近い。曲は出来てるしさ、詞もあるしさ。YMOは譜面があるようなないような世界だから(笑)、スタジオでみんなで作る訳よ。その間、待ち時間というのが、結構ねぇ(←遠い目)。僕がYMOやった時、すごく感動したのは・・それまでシンセサイザーが入ると、シンセサイザーだけポンって浮き出てたじゃないですか。それがYMOの場合は、アナログとデジタルの融合というのかな、あんなぴったり、デジタルらしくないアナログサウンドになってましたよね。だから「こんなサウンドをエレクトリックで出来るんだぁ」って、感動しましたね。
それまではあの機械・・なんて言うんだっけ・・

あっ、ムーグっていうかモーグ。

吉沢 ムーグ!そうそう、ムーグサウンド。あれが邪魔してた。ほんと、YMOはアナログとエレクトリックの融合ですよね。違和感が全然なかった

逆にその、楽ということではないですけど、楽しかったレコーディングで覚えてることはありますか?

吉沢 そう言われるんだけど、みんな楽しかったのよ~

そうですか!

吉沢 ほんと楽しかったね。だから現役を辞めるのが大変だったのよ。自分で(笑)だけど僕が一生懸命頑張っちゃうとさ~下の人が十何人もいるんだからさ、それはかわいそうでしょ、みんなに少しずつ仕事を分けて、なるだけ手を引いていって。管理の方が結構忙しかったから。
あの、よく覚えているのは村井さんが細野さんと密接に組みたがったんで、「細野さんのためのスタジオ作ってやってくれ」って指示されて。じゃあ、細野さんの意向を全部聞いて、機材にしても、レイアウトにしても。そこに立花ハジメさんと(高橋)幸宏さんが入ってきて、3人でやって。立花さんがデザイン関係なんか全部やってたけど、デザインしたものを建築家と話しさせて~機材関係はともかく当時はヨーロッパ関係〜どっちかというとイギリスサウンドが主流だったんだね。だからアメリカの機材は駄目。全部ヨーロッパの機械を入れてくれって話になった訳。でも限られちゃうんだよね、ヨーロッパだと。だから日本で初めて入れたような機械も入ったよね。スピーカーとかマルチテープはスチューダーがあったんだけど、デカいから細野専用スタジオには入らないし……思案したよ。

それが音羽のLDKスタジオだったんですね?

吉沢 そう。細野さんが、そこで寝泊まりまでできるようにしろっていうんで(笑)。それでヨーロッパのトライデンというコンソール入れたんだよ。これも結構音が良くてね。あまり大きなコンソールではなかったんだけど。そういうことも指令されましたね。

吉沢さん個人で好きな音の傾向はどんなものなんですか?

吉沢 うーん、やっぱりA&M系だろうね。具体的に言えないけれど、ともかく暖かい音を創るということが基本ですよね。アルファがスタジオを作る前は、体育館みたいな、味も素っ気もないようなスタジオが多かった訳。そこで村井さんが、「こういうスタジオで録音してもいい音は録れないよね」って話になって。で、アメリカに行っちゃおう!と(笑)。それが、アルファの原点のような気がするね。

ということは、A&Mとアルファが契約したことは、吉沢さんにとっては奇跡的なことだったんですね。

吉沢 奇跡だった!僕が初めて「契約取れた!」って話を聞いたんだもん、国際電話で。それに、僕はA&Mのレコードは常に買ってたもん。

吉沢さんにとって、アルファ最良の想い出って何ですか?って聞かれたら?

吉沢 アルファね~僕は好きなようにやらしてもらったからね。金にも厭わず。スタジオ作った時も金はいくらかかったか解んないね~。でも全部稟議が通っちゃうんだよ。よくあのお金が出たなぁって(笑)。機械にしても何にしても、真っ先にあれを買うとか・・全部稟議通っちゃうって・・稟議で1回も落ちたことないんじゃないかな~いかに信頼されてかたって思うよ。だから、僕にとっては、全部がいい思い出ですよね。

なるほど、いいお話をありがとうございました。

吉沢 ちゃんとした話しじゃなくて、すみませんでした。くだらない話で。ありがとうございました。

取材・文 / 佐伯明 撮影 / 藤城貴則(except::吉沢典夫)

吉沢典夫(よしざわのりお)

1945年東京都生まれ。ビクターレコードのエンジニアを経て、アルファ・ミュージックに移籍。荒井由実、GARO、小坂忠に始まり、YMOに至るまで、ALFAサウンドの礎を築いた。現・エイエステイ マスタリング スタジオズ代表取締役。

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