ALFA MUSIC LIVE Special  vol. 4

Interview

リハーサルレポート 大野真澄(元GARO)

リハーサルレポート 大野真澄(元GARO)

「フォークって言われた時に、僕達はフォークやってないっていう反発があった」(大野真澄)

大野真澄。65歳。もとGAROのボーカリスト。CSN&Yを彷彿とさせるテクニカルな演奏と楽曲で人気を博したが、最大のヒット曲は、皮肉にも、すぎやまこういち & 山上路夫という職業作家による「学生街の喫茶店」だった。
当時の音楽家としての葛藤と、未だ忘れられぬバンド時代を、ボーカルが語る。

GAROが出来る時には、モデルになったバンドとかはいたんですか?僕は、やっぱりバッファロースプリングフィールドとか・・・

大野 バッファロースプリングフィールドは「はっぴいえんど」ですよね。

では、CSN&Yですか?

大野 クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングですね。

そうか。ということは、アコースティック・ギターとコーラスというのが発想のメインにあったんですか。

大野 基本はそうですよね。「はっぴいえんど」の音を聴いた時、バッファロースプリングフィールドだなぁって思いましたけどね。ジャンル的にはバッファローですよね。

そこからまた違うテイストを身に付けようと、GAROはした訳ですか?

大野 「はっぴいえんど」は意識していなかったです。基本はCSNみたいな感じですよね。だから1枚目のアルバムは、それ風なものを創ったんですけど、全体がそうなったかどうかは解らないですよね。聴き手がどう思うかですから。僕たちがそのつもりでも、聴いてる方がどう思っているか解らないから。

でも、やっぱりコーラスとアコギが・・特にGAROの場合はギターワークが、突出してたじゃないですか。

大野 僕を除くメンバー二人は、いわゆるグループサウンズの時代からやってたんですよね。二人ともエレキのリードギタリストなんだよね。メインは歌ではなく、あくまでもリードギター。日高(富明)は松崎しげるのバンド・ミルクのリードギター、堀内(護)は、由美かおるのバックバンド「エンジェルス」のリードギターで、やはり上手かった。どちらかというとロック系。だから僕達自体がフォークって言われた時に、僕達はフォークやってないんだよねっていう反発があった。まあ、当時はアコースティック持って音楽やってると、みんなフォークって言われちゃう時代だったんですよ。僕達は結成した当初から、僕ら3人+サポートメンバーで、ドラムが高橋幸宏、ベースが小原礼でやってました。前半は3人でアコースティックのみでやって、後半はギターをエレキに持ち替えて5人でのライブ。だからクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの前座を日本武道館でやらせてもらった時も同じスタイルでやりました。

CSN&Yのカヴァーなどもやったんですか?

大野 そう、当時のお客さんはCSNをよく知っていて、それで盛り上がってくれてね。あれはいい経験でした。その直後に浅間山荘事件がありましたね。1972年の2月の頭頃ですね。「学生街の喫茶店」のレコーディングしたのもちょうどその時期ですよ。世の中が僕らのことをフォークバンドと思っていたかどうか、よく解らない。ただしロックバンドとも思ってなかったみたいなね。僕たちはいろんな事情があって、ヒットした段階で事務所が代わったんですよね。で、事務所が代わった直後に「学生街の喫茶店」が、オリコン・チャートの1位になった。それからTVの仕事がやたらと増えてきましたね。

「学生街の喫茶店」は山上路夫さんと、すぎやまこういちさんの詞曲じゃないですか。それを聞かせてもらって、出す、レコードにするという時には抵抗みたいものはなかったんですか?

大野 大変でしたよ。そもそも「学生街の喫茶店」は2枚目のアルバムの中の1曲でした。実は東京音楽祭の第1回目に村井邦彦さんの曲で出品したいってことで、村井さんの「美しすぎて」という曲が出来てきました。その後、どういう訳か、2枚目のアルバム全体がプロの作品+洋楽のカヴァー曲ということになってしまいました。そして、その中からA面を「美しすぎて」B面がプロデューサーのミッキー・カーチスさんの提案で「学生街の喫茶店」になりました。このシングルはとても良い作品であったのにも関わらず、発売(72年6月)当初はそれほど話題にならなかったんだけど、どういう訳かTBSの番組でB面が“今月の歌”に選ばれて、(吉田)拓郎がラジオでよくかけてくれたりして、北海道から徐々に火がついていったんです。73年の春先に「学生街の喫茶店」が7週連続1位になったんだけど、その間、僕は病気して入院してました。僕がいないのに、GAROはTVにバンバン出てましたね(笑)。

アルファ時代の想い出は何かありますか?

大野 アルファは“スタジオA”というのを田町に作ったんですね。それまで僕達は目黒にあったモーリスタジオを使っていて、コンソールは16チャンネルだったんだけど、スタジオAは24チャンネルでした。それでもコーラスは相変わらず一発録りでしたが、再生される音を聞いて「ずいぶんと、ふくよかな音になったな」と感じましたね。新しい機材もいろいろ入ってきて、「へー、ディレイをかけるとこんな音になるんだ?」って、駆り立てられるような時期ではありました。まだシンセサイザーが入ってくるかこないかって時代ですからね。まあ面白かったですよ。

GAROはプログレ(ッシブ)っぽいとこもあったし、ハードロックみたいなところも音楽性にはあったから。

大野 3人ともビートルズが好きなんですよ。だから、みんないろんな音楽が好きで、向こうのフォーク系の音楽も聴いていたし、映画音楽も好きだったし、CSNももちろん好きだし・・・でも音楽のデパート的なところがビートルズですよね。ビートルズってビートルズというジャンルだもんね。

そうですね~

大野 ビートルズは何でもやってるじゃないですか。

そう。ほとんどのことやってますね。

大野 ほとんどのことやってるから、ハードロックからフォークから、ヴォードヴィルからクラシックから全て入ってるでしょ。ミュージシャンってどんな音楽も好きだって人が多いし、そういう人達って結局みんなビートルズを目指してるんじゃないかな?って思うんだよね。

今日はALFA MUSICのイベントのためのリハですけど、皆さんとリハをやってみての体感というか、感覚は?

大野 凄い上手いバンドだね。だから楽ですよね。今回は、いつものライブと全然違うし、緊張感はあります。リハを最初やった時にちょっと緊張してたんですけど、すぐにほぐれました。知ってる顔が、昔の40年前の顔でしょ。40年前からいる人たちがしっかりいたから、なんかホッとしましたね。

では、ライブ当日を楽しみにしています。どうもありがとうございました。

interview&text / 佐伯 明 photo / 藤城貴則

大野真澄 Masumi Ohno

1949年10月23日 愛知県岡崎市生まれ
1970年11月、3人組グループ「GARO」を結成。「ボーカル」の愛称で親しまれる。 73年、「学生街の喫茶店」が大ヒットする。同年、日本レコード大賞•大衆賞を受賞するなど、5年間の活動中にオリジナルアルバム8枚、ベストアルバム2枚組1セット、シングル盤12枚を発表するという活発な音楽活動を展開。75年、解散。
GARO解散後の76年にはソロ活動に入る。同時に作家活動も開始。同年、夏、あおい輝彦に提供した「あなただけを」が大ヒットする。
その後も多岐にわたる、音楽ジャンルでプロデューサーとしても才能を発揮する。現在は東京では六本木スイートベイジルでのソロライブや、数多くのアーティストとのジョイントライブを行うなど精力的に活動を続けている。
その中でも、「伊勢正三•太田裕美•大野真澄」の3人で行っている「アコースティックナイト」コンサートは、各地でチケットが完売してしまうほど好評を得ており、2013年現在180回を突破。今後も全国各地で開催される。
2009年1月14日 デビュー40周年を飾る、初のセルフ•カヴァー&カヴァー曲集「VOCAL’S VOCALS」発売。同年10月28日には東京・赤坂BLIZにて還暦記念コンサート「AS NOW 〜WHEN I’m 60〜」を、ソロデビュー当時バックバンドを務めていたTHE ALFEEとともに開催。
また長年コンサートでのみ演奏されていた楽曲「ワンパイントのラム酒に乾杯」にリクエストが殺到、還暦コンサートに合わせてCD化され、好評を得ている。

vol.3
vol.4
vol.5