時代を映したポップスの匠たち  vol. 1

Column

異例づくめだったユーミンの「ひこうき雲」の登場

異例づくめだったユーミンの「ひこうき雲」の登場

子供のころは、年賀状に新春という文字が入っているのが不思議でならなかった。春といえば、3、4、5月と学校で教わったはずなのに……。

しかし後に辞書を調べてみると、理由は簡単だった。旧暦では1、2、3月が春なので、それにならって新春と言っているのだ。そこから転じて、春は比喩的にはじまりや最盛期を意味する言葉として使われていることも知った。たとえば「わが世の春」「春のめざめ」などなど。
語源が同じなのかどうか、「春」という言葉には、「根が張る」のように、外に広がって出る、伸びて出てくるという意味の「張る」に通じるところもある。「冬」が眠りや死の象徴とみなされることが多いのに対し、「春」は再生や誕生の象徴とみなされることが多い。
古代の人々は、春という季節に起こる自然界の現象にきっと神秘的な力を感じていたにちがいない。いや、現代人でも、春に草木が芽吹いたり、動物が冬眠から覚めたりすることに驚きをおぼえる人は多いだろう。キリスト教世界の復活祭=イースターが、春に行なわれてきたのも、いわれのないことではないのだ。

ユーミンが荒井由実名義でデビュー・アルバム『ひこうき雲』を発表したのは1973年11月20日のことだった。そのアルバムの歌詞カードには収録曲とは別に「誕生日」という詩が掲載されていた。発表は晩秋でも、これから新しいものが生まれる、新しいものを作っていくという抱負が感じられるしつらえだった。
このアルバムの冒頭に入っているタイトル曲「ひこうき雲」は、いまでは知らない人がないスタンダードだが、発表されてすぐにヒットしたわけではなかった。最初にシングルで出たときはA面扱いではなく、B面だった。それでもユーミンのコンサートでは初期から一貫して人気の高い曲だった。

2013年には、宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』のテーマ曲に使われ、発表から40年たってもこの曲が色あせない魅力を放っていることが証明された。本人だけでなく、aiko、一青窈、小谷美紗子、畠山美由紀、松浦亜弥、雪村いづみなど、いろんな歌手にとりあげられ、合唱曲としても広くうたわれている。

ご存じの方が多いと思うが、ユーミンの自伝『ルージュの伝言』によれば、彼女が高校生だったときに、近くの団地で高校生の自殺事件が起こった。それとは別に小学校の同級生が亡くなり、その葬儀に参列したこともあった。それをきっかけに「若いときの死」について感じたことから、この歌が生まれたのだという。

当時、死にまつわる歌は非常に珍しかった。いや、今でも多くはないだろう。演劇やテレビドラマや映画では、事件や病気で人が亡くなる作品はいくらでもあるが、なぜかポップスには少ない。昔の伝統的なはやり歌はそうでもなかったが、1930年代にレコード歌謡の時代が本格化して以降、戦時歌謡や股旅ものを除けば、死にまつわる歌は忌避される傾向が強まったからだ。

前例でいえば、1960年の「アカシアの雨がやむとき」、1964年の「愛と死をみつめて」、1965年の「死んだ男の残したものは」、1972年の「喝采」など、広く知られている曲は数えるほどしかない。

「アカシアの雨がやむとき」は、失意のあまり死にたいとうたわれる歌で、発売されたときはそれほど話題を呼ばず、時間をかけて人気が定着した。反戦歌の「死んだ男の残したものは」は、うたごえ運動やフォークのレパートリーとして静かにうたい継がれ、いまでも知る人ぞ知る存在だ。恋人が病気で亡くなる「愛と死をみつめて」はベストセラー小説の映画化にともなって作られたから、ある意味、話題になることは予想できた。亡くなった人の思い出を胸に舞台に立つ「喝采」は人気歌手のちあきなおみが力わざでうたい切った作品だった。「アカシアの雨が止むとき」では歌の語り手の気持ちが、「愛と死を見つめて」と「喝采」では、故人と関わりの深い歌の語り手の悲しみがうたわれている。しかしユーミンの「ひこうき雲」の語り手は、歌謡曲の先例より「死んだ男の残したものは」に近く、感情を秘めてはいるが、あらわにせず、死んだ子が空に昇っていったことを、淡々と告げるのだ。

子供が雲になったかどうかは、そして雲になった子供の気持ちは、実のところ誰にも「わからない」。しかし語り手は唐突に「だけどしあわせ」とうたう。子供がなくなったことと「しあわせ」という言葉は、普通では結びつかない。しかしこの「しあわせ」は、子供の死に遭遇した家族や友人の悲しみを、子供が憧れていた天に昇っていったとみなすことで、少しでもやわらげる呪文のような文脈でうたわれている。その意味でこれは鎮魂の歌であり、精神的な面に注目すれば、仏式の葬儀で浄土への旅を願って僧侶が唱えるお経に近い。

それにしても、冒頭にこの曲を置き、タイトルにまでしたのだから、これは異例のデビュー・アルバムだった。作ったユーミンもすごかったが、決断したプロデューサーも勇気があった。
ただし、あまりにも耳になじみやすく歌われるので、当時はこの曲がどれだけ画期的なアルバムのはじまりを告げているのかに気付いた人は少なかった。先鋭的なロックに夢中だったぼくもその例にもれず、このアルバムはポップすぎるように感じて、高い評価を与えなかったから、自分の耳の節穴ぶりに冷や汗が止まらない。

文 / 北中正和



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