ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 25

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来日公演のスクープ記事による思わぬ誤算

来日公演のスクープ記事による思わぬ誤算

第3部・第24章

石坂範一郎はビートルズの来日公演に関して、交渉が進んだあかつきには協同企画(現・キョードー東京)のプロモーター、永島達司に一切を任せたいと考えていたようだ。敗戦後の日本で進駐軍を相手に仕事を始めたプロモーターのなかでも、「約束したことは必ず守る」「嘘をつかない」「ギャラを値切らない」と、永島の評価と信用は特に高いものがあった。また「エリザベス女王みたいな英語をしゃべる」と、海外のプロモーターからも永島は称賛される存在だった。

東芝レコードの関係においても超大物だったナット・キング・コールが初来日した際、彼に惚れ込んで親友になったことを範一郎は知っていた。そんな永島が1965年の1月、ベンチャーズとアストロノウツの来日公演を大成功させ、空前のエレキブームに火を付けたことで、東芝レコードには大ヒットがもたらされた。この年の春からベンチャーズのレコード売上は急増し、ビートルズをも凌ぐ数字になっていき、特に来日公演の模様を収録したライブ盤『ベンチャーズ・イン・ジャパン』は大ヒットした。

ベンチャーズ・イン・ジャパン

東芝レコードが取り扱っていたマット・モンローやキングストン・トリオの来日公演も手がけていたので、両社はコンサートとレコードのプロモーションを連動させる機会も増えていた。したがってビートルズの来日公演の招聘と運営を永島に引き受けてもらうことについて、範一郎は当然のことと考えていたはずだ。そうなると他のプロモーターは障害物にしかならない。

そして範一郎には気にかかる障害物がもうひとつあった。それはビートルズをめぐって流される、拙速な憶測記事や噂の類である。それらが青少年の非行化などの社会現象や、スキャンダラスな事件に結びつけられて、マスコミで騒がれることが問題だった。事件そのものは止めることが出来ないが、交渉段階での内部情報が外に漏れることで、必要以上にクローズアップされることは避けねばならない。ビートルズの来日公演に関して、東芝音楽工業が深く関与していることについては、できるだけ伏せておきたい理由があった。範一郎が気を使わねばならない相手は、ソフトビジネスを理解できない親会社、「大東芝」の実力者や経営者たちだったのだ。

しかし日頃からマスコミにニュースを提供するのは、レコード会社の洋楽担当者にしてみれば宣伝における基本だ。マスコミで取り上げてもらうために、ちょっとした噂や話題を作るのは洋楽宣伝の常套手段だった。読者やリスナーが喜びそうな情報を、新聞や雑誌、ラジオで広めてもらうのを急に封じ込めてしまうわけにもいかない。ビートルズの来日は大きなニュースになるから、そのあたりのさじ加減はなかなか難しい。

範一郎が準備していた来日公演の情報がスポーツ紙に大きく載ったのは、1965年2月16日のことだった。それまでもたびたびビートルズに関する話題を提供してきた『日刊スポーツ』が、「ザ・ビートルズ今秋来日?」という独占スクープ記事を出したのだ。しかもそこには「東芝 実現に力コブ」という、困った小見出しが付けられていた。あたかも電機メーカーの「東芝」がビートルズを招聘している、読者にそんな誤解を与えるタイトルだった。

最近になってザ・ビートルズの側から①8月末までスケジュールが詰まっているが、秋のスケジュールは未定である②いままでの外国公演の例から見て受け入れ側が警戒態勢に万全を期せられたい③宿舎についても同様、ファンとの接触を避けるためワン・フロアを占有できればいい、といった条件がとどけられて、ザ・ビートルズ来日の実現性がこくなった。
〈略〉
日本側に送られてきた交渉文書には、たとえば「25人以上の警官の派遣」あるいは「常に着用洋服が引き裂かれるため、着替えの用意」、また「少なくとも3千人以上収容の会場」「ホテル周辺の警戒」といった、いままでの契約交渉には見られない細かい点を指摘してきている。
(『日刊スポーツ』1965年2月16日号)

数字を盛り込んだ具体的な内容から察するに、この記事は当事者の東芝レコードもしくは委嘱されたプロモーターが、話題作りのためにパブ記事としてニュースを提供したかのように見える。そこに当事者の言葉として、範一郎のこんな微妙なコメントも掲載されていた。

招へいできればいいと思っているし、また交渉を始めたことも事実だ。だが、実現できるかどうかは何ともいえない。8月末までは、彼らのスケジュールがつまっているから、もし実現できるとしてもそれ以降になるだろうが、呼びたいということと、実現性があるということは別問題だ。
(同上)

万事において慎重だった範一郎の行動を考えると、「交渉を始めたことも事実だ」との言い回しや、「実現性があるということは別問題」という発言からは、しぶしぶと認めたようなニュアンスが感じられる。実際に範一郎はこのとき、7月上旬から単身でヨーロッパ各国を周り、ロンドンのEMI本社を訪れる準備をしていた。当然ながらそこではビートルズの来日についての交渉が、重要なテーマだったと推測できる。東芝レコードの株主でもあるEMIを通じて、ビートルズ側との交渉が進められていたに違いない。

もしもロンドンでの交渉が順調にすすめば、範一郎が帰国するタイミングで公演を発表する、そんな青写真まで描いていたことも考えられる。しかしそうした思惑には、日刊スポーツのスクープとそれを追随するマスコミ各社の報道によって、急ブレーキが掛かることになってしまうのだ。

夕刊紙の『スポーツ毎夕』(現在は廃刊)がビートルズの来日について、「10月が濃厚」だと報道したのは3月下旬だった。

10月のうち3日間滞在で東京が2日間1日2回興業、会場は7000~1万人収容ということから東京都体育館、武道館などを物色、入場料も1000円から3000円の3段階制、公演日も対象ファンを考え、土、日曜といった内容ですすめておりエプスタイン氏も「希望にそうよう努力する」とかなり協力的らしい。
(『スポーツ毎夕』1965年3月26日号)

これと同じ要旨の記事が3月24日、『日刊スポーツ』と『東京スポーツ』にも載った。“エプスタイン氏も「希望にそうよう努力する」とかなり協力的らしい”という書き方からしても、東芝レコードの内部情報に基づいていると思われるものだった。しかも候補として武道館という会場が明らかにされていた。

その後も4月8日の『東京スポーツ』が、来日公演の開催日は10月10日だと特定している記事を出している。そのために東芝レコードに問い合わせが相次ぎ、直に会社を訪ねてくるファンも現れて日常の業務に支障が出るほどだったという。

4月下旬に発行された芸能誌『週刊平凡』には、ビートルズのアメリカ公演を成功させたゼネラル・アーツ・プロダクション(ZAC)が、日本のプロモーターと組んでビートルズの日本公演を開くという記事が載った。一般紙でも『東京新聞』の5月4日夕刊に、10月来日の噂が高まっているという文章と、それにともなう興業各社の激しい争奪戦が記事になった。

そこでは招聘元の最有力候補が東芝音楽工業であり、10月10日前後の東京都体育館のスケジュールを押さえていること、名乗りを上げているプロモーターとの間でしのぎを削っていることが書いてあった。

こうしてマスコミの関心はますます高まり、範一郎が危惧していた方向に事態は傾きつつあったのである。

そこに音楽誌『ポップス』の5月号で、「英国EMIの了解は取りつけており、ギャラやスケジュールなど実務面の調整を残すだけだ」と、東芝音楽工業の石坂専務から得た情報だという記事が掲載された。5月20日にも『デイリースポーツ』が、「ビートルズ来日か 10月ごろ 東芝が直接交渉」という見出しの記事を出した。ここでも「東芝が直接交渉」と、「東芝」の文字が目立っていた。

新聞や週刊誌がビートルズを取り上げるたびに、東芝レコードや東芝音楽工業ではなく、「東芝」という単語が見出しに躍るようになっていった。具体的になっていくビートルズ来日公演のニュースに、日本を代表するエリート集団を自負する大企業、東芝の幹部たちは穏やかな気分でいられなかっただろう。

東芝にとって、東芝音楽工業は最も規模が小さい子会社のひとつでしかないのだ。当時、一日の売上が10数億円とも言われていた巨大な電機メーカーである東芝と比較すれば、まさに吹けば飛ぶような存在だった。それにもかかわらず度を越した熱狂で世間のひんしゅくを買ったロカビリー以来、少年鑑別所の歌「ネリカン・ブルース」の発売禁止や、青少年の不良化の象徴として槍玉に挙げられるエレキブームと、イメージの良くない話題で頻繁にニュースで名前が出ていた。水商売という言葉でくくられる問題児の東芝音楽工業は、先の経営危機もあって一段も二段も低い地位に見られていた。

しかもその頃はエレキブームが過熱していたので、青少年の非行化問題の元凶のようにも言われていた。だからビートルズ来日のニュース報道はファンにとっては朗報でも、エリート集団の「大東芝」にとって迷惑な騒ぎだという面があった。苦々しい思いを持つ幹部が、少なからずいたのは確かだった。

→次回は1月23日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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