ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 26

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ビートルズがエリザベス女王からMBE勲章を授かることになった経緯

ビートルズがエリザベス女王からMBE勲章を授かることになった経緯

第3部・第25章

ビートルズにMBE勲章を与えるという動きは、ウイルソン首相の周辺から始まったものだった。1963年に労働党党首に当選したハロルド・ウィルソンは、翌64年の総選挙で労働党が勝利したことで首相に就任した。彼の打ち出した政策は富裕層へ向けて重税を課すことと、選挙法を改正して18歳以上の男女に選挙権を与えるというものだった。

ウィルソン首相がビートルズを推挙したのは、その年の外貨獲得に大きく貢献したというのが表向きの理由だが、新たに選挙権を得る若者から支持を得ようとした意図は明白だった。なおウィルソン首相はビートルズと同じ、リヴァプールの出身でもあった。

ジョージ4世が1917年に制定したMBE勲章は、市民に授与される5階級のうちでは最下級の勲章で、主に軍人に与えられていた。したがってそれほど権威があるというものではなかった。しかし労働者階級出身で20代のロック・バンドのメンバー全員が、勲章を授かること自体が前代未聞の出来事で大きな話題になった。

これの内情について、ジョン・レノンはこう語っている。

M.B.Eをもらう前、王室から受けとるかどうかきいてきたんだ。正面から拒否されると困るから、まず探りを入れたってわけだ。 ブライアンに手紙を持っているかってきかれるまで、ぼくは王室からの手紙をファンレターといっしょにほうっておいた。ブライアンやほかの連中に、勲章をもらうってことはビートルズにとって大きなメリットだって説得されたんだが、ぼくにとって偽善以外の何でもなかったね。 だけど正直な話、うれしかったよ。だから受けたんだ。
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バリー・マイルズ編 吉成伸幸訳 石坂敬一監修
「ビートルズ語録」
シンコーミュージック

「OHMS(公用)」という封筒が届いた時、ジョンは徴兵令状を受けたような気がしたという。そして勲章を受け取るのを断ろうと思い、その封筒をファンレターと一緒にして放っておいた。政治家が若者の人気を得ようとする下心を、ジョンはとっさに嗅ぎとっていたのだろう。だが「偽善以外の何でもなかった」にもかかわらず、ジョンが受けることにしたのは、マネージャーのブライアンの意向が強く反映されていたからだった。

ブライアンは「勲章をもらう権利書のようなものだから」と、ジョンを説得して封筒を探させた。ジョンも王室や首相の意向を拒絶したとなれば、ビートルズにとって打撃が与えられるであろうことを知っていた。どっちにしても国家権力から逃れるすべはなかったのだ。

その結果、ビートルズは10月26日にバッキンガム宮殿で行われる授与式に出席することになった。10月は年末に発売するアルバムのために、レコーディングを行わなければならない時期で、そこに何よりも優先される授与式が入ったのだ。これで石坂範一郎が計画していた10月の来日公演は、スケジュール面であきらめなければならなくなったと考えられる。

イギリスで6月12日にビートルズの叙勲が発表になったというニュースは、日本でも直ちに報じられた。それは一部の大人たちに、少なからぬショックを与えることになった。伸ばした長い髪の毛をキノコ型にして、エレキギターをかき鳴らしながら喧しくてわけがわからない歌を歌っている。そんな連中がエリザベス女王から、直々に勲章を授かるというのである。

日本の大人たちはここで初めて、「ビートルズって何なんだ?」と関心を持ち始めたとも言える。このときは叙勲の是非をめぐって、海外でもあちらこちらで論争が起きていた。カナダのヘクター・デュビュイ下院議員は、「英国王室は私を『卑しいバカ者と同じ地位』までおとしめた」と非難した。本国のイギリスでも過去の受賞者たちが、勲章を返上する騒ぎになった。それを日本の新聞が、一斉に報道したのである。

ビートルズの広報担当だったトニー・バーロウは、すぐに正式な記者会見を開いている。そしてジョン・レノンがそうした騒ぎに対して、見事な切り返しでこう言い放った。

多くの叙勲者は、戦争でたくさんの人を殺したことで栄誉を得ている。音楽で世界中のたくさんの人を楽しませて、僕たちは勲章をもらうんだ。どちらが正しいか分かるだろう?
(同上)

ビートルズMBE授与のニュースは、あらゆるメディアを通じて全世界に報道された。英国王室好きの多いアメリカでは、8月のコンサート・チケットの売上を急増させる効果があった。

範一郎はロンドンを訪れてみて、ビートルズが女王陛下からMBE勲章を与えられることに対して、イギリスの国民がおおむね肯定的だったことを知ることができて安心したに違いない。外貨を獲得して国に貢献したという事実だけでなく、叙勲そのものを上流から中流の階層の人たちが、支持していることがわかった。そのことを現地で確かめることができたのだ。

これは日本のマスコミや大人たち、あるいは頭の硬い経済人や役人の理解を得る突破口になり得る。そう考えていくとスケジュール的に10月が難しくなったのは、かえって好都合だったのかもしれない。英国王室がビートルズに好意的だということも、日本の皇室との関係に置き換えてみれば、政治家や官僚たちの理解や協力が必要となるときに役に立つはずだ。頭の硬い「大東芝」の幹部たちも、英国女王の権威の前にはそれなりに敬意を払わざるを得ない。

石坂泰三は1964年から小泉信三の後を受けて宮内庁顧問に就任し、天皇陛下のご相談係となって定期的にお話し相手を務めていた。最も天皇陛下に近い民間人のひとりが、泰三だったのである。範一郎はここから会場として日本武道館を使うことも、はっきりと視野に入れたのだろう。

泰三の大学時代の仲間だった正力松太郎が、武道館に対して圧倒的な影響力を持っていた。また建設資金を出した東京オリンピック資金財団の会長を経団連の泰三が務めていた。東芝は正力の日本テレビや読売新聞にとって、最も有力な広告主という関係になる。

そんなことに頭をめぐらせば時期をあらためてもう一度、ビートルズ側と来日公演の交渉をする元気が出てきただろう。来日公演で叙勲がプラスになる可能性を念頭において、範一郎は1966年に向けて計画を立て直したに違いない。

おそらくは英国王室や天皇家までつながる話だから、泰三に動いてもらう場面もあるだろう。本当にビートルズの日本公演を実現させるためには、久野元治会長とともに泰三の理解を得なければならなかった。そのためにもこれまで以上に、徹底した情報管理が必要だと感じていたであろう。

→次回は1月26日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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