山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 5

Column

「満月の夕」〜中川敬との22年〜 【後編】

「満月の夕」〜中川敬との22年〜 【後編】

HEATWAVE 山口洋がこれまでに出逢ったミュージシャン、R&Rの魔法について書き下ろす好評連載。
1995年に誕生した「満月の夕」をめぐる長い物語、後編。


空港のロビーで22年前のことを振り返っている。

何かとてつもないことを経験したとき、人はトラウマになることを避けるため、脳が記憶することを拒否したりするのだろうか? あの日々は、強烈な体験として脳に記録されていて、決して忘れることができないのに、妙に現実感がなく、時系列もディテールも曖昧だ。

ただし、少しプライベートな話を書かなければ、この歌に関する正確性がさらに失われる。だから、気恥ずかしいけれど、書いてみることにする。これもまた、今まで語りたくなかった理由のひとつなのだけれど。

1995年1月17日。

僕は神戸出身のガールフレンドと東京で暮らしていた。だから、2人で受けた、あの朝の衝撃を言葉にするのは難しい。修羅場に強いはずなのに、何も覚えていないのだ。あの朝のことを。おそらく、激しい動揺を彼女に悟られないようにふるまったのだろう。長田区と須磨区の境目にあった彼女の実家にどうやって連絡し、無事を確認したのかもまったく記憶にない。

僕らはのほほんと暮らしてきたのだ。戦後の高度成長時代に育ち、貧困にあえいだことはないし、戦火をくぐったこともない。そんな僕らには、テレビに映しだされる光景が超ド級の衝撃だったのだ。彼女の家族の安否という、リアルに自分たちが関わる現実として。家屋や高速道路やビルが無惨に倒壊し、あちこちから火の手が上がり、人々は泣き叫んでいる。

助けなければ。僕はテレビを観ていただけの立場からあの歌を書いたことになっているが、実は違う。かなり早い時期に、僕は神戸に入ったはずだ。交通機関はまだ殆ど回復しておらず、中川敬とその仲間たちに、車で三宮あたりまで連れていってもらったはずだ。

大阪から神戸に近づくにつれ、状況は衝撃的に悪くなっていく。後に『NEWS23』に出演したとき、故筑紫哲也さんに伝えた言葉だけれど、僕らの世代が教科書でしか見たことのない風景が拡がっていく。彼女の実家は道一本を挟んで長田区。そこはあたり一面が焼け野原だった。

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生死を分けるもの、運命というあまりにもむごく、気まぐれなイタズラ。三宮から彼女の実家まで歩いたのだろうか。テレビが切り取る風景と、自分の目で見たそれはあまりにも違っていた。むごすぎてリアリティーがなかった。焼け野原にある、ひとつひとつの事象、例えば焼けたコップひとつ、とか。突き刺さってくる。僕は自分の目で見たものしか信じられなくなった。救出というミッションがなければ、自分を保てたかどうかも甚だ怪しい。

中川敬と仲間たちは傷ついた街で演奏することを始めた。それは特筆に値する行動だった。電気が通っていないからマイクもない。そんな状況で彼らは焼け跡という人々の暮らしと同じ高さのステージに立っていた。僕にはそこで歌う勇気はなかった。自分の歌が誰かを励ますとは到底思えなかったし、行動はできるだけ一人でしたかったからだ。

多くの日本人と同じように、僕も自分ができることを探した。僕はミュージシャンになる前にテント屋でアルバイトをしていた。小さなものからサーカス並みの巨大なものまで。だからテントの設営には自信があった。マネージャーとともにクイとハンマーとロープを持ち込んで、ボランティアセンターのテントを張り直し、補強した。僕が手がけたテントはビクともしなかったと、後に感謝されたけれど、できたことはそれだけだ。

一方、中川たちは傷ついた人々を励ますため、古い歌などのレパートリーを増やし、前にも増して、活動の幅を拡げていた。

震災からひと月くらい経った頃だろうか。僕はくだんのAメロにサビをつけたので、中川に電話した。すると彼はこう言ったのだ。「あの曲な、サビつけて、もう神戸で歌ってるで !」。これは共作における明確なルール違反だ。サビはお互いが作って連絡しあうことになっていたのだから。いい気分ではなかったが、彼らがどんな想いで、被災した街で演奏しているのか、僕なりに理解していたから、その気持ちを飲み込んでこう言ったはずだ。「その歌を何でもいいから録音して送ってくれ」、と。

送られてきたテープを聞いて感嘆した。素晴らしかった。それは「満月の夕」と題されていて、あの現場を深く経験したものでなければ書けない歌だった。僕が作ったサビより遥かに素晴らしかった。ただし、この歌詞は僕には歌えない。僕が感じたリアリティーとはかなり違うものだったから。

あのとき、二種類の日本人がいた。行動した者と、テレビを観ていただけの者。正確には僕はその中間くらいの存在になるが、後者の立場から歌を書こうと思った。誤解を怖れずに書けば、被災した人たちだけが傷ついたのではない。何もできないと自分の無力さを責めている人たちがたくさんいることも僕は知っていた。

同じ曲に歌詞が異なるヴァージョンが存在する曲なんて聞いたことがない。けれど、そこは半ば強引に中川にねじ込んだ。もともとルール違反を犯したのは彼なのだから。

仕事部屋でHEATWAVEヴァージョンの「満月の夕」の演奏を聴きながら、歌詞を書いていた。そこにガールフレンドが入ってきて、こう言った。「この曲はほんとうに素晴らしい。たくさんの人を励ますはずだから、どうしても完成させて欲しい」。彼女が僕の音楽に何か意見したのは後にも先にもこれ一回きり。それだけでも書いた意味があると、今でも思っている。僕が描いた光景はテレビが切り取った風景ではない。自分の目が見たもので、傷ついた彼女にも届けたかったのだ。再生の歌として。

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ふたつのヴァージョンはそれぞれのレコード会社からシングルとして発売された。共作の証として、互いのヴァージョンにゲスト参加したが、セールスは決して芳しくなかった。互いに6,000枚ほどだったはずで、このシングルを最後にHEATWAVEはソニーから戦力外通告を受けた。

しばらくの時間を置いて、いろんな人がこの歌を歌ってくれるようになっていった。始めは中川のヴァージョンが多かった。そして時間の経過とともに、僕のヴァージョンをカヴァーする人が増えていった気がする。中にはふたつのヴァージョンをミックスして歌ってくれたものもある。

もちろんレコード会社のプロモーションによって、この曲が伝えられた部分はある。けれど、この歌は有名、無名に関わらず、数多くのシンガーによって歌い継がれ広まっていったのだ。そのことがとても、とても、嬉しい。

とあるフェスの帰り道。この歌を大切に歌ってくれている男が、彼にとってこの歌がどんな意味を持つのか、初めて僕に語ってくれた。ひどくこころを動かされた。求めてくれる人がいる限り、歌い続けようと。そのとき、こころに決めた。あれから20年以上経っていたから、遅すぎるのかもしれない。でも、僕はそれでいいと思うのだ。こう思えるようになるには、20年を超える時間が必要だった。あの歌はもう誰のものでもない。歌ってくれたすべての人たちのものだ。これからも人のこころを旅してくれればそれでいい。

ひとつの歌に関する長いストーリーを読んでくれて、ありがとう。たくさんのシンガーがそれぞれに想いを込めて、伝導してくれたことに感謝を。中川敬とその仲間たちとの22年に感謝を。「満月の夕」はこの世界が信じるに値する場所だということを僕に教えてくれた。

Seize the Day / 今を生きる。

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中川敬(なかがわたかし)

1985年、ザ・ニューエスト・モデルを結成。1988年、伊丹英子率いるメスカリン・ドライヴと共に自主レーベル「ソウル・フラワー・レコード」を設立。パンク、モッズ・ミュージック、ソウル、ファンク、トラッド等多様な音楽スタイルと痛烈な社会批判で日本のロック・シーンに独自の道を切り拓く。1993年、2つのバンドを統合し、ソウル・フラワー・ユニオン結成。1995年阪神・淡路大震災後、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットを結成、被災地での出前ライヴを開始する。2016年、ニューエスト・モデル結成30周年記念アルバム第1弾『ザ・ベスト・オブ・ニューエスト・モデル1986-1993』、第2弾『ソウル・フラワー・ユニオン&ニューエスト・モデル2016トリビュート』発売。3月18日大阪umeda AKASO、3月20日東京TSUTAYA O-WESGUESTTで〈ソウル・フラワー・ユニオン闇鍋音楽祭2017〉開催予定。〈中川敬の弾き語りワンマン・ライヴ!〉も全国ツアー中。
オフィシャルサイト


*「満月の夕」誕生の経緯については、『ソウル・フラワー・ユニオン : 解き放つ唄の轍』(石田昌隆著・河出書房新社)にも書かれており、そちらの内容によれば、二人が初めてセッションしたのは震災後となっている。


楽曲情報はこちら
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ソウル・フラワー・ユニオン
「満月の夕」

HEATWAVE
「満月の夕」


著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

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1963年福岡県生まれ。1979年に結成したHEATWAVEのフロントマン。
1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表の『1995』には佐野元春プロデュースの2曲のほか、阪神・淡路大震災後に書かれた「満月の夕」(中川敬/ソウル・フラワー・ユニオンとの共作)を収録。
2003年より渡辺圭一 (Bass)、細海魚 (Keyboard)、池畑潤二 (Drums)と新生HEATWAVEの活動を開始。
東日本大震災後、福島県相馬市の仲間と共に現地を応援するプロジェクト“MY LIFE IS MY MESSAGE”を立ち上げ、仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らと活動している。
2016年4月に発生した熊本地震を受け、9月からFMK エフエム熊本で「MY LIFE IS MY MESSAGE Radio」(毎月第4日曜日20時〜)DJを務める。
2017年2月10日(金)千葉・ANGAで〈山口洋 2017 SPECIAL! 聞きたい歌と、今歌いたい歌〉としてアコースティック・ソロライブを行う。
ROCK’N’ROLL ASS HOLE→http://no-regrets.jp

2015年12月26日のLIVEを収録した『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #004』好評発売中

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