ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 28

Other

日本の文化に関心を持ち始めたジョンとポール

日本の文化に関心を持ち始めたジョンとポール

第3部・第27章

『ミュージック・ライフ』の編集長、星加ルミ子はロンドンに到着するとEMIの海外販売促進担当であるスタン・スターンと一緒に、ブライアン・エプスタインのオフィスであるNEMSを訪れた。ブライアンは「やっぱり来たんだね、ロンドンに」と応対し、すぐに予約していたレストランに連れて行ってくれた。しかしにこやかな笑顔で話しながらも、「ビートルズには会わせられない」という態度は変わらなかった。

しかし会食を終えてオフィスに戻ったブライアンは、星加から渡された『ミュージック・ライフ』を手にとって驚いた様子を見せた。表紙がカラー写真で印刷も紙質もよく、しっかりした体裁の音楽雑誌は、イギリスにもアメリカにもないものだった。ブライアンに発行部数を尋ねられた星加は実際よりもかなり大きな数字を答えた。

「二十五万部です」
「えっ、一年間に?」
「いえ、毎月です」
 彼は心底感心したようだった。つまり、ポップ・ミュージックが好きな若者が日本には二十五万人以上はいるということがわかったからだ。
 それから私はありったけの知識と経験を駆使して、日本の音楽業界のことをしゃべりまくった。
〈略〉
 エプスタインは興味深げに、じっと聞き入っていた。私はこれがとどめだといわんばかりに一言付け加えるのを忘れなかった。
「日本のレコード市場は、間もなくアメリカに次いで世界第二位になると、私は信じています」(間もなく本当にそうなった。よかった)
太陽を追いかけて

星加ルミ子著
『ビートルズ・ロッキュメンタリー 太陽を追いかけて』
TOKYO FM出版

このときにブライアンは星加に、「日本でコンサートを行ったら、成功すると思うかい?」と聞いてきた。星加は当然のように「アメリカに負けないくらい大騒ぎが起こりますよ」と返答した。そして最後に日本から苦労して持ってきた隠し玉、おみやげをプレゼントしたのである。

「実は日本からあなたに特別なプレゼントを持って来ました。気に入ると良いんですけど」と刀を渡したんです。そうしたら「何だコレは!」と(笑)。実はその刀の解説書をトランスレーションして一緒に持っていったんですよ。でも、そんなものを読むまでもなく、刀を抜いたらギラギラしている。ブライアンは本物の迫力に魅了されていました。
(Musicman-Net LIVING LEGEND シリーズ スターの概念を打ち破ったビートルズとの日々 元『ミュージック・ライフ』編集長 星加ルミ子)

星加は刀を見た瞬間、ブライアンの眼の色が変わったと証言している。日本のサムライが使うほんものの刀が放つ光を見て、ブライアンは何を感じていたのだろうか。

ブライアンが仕事をする机の後ろには、世界地図が貼ってあった。そしてビートルズがコンサートに行ったところに、赤い印がつけられていた。その地図をブライアンは秘書に外させて、その場でフックを打ち付けた。そしてプレゼントされた刀をそこに飾った。

これでもうブライアンの頭から、日本のことが忘れられてしまう心配はなくなった。その日はブライアンの秘書だったウェンディ・ハンソンや、広報担当のトニー・バーロウも一緒だった。取材の窓口となるトニーから別れ際に、「万が一、ボーイズに会わせられることになったら、すぐにホテルに電話しましょう」と言われた。可能性がないわけではなかった。

そして翌日以降も星加は時間があれば、NEMSを訪れて重役に迎えられていた元プロモーターのヴィック・ルイスや、レノン&マッカートニーの楽曲を管理するノーザンソングスのディック・ジェイムズとも知己を得ていく。

ビートルズと会えることがわかったのは6月15日、午前中にトニーからかかってきた電話だった。レコーディングの終わった頃合いを見計らって、夕方5時過ぎからスタジオを訪問するように言われたのである。つきっきりでサポートしてくれたスターンから、キモノを着て5時にホテルで待っているようにと連絡が入ったのだ。そして約束の時間に車で迎えに来てくれた。

その日の夕方からトニーやスターンの立ち会いのもと、星加は3時間ものビートルズ独占取材を行った。当初の取材時間の予定は30分だったという。それが3時間にもなったのは星加の人柄や態度、その背後にあった日本のファンたちのピュアな気持ちがメンバーにも伝わったからだろう。

世界中のジャーナリストたちが狙っていた単独インタビューに、どうしてビートルズの側から日本人の星加にだけOKが出たのか。後になってその理由を問われた星加は、「なんといっても日本のレコード・マーケットのめざましい発展、特に、海外のアーティストが急速に売れ出しているということ」だったと述べている。

確かにそのときに取材した写真にはビートルズの楽曲を管理する音楽出版社、ノーザンソングスのディック・ジェイムズが一緒にスタジオにいる姿が写っていた。東京オリンピック開催で世界に復興をアピールした日本が、音楽のマーケットも急速に拡大していることを誰もが知り始めていた。だから関心が高まっていたのは事実だった。

それともうひとつ、日本から持っていった『ミュージック・ライフ』を手にして、雑誌としてのクオリティの高さを誰もが口をそろえて褒めてくれた。プレゼントされたほんものの刀に込められた、草野からの無言のメッセージがブライアンに何かを働きかけた可能性もある。

そうしたいくつかの要素の積み重なって、すべてがプラスに作用して星加は破格の待遇で歓迎されたのだ。もちろんそこにはEMIのサポート体制が万端だったことも大きかっただろう。それは取りも直さず石坂が行ってきた事前の根回しが、十分だったからでもあるのだ。

極東の地からやって来た星加が小柄で童顔、見るからに日本の女の子のファンの代表のように思えたので、ビートルズのメンバーとも直に心が通じ合えた面もあっただろう。

スーパースターなんて言うと嫌な連中なのかなと、会うまでは警戒していたんですけどね。でも、それまで私たちが思い描いていた、いわゆるスターというものを彼らが打ち破ってくれましたよね。彼らは本当にごくごく普通の青年たちでした。
(同上)

次のエピソードからもメンバーたちの方から、「日本に行くなら」と話しかけていることが伺える。

もうそろそろ失礼しようかと思っていたときに、ジョン・レノンが私に「もし日本に行くチャンスがあったら相撲レスラーに会いたい」と言ったんですよ。「どうして相撲レスラーなんて知っているの?」と訊いたら、美術学校にいたときに友達が日本の写真集を持っていて、そこにとても綺麗な相撲レスラーが載っていたというんですよ。もちろん、その時は日本に来る話なんて全くない時だったんですが、相撲と聞いて「相撲と言ったら手形でしょう!」とひらめいて、持って行った色紙に4人の手形をもらったんです。少し大きいんですけどね。すると、そこにみんなのサインまでしてくれまして。ハンドサインですね。
(同上)

このときのインタビューはもちろん、日本のビートルズ・ファンにとって大いに喜ばれた。だがそれ以上に快挙だと思えるのは、ビートルズのメンバーが日本という国の文化に関心を持ってくれたことだ。だからこそ最後まで親切にしてもらえたのだろうし、翌年の来日公演までいい関係性が続いたのである。

ここからミュージック・ライフというメディアと、草野と星加の二人に代表されるシンコーミュージックの記者やカメラマンが、ビートルズの来日に脇役ながらも重要な役割を果たしていくことになる。

共に過ごした時間がたっぷりあったことによって、ビートルズのメンバーたちにも日本へ行ってみたいという気持ちが芽生えた。それは特にジョンに顕著だった。そしてジョンは実際にビートルズの来日公演が終わった後になって、夫人のヨーコとプライベートでたびたび日本を訪れることになるのである。そのときに彼らが親交を深めて訪ねた相手は石坂範一郎だった。

→次回は2月2日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

vol.27
vol.28
vol.29