ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 29

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永島達司と石坂範一郎を結んでいた強い信頼関係

永島達司と石坂範一郎を結んでいた強い信頼関係

第3部・第28章

後に「ビートルズを呼んだ男」と言われる永島達司は、1926年4月に横浜に近い保土ヶ谷で生まれた。三菱銀行に勤務する父の赴任に伴って2歳でニューヨークに渡り、4歳になってからロンドンに移り住んだ。8歳でいったん日本に帰国したが、12歳のときに再びニューヨークへと渡って、太平洋戦争が始まる前の年まで暮らしている。

流暢で美しい英語はこの経験で身についたものだった。そして二度目のアメリカ暮らしでは、グレン・ミラー・オーケストラやベニー・グッドマン楽団、アーティ・ショウ楽団、トミー・ドーシー楽団などの音楽と、ネイサンズのホットドッグなどのジャンクフードのとりこになったという。

1941年8月、15歳になっていた永島は太平洋戦争開戦の4ヶ月前に帰国したが、日本の中学校へダブルの背広に赤いネクタイをしめて登校し、軍から配属された将校に「この非国民めが!」と怒鳴られて、翌日からは丸坊主で通うことになったという。

終戦を迎えたのは早稲田大学の予科にいた時のことで、戦後は英語力を活かして基地の将校クラブでアルバイトを始め、やがてフロア・マネージャーにまでなった。そこから日本人ジャズシンガーのマネージメントを手がけるようになり、アメリカ軍の諜報機関だった「キャノン機関」の一員との噂があるアルフォンゾ・B・シャタラックという人物と組んで、“S・Nプロダクション”を興し、アメリカからのアーティストの招聘を始めたほか、日本のジャズブームの時代にはコンサートの興行を積極的に手がけた時期もある。

1957年に協同企画を設立してからは外国人ミュージシャンの招聘へと軸足を移して、アメリカの大手プロモーターZAC(ゼネラル・アーツ・プロダクション)を通じて、仕事を広げて海外の大物を日本に招くようになり、ほどなくして興行の世界では第一人者の立場を確立している。

東芝レコードの石坂範一郎がアメリカのポピュラー音楽のカタログを充実させるために、三大メジャーのキャピトル・レコードと原盤供給契約を交わしたのは1959年の夏のことだ。キャピトルの看板スターだったナット・キング・コールの「枯葉」がヒットしたのは、その年の秋だった。当時のキャピトルはコールのほかにもフランク・シナトラ、ディーン・マーティン、ペギー・リー、ジョージ・シアリングなど、綺羅星のごとくスターを擁して、まさに破竹の勢いがあった。

そして1961年、フランク・シナトラと並ぶ大物エンターテイナー、コールの来日公演を永島が実現させている。ZACの出身だったマネージャーのカルロス・ガステルは、ペギー・リーやメル・トーメも抱える腕利きで、キャピトル・レコードの最高経営責任者グレン・ウォリクス会長とも親密な間柄にあった。

戦後の日本のプロモーターの歴史はアメリカのZACとガステルから、永島へというラインで始まったとも言われている。だがこの初来日ではクラブ「ニュー・ラテン・クォーター」でのショーを毎夜、ガステルがスケジュールに組み込んでいた。だから一般向けのコンサートは昼間、サンケイホールで開催することになった。しかし設定されたギャラから算出したチケット代が高すぎたせいもあり、観客席には空席が目立つ結果になった。そのために永島は巨額の赤字を背負ってしまった。

コール本人も観客の不入りにはショックを受けて、親しくなっていた永島から事情を聞き出した。そして経緯を把握したコールは、「よし、もう一度来て、今度はギャラなんていらないから、もっと安いチケットでやろう」と約束したのだった。

その言葉の通りにコールは63年2月に再来日して、チケット代を抑えたコンサートを開催して大成功させた。二人はお互いに雪辱を晴らしたのである。

1964年に末期ガンを患ったコールは世界中の人々に届く事を願って、新曲の「L-O-V-E(ラブ)」を英語だけでなく、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、日本語でレコーディングしている。それを吹き込んだ後、1965年の2月15日に帰らぬ人となった。

このときに日本語詞を書いたのが新興楽譜出版社の専務だった草野昌一、ペンネームは漣健児である。そして日本語で歌ったのは美空ひばりだった。

“L”と書いたらLook at me
“O”とつづけてO.K.
“V”はやさしい文字Very good
“E”と結べば愛の字L・O・V・E
LOVE

草野が訳詞を始めたのは自社が音楽出版社として、日本における権利を預かった楽曲をロカビリー出身の歌手に歌わせたのがきっかけだった。最初に書いたのは坂本九の「ステキなタイミング」で、1960年に東芝レコードから発売されると「ビキニスタイルのお嬢さん」のB面だったにもかかわらず大ヒットし、訳詞家としての出世作となった。

永島と範一郎が接点を持つようになったのは、コールの日本における発売元が東芝レコードだったからだ。そして永島は範一郎と懇意になってまもなく、海外での音楽ビジネスについて、さまざまな手ほどきを受けている。それが日本における音楽著作権ビジネスの走りとなり、音楽出版社「大洋音楽」の設立にもつながっていくのである。

そもそもは永島が1961年の11月、ブラジルのサンパウロで日本から移民した人たちに向けてコンサートを行ったことにあった。出演したのは歌手の江利チエミと人気ジャズ・ピアニストの中村八大だった。ちょうどその時に「上を向いて歩こう」が日本で大ヒットしていた中村八大は、作曲家として成功し始めたばかりの頃で、アレンジャーと指揮者も兼ねたピアニストとして同行していた。

そのブラジル公演の帰りにニューヨークへ寄った永島を待っていたのは、日本で知り合ったマイケル・スチュアートという人物だった。彼からアメリカの音楽出版社が集まっている一画、1650ブロードウェイ・ビルディングに連れて行かれたのだが、そのときはたまたまニューヨークに来ていた渡辺プロダクションの副社長、渡邊美佐も一緒だった。

そこへ日本における著作権管理の代行をしてほしい各社が、マイケルの紹介で契約書を持ってやって来た。永島はそれらに次々にサインして、日本での出版の権利を預かることになった。

「僕はその値打ちも何もわからないから、美佐、これ一緒にやろうよって言って。それで日本に帰って、彼女と一緒に大洋音楽という会社を作ったの」
(湯川れい子著「熱狂の仕掛け人」小学館)

マイケルから日本でも早く音楽出版社を作るようにと勧められたことから、二人は帰国後に範一郎にも相談に乗ってもらって、音楽出版というビジネスの基本を学んだ。そして帰国から半年後の62年4月、渡邊美佐と共同で設立されたのが大洋音楽だった。二人はもっとも初期の段階で海外のカタログを契約する会社を作り、音楽出版ビジネスの先駆者となったのである。(注)

もともと楽譜の出版社としてこの分野に先んじていた草野は、音楽出版ビジネスに永島が参入してきたことについてこう語っている。

すごくいい選手がこの業界に入ってきてくれたと思いました。当然、ぼくとバッティングすることはあるだろうけれども、日本の音楽出版社に取れないものを永島さんは取ってくると思ったし、事実、彼はそうしました。彼は彼だけの人脈を開拓していた。
(「日本における音楽出版の歩み」社団法人音楽出版社協会)

草野は永島の訪問を受けて、相談に乗ったときにこんなアドバイスをしたという。

「あなたは契約するという交渉役だけをして実務を誰か雇いなさい。実務はあなたがいいと思う人に任せて、あなたは契約一本でやって、業界のレベルアップに力を貸してください」
(同上)

どこよりも早くこの分野を開拓したという意味で、範一郎もまた音楽出版ビジネスのパイオニアであった。範一郎は1959年に設立された東芝レコード芸能社を、1962年3月に東芝音楽芸能出版株式会社に改めている。もとはといえば所属する歌手のマネージメント用に作った子会社だったが、定款を変更して音楽著作権の取得と海外におけるカタログの利用促進を業務に据えるためだった。
東芝レコードがキャピトルの権利を獲得した1959年頃から61年にかけて、範一郎と永島と草野の3人はすでに海外との契約関係でお互いにつながりを持っていた。この3人に渡辺プロダクションの渡邊晋・美佐夫妻を加えた人たちが、日本の音楽出版ビジネスの先駆者に挙げられる。しかも全員がそれぞれの立場でビートルズの来日公演に、深く関わっていたことは注目に値する事実といえるだろう。
ビートルズの来日公演の前座として出演したのは、内田裕也、尾藤イサオ、望月ひろし、ドリフターズは、いずれも渡辺プロダクションの所属であり、発売元はすべて東芝レコードだった。いかに両者の提携関係が良好だったかが、こうした事実からもうかがい知れる。

(注)副社長だった渡邊美佐が永島と一緒に大洋音楽を設立した後に、渡邊晋は渡辺音楽出版を設立している。

→次回は2月6日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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