時代を映したポップスの匠たち  vol. 5

Column

高田渡の歌はいつも古くて新しい

高田渡の歌はいつも古くて新しい

高田渡に「生活の柄」という曲がある。1971年のアルバム『ごあいさつ』で発表された曲だ。沖縄出身の詩人山之口貘作の放浪者の詩にメロディをつけたこの曲は、地味好みの人たちに愛されてきたフォークのスタンダード。とりあげる人も、以前はなぎら健壱や大工哲弘など男性が多かった。

それが不思議なことに、近年は女性歌手や女性歌手のいるグループによくカヴァーされている。ハンバート・ハンバートや中山うりをはじめ、YouTubeで検索しても、やなわらば、PHOKA、Yole Yole、三木千夏などの映像や音が次々に出てくる。文無しで野宿する放浪者の歌がうら若い女性にうたわれる時代が来るとは、1970年代にこの歌に出会ったころは想像もできなかった。


コーヒーブルース~高田渡を歌う~

KING RECORDS

「生活の柄」カヴァー一覧

「生活の柄」を発表したころ、高田渡は、岩井宏、加川良と「三ばかトリオ」と名乗って、この曲をよくうたっていた。ギターとバンジョーとフィドルをバックに、三人で「あーるきー、つかれーてはー」(歩き疲れては)とうたうところに、なんとも言えないけだるい味わいがあった。わざとずらしたコーラスが、旅に疲れた男のくたびれ方を思わせた。しかしそこにみすぼらしさはなかった.当時はヒッチハイクや放浪がカッコいいものとされた時代。この歌を軽妙にうたうのは、屈折したダンディズムてもあったからだ。

「生活の柄」の歌詞には、野宿できる夏の光景と、寒くなって野宿が難しくなる秋の季節がうたいこまれている。ウトドア用品や装備があまりなかった時代の歌ともいえるが、いまでも性能のいい装備はお値段が張るし、装備があっても秋に「冷気にからかわれる」ことに変わりはないだろう。

高田渡は1960年代末に「関西フォーク」と呼ばれた動きの中で「自衛隊に入ろう」という曲をうたって世間の注目を浴びた。当初彼の作品は大阪のインディーズURCレコードから発売されていた。一時期京都に住んでいた間に、京都のイノダ・コーヒー店のことをうたった「コーヒーブルース」という曲も作った。

そんなわけで、彼は関西出身と思われがちだが、実はそうではなく、岐阜県に生まれ、東京や佐賀で育ち、高校時代にフォーク・ソングをうたいはじめた人だ。たまたま注目された時期に関西に縁があったのと、東京の大学生のカレッジ・フォークとは異なる視点でユーモラスな下町感覚あふれる歌をうたっていたことから「関西フォーク」の仲間に入れられたのだ。

高田渡がフォーク・ソングにひかれたのはピート・シーガーがきっかけだった。ピートは、エリートが集まるハーバード大学の学生だったとき、アメリカ南部の民間に伝わる音楽のフィールド・レコーディングを手伝ったことをきっかけに、フォーク・シンガーになった。ウィーヴァーズを結成していた時期には「グッドナイト・アイリーン」という全米ナンバー・ワン・ヒットも出した。

しかしその後アメリカとソ連(ロシアの前身)の冷戦が本格化すると、ピートは「共産主義」の共鳴者という理由で放送から閉め出された。やむなく彼は大学のキャンパスを回って、アメリカや世界各地の民謡を学生たちに紹介し、フォークの種をまいていった。その一方で「花はどこへ行った」「天使のハンマー」「ターン・ターン・ターン」といったフォークのスタンダードも作っている。ちなみに「花はどこへ行った」は、ロシアの小説『静かなるドン』に出てくる歌をヒントにして作られた。

そんなピートに影響されて1950年代末から60年代初頭にかけて、アメリカでフォーク・ソング・リバイバルの現象が起こる。キングストン・トリオ、ブラザース・フォー、ピーター・ポール&マリーなどが次々に古い民謡を新しい感覚でとりあげて人気を集めた。日本のカレッジ・フォークは、その影響をうけてはじまった。

高田渡もその影響を受けたが、彼が興味を持ったのは、ピート・シーガーの弾くバンジョーの音だった。当時フォーク・ソングにひかれた若者たちの多くは、「泥くさい」民謡を「お洒落」に「洗練」された感覚で演奏することをめざしたが、高田渡は、ピート・シーガーの音楽から時代をさかのぼり、ピートの先輩のウディ・ガスリーやレッドベリーの歌をはじめとする、アメリカの古い音楽に熱中し、それをもとに歌を作っていった。

そんなわけで、いまはじめて高田渡の当時の録音に接する人は、「古い」音楽だと思うかもしれないが、彼の音楽は当時から「古い」ものだった。逆に言うと、彼の音楽は当時から少しも古くなっていない。その点、当時「新しい」意匠をまとっていた音楽の多くが、いまでは経年変化によって古く感じられるのとは対照的だ。

「生活の柄」のメロディは、アメリカのフォーク/カントリー・ミュージックの創始者カーター・ファミリーの「ホェン・アイム・ゴーン」という曲を下敷きにしている。民謡の世界では、伝承されたメロディに新しい歌詞をつけたり、伝承された歌詞に新しいメロディをつけたりすることは、普通に行なわれてきた。音楽は作った人のものであると同時に、社会で共有されてきたものだった。カーター・ファミリーの曲も、それ以前から伝承されてきた曲を改変したものだ。

一聴、単純素朴な田舎風に聞こえる「生活の柄」の演奏に余分な音はない。よく聞くとわかるが、彼の演奏は実は高度に洗練され、磨き抜かれたものだ。それは都市生活者の感覚で夢見られた放浪の歌である。高田渡の歌はいつの時代も古くて新しい。

文 / 北中正和

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