山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 6

Column

あたたかい方へ〜どんとという南十字星〜

あたたかい方へ〜どんとという南十字星〜

HEATWAVEの山口洋がこれまでに出逢ったミュージシャン、R&Rの魔法について書き下ろす好評連載。
バンド・ブームの喧噪の最中、誰も聴いたことがないサウンドとともに彗星のように現れたどんと。
誰も見たことがない生き方を、いま永遠の憧れとして。


あのひとはいったい何だったんだろう?

2000年に37歳の若さで旅立ったひと。たぶん、ふつうのひとの何倍もの速さで人生を駆け抜けた人。風のようにやってきて、砂のように去っていったひと。特別親しかった訳ではないけれど、ずっとこころから消えないひと。だから、仕事部屋にはあれからずっと彼の写真が置いてある。指標として、戒めとして、永遠の憧れとして。

そのひとの名前は、どんと。敬意を込めて、ここだけは敬称略で。80年代の終わりに僕らが初めてメジャーと関わったとき、同じレーベルにいて、ローザ・ルクセンブルグという超個性的なバンドで歌っていたひと。エピック・ソニーからデビューしたとき、同じレーベルにいて、ボ・ガンボスというとてつもないバンドで歌っていたひと。「新しい文化」というグルーヴを全身で創り出していたひと。いつも僕の100歩くらい前を猛然と走っていて、一度も追いつけないままひかりになったひと。

どんと:1962年に岐阜県大垣市で生まれる。1983年、永井利充(bass/vocal)らとローザ・ルクセンブルグを結成。1987年、永井、岡地明(drums)、KYON(keybord/guitar/vocal)とBO GUMBOSを結成。1988年にはメジャー・デビュー前にもかかわらず、年間100本を超えるライブを全国で行う。ニューオリンズ音楽、R&B、サイケ、ファンク、フォーク等、様々な音楽性を昇華した極彩色の“ごった煮(ガンボ)”サウンドでシーンに大きな衝撃をもたらした。1989年、1stシングル「時代を変える旅に出よう/もしもし!OK!!」とビデオ『宇宙サウンド』でメジャー・デビュー。1stアルバム『BO&GUMBO』はニューオリンズで録音され、ボ・ディドリーやネヴィル・ブラザーズが参加した(第31回日本レコード大賞アルバムニューアーティスト賞を受賞)。1995年、日比谷野外音楽堂のライブをもってBO GUMBOS解散。その後、沖縄に移住し、ソロ活動を始める。2000年1月ハワイへ。1月28日、ヒロ市内にて脳内出血のため急逝。デビュー25周年にあたる2014年から貴重な音源、映像の再発が続いているが、2017年3月30日にはデビュー・アルバムが初めてアナログ盤で再発される。ボ・ガンボス アナログ『BO & GUMBO – 2017 LP』&ボックス『1989』(OTONANO)


あのひとはいったい何だったんだろう?

1994年。どうしても「LIKE A ROLLING STONE」が生で聴きたくて、追いかけ続けたディランの日本公演。でも全然やってくれない。最終日はNHKホール。諦めきれずにダフ屋から券を買って立ち見で入ったら、隣にどんとさん。聞けば彼も同じ理由でそこに。そしてアンコールの最後にあの曲が。闇を切り裂く一発のスネアとともに悶絶したふたりのロッカー。

実はどんとさんとHEATWAVEはその曲を一緒に演奏したことがある。1991年のこと。彼のMCが忘れられない。「この曲はスネアのタンってリズムから始まります」。その言葉がすべて。あのスネアは闇の中にいるからこそ見えるひかりを教えてくれたのだ。僕ら転がる石たちに。

その日、楽屋で彼にこう云われた。「君が書いた文章読んでると、気難しそうだけど、タダのロック小僧やん」。確かに、おっしゃる通りで。見透かされてるなぁ、昔も、そして今も。

その頃、僕は寒い方ばかりを目指していた。ひとりで世界を旅していて、空港を出た瞬間に、凍えるような街が好きだった。だから彼がそのとき歌った「あたたかい方へ」という曲の意味がほぼ理解できなかった。僕にとって、生きることをやり直すことは北を目指すのと同義だったから。この日のヴァージョンは、後に正式に発表されたものとは歌詞がかなり異なる。おそらく完成前のプロトタイプを歌ってくれたんだろう。

相変わらず僕の魂は北上するだけ。そしてどんとさんはバンドを脱退、沖縄に移住し、ハワイで亡くなった。ほんとうに「あたたかい方へ」行ってしまった。ぽかんとこころに穴が空いたから、僕は仕事部屋に彼の写真を置いた。

亡くなった年、ボックス・セットをリリースするため、過去の音源を聴いていた。そのとき、突然あの日の「あたたかい方へ」が僕の身体の中に入ってきて、震えた。その歌の意味を、時空を超えて理解した。遅すぎたけど。あのときプロトタイプを歌ってくれたのは、無意味に頑なだった僕への、遠回りなメッセージだったのかもしれないと、ようやく気づいた。

全部イチからやり直せ 生きるということを
中途半端が多すぎて あきれてしまったよ

ここは見せ物ばかりの がらくた森の中
寒い季節がくる

あの雲は何処へ あたたかい方へ

 

今なら理解できる。彼が伝えようとしていることが。

思い返せば、リハーサルのとき。派手にペイントされたマツダ・ファミリアに乗って、海沿いの街から2時間かけて彼はスタジオにやってきた。「どこから来たんですか?」とたずねたら、彼は今僕が住んでいる街の名前を答えた。「いい街だよ」、と。

それから15年くらい経って、人生をイチからやり直すために、渋谷のド真ん中から引っ越さなければならなくなった。そのとき、突然どんとさんの台詞が脳裏に蘇った。ウソみたいにホントの話。「いい街だよ」。それだけの理由で僕はここへやってきた。誰ひとり知り合いがいない街へ。ここは都内より少しだけ温暖。僕にとって初めての「あたたかい方へ」。毎日海沿いをバカみたいに走って、今も僕は生きることをイチからやり直している途中。まるで、あの歌の通りに。

あのひとはいったい何だったんだろう?

いきさつは忘れたけれど、ふたりで運行を始めたばかりの新幹線「のぞみ」に乗ったことがある。彼はこう云った。「人間には単位時間あたりに移動していい距離ってものがある。のぞみは僕には速すぎる」。そして彼は速すぎて、ほんとうのひかりになった。

僕は月で、あの人は太陽。誰かがそう云った。そんな気もする。でも彼は南十字星じゃないかなぁ。この国の最南端、波照間島で見ることができるあの星だよ。彼が亡くなった齢を16も超えても、僕は一度も追いつけない。そんな存在なんだ。彼は旅人を導く星で、そのひかりそのものだよ。

深い感謝とともに、今を生きる。

著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

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1963年福岡県生まれ。1979年に結成したHEATWAVEのフロントマン。
1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表の『1995』には佐野元春プロデュースの2曲のほか、阪神・淡路大震災後に書かれた「満月の夕」(中川敬/ソウル・フラワー・ユニオンとの共作)を収録。2003年より渡辺圭一 (Bass)、細海魚 (Keyboard)、池畑潤二 (Drums)と新生HEATWAVEの活動を開始。東日本大震災後、福島県相馬市の仲間と共に現地を応援するプロジェクト“MY LIFE IS MY MESSAGE”を立ち上げ、仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らと活動している。2016年4月に発生した熊本地震を受け、9月からFMK エフエム熊本「MY LIFE IS MY MESSAGE Radio」(毎月第4日曜日20時〜)でDJを務める。
新しいアルバムを携えて、5月初旬にはツアーもスタートする。

HEATWAVE new album tour “CARPE DIEM”
5月3日(水)福岡 Be-1
5月4日(木)大阪 シャングリラ
5月11日(木)渋谷Duo Music Exchange

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