ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 33

Column

来日を控えて沈黙に入った東芝レコードと石坂範一郎

来日を控えて沈黙に入った東芝レコードと石坂範一郎

第4部・第32章

永島達司の長男である永島智之が「祖父にしてみたら興業の世界で呼び屋を始めた息子に、自分の実績に泥を塗られたくないという思いだったようだ」と、ぼくに語ってくれたことがある。「三菱銀行との取引は一切まかりならん」という発言はそうした思いから出てきたのだろう。

経済評論家の三鬼陽之助が著した「東芝の悲劇」のなかでも、東芝音楽工業については「水商売」という言葉が、何度となく繰り返し使われていたように、当時の世間からは音楽業界に対して、どこかで見下すような視線がつきまとっていた。したがってビートルズの来日公演を“大”「東芝」が主催しているかのような記事が出ることは、名門意識の高い経済人にとってはさぞかし迷惑だったことだろう。

土光敏夫は泰三に請われて再建に着手したとき、社員に対して「諸君にはこれから3倍働いてもらう」と宣言した。全社をあげて気持ちを統一し、一丸となって再建に取り組もうとする大事な時に、子会社が「呼び屋」という名で蔑まれていたプロモーターと組んで、興業にまで手を出してマスコミを騒がせる。しかもそれを報じている新聞や雑誌には、必ず「東芝」という文字が踊っていたのだ。

そうしたことを苦々しく感じていたであろう経営陣のトップ、すなわち泰三と土光がなんらかの行動を起こしたとしても不思議ではない。ルポライターの竹中労がまとめた力作『ビートルズ・レポート』のなかに、32ページにもわたる「大衆狂乱(マス・ヒステリア)の開幕」という章がある。そこで竹中はビートルズの来日公演において、東芝レコードが途中から半歩も一歩も及び腰になったことについて、「東芝は、レコードの宣伝を行ったが、公演そのものの宣伝は行わなかった」いう書き出しで、その背景にまで鋭く言及していた。

東芝音工の久野会長がそれを言い出したと言う説のいっぽうで、実はそれよりランクが上の新しく東芝電機の社長になった土光敏夫の方針であるともいわれる。このため、東芝音工の専務である石坂範一郎は、EMIにまで足を運んでビートルズの日本公演を折衝した関係もあって、面目丸つぶれになった。
では、土光はなぜビートルズの公演に積極的に同調しないという態度を打ち出したのか。東芝音工にとって、ビートルズは、ベンチャーズとならんで福の神である。これまで赤字を続けてき東芝音工は、この二つのグループによって経営の危機を乗り越えた。これからも、ビートルズの人気が続くかぎり東芝音工は、ある程度安泰である。東芝は当然ビートルズの東京公演に、より積極的な姿勢を示していいはずである。
それが土光によって簡単に否定された。後の項で述べるように、商売そのもので多少なりともマイナスが出ても、財界のトップとしては、ビートルズを基本的に“回避”して置かねばならない事情があったのではないか。そうだとすれば、土光の意見は、会長である石坂泰三の意見であるともいえる。
あるいはこの事件は、石川島播磨造船の社長から“大”東芝の社長になった土光のケッペキさ水商売は嫌いだという感覚。あるいは気負いというものが理由だとすれば、ことはもっと簡単なのだが……。

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泰三もしくは土光の介入がいつの段階であったのかは定かでない。だが石坂がロンドンに行っている間に、何らかの変化が起こったと考えられる。竹中労は「土光の意見は、会長である石坂泰三の意見である」と記しているが、この時期に泰三が放ったとされる言葉が語録に残されている。

ベートーベンや山田耕筰で儲けるんならいいが、あんなもの(ビートルズ)で儲けるのはけしからん。あんな歌で儲けて会社をやっていくんなら、むしろつぶしたほうがいい。
(梶原一明著「石坂泰三語録 無事是貴人の人生哲学 覇道より王道を歩け」PHP研究所)

泰三の命を受けて東芝レコードを立ち上げ、親会社からやって来た経営者や社員の名門意識が原因で経営危機に陥り、苦労を重ねて再建に成功した直後の範一郎に、この言葉はどう響いたのだろうか。範一郎と久野元治会長がとったその後の行動をみる限り、相当に悔しかったのではないかとぼくは思っている。

懸命の思いで再建に成功したばかりの二人は、黙って耐えていかねばならなかった。主君に尽くすサムライのように耐える一方で、日本の若者たちの夢を叶えていくために二人はいっそう慎重に行動するようになる。日本の音楽産業が自由な競争原理のもとで健全に発展していくためには、ビートルズが成し遂げつつあった世界的な文化革命を積極的に推し進めるべきだと判断したのだろう。

それは金を儲けるためだけではなく、国際人としての教養を身につけて世界に出して恥じないレベルの音楽を目指す、そんな才能を見出して育てていくことにもつながる。ビートルズの作った優れた楽曲はいずれは教科書にも載るだろうし、100年後にはベートーベンと並んで語られる可能性が見えていた。

そうしたことを泰三にきちんと理解してもらう必要が、いずれは出て来るはずなのだ。だから範一郎は8月5日に帰国してからは、ビートルズの来日に関する件について完璧に口を閉ざしてしまった。余計な雑音に惑わされずに泰三に正しい判断をしてもらわなければ、来日公演は実現できなくなるとわかっていたのだろう。

→次回は2月20日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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