山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 7

Column

ジギーと星屑〜その才能を世界のために使った人 デヴィッド・ボウイ〜

ジギーと星屑〜その才能を世界のために使った人 デヴィッド・ボウイ〜

HEATWAVE 山口洋がこれまでに出逢ったミュージシャン、R&Rの魔法について書き下ろす好評連載。
7回目は、現在、東京・天王洲で大回顧展開催中の“20世紀で最も影響力のあるアーティスト”を取り上げる。


デヴィッド・ボウイは好きじゃなかった。いや、正確には好きになろうとしていなかった。梅雨の時期になると、カエルの鳴き声がうるさすぎて、頭がおかしくなりそうな田舎で育ったパンク少年には、そのルックスが、音楽が、生き方が、何もかもが完璧すぎて、憧れるにはあまりにリアリティーがなさすぎた。永遠に手が届きそうにない存在だった。

デヴィッド・ボウイは死ぬことなんてないと思っていた。彼を人間だとは思っていなかった。性別や人種をはるかに超えて、遠いラビリンスと宇宙から、絶え間なく「変化」というメッセージを地上に送り続ける、時空を超えたメッセンジャー。そんな存在だったから。

でも、ほんとうは深く影響を受けていた。すべての作品は聞いていたし、70年代のいわゆる「ベルリン三部作」は僕の血肉になっていた。未だに訪れたことのないベルリンの街は、あの崇高な音楽たちによって、僕のこころの中に構築されている。道も、建物も、壁も、愛し合う男女も、そこには居る。こころに広がる風景を壊したくないから、実際に行ってみたいと思わないくらいに。

だから、彼の死を受け入れるのは難しかった。どんなアーティストよりも難しかった。時間の経過とともに、彼の偉大さが身に染みていく。かつて体験したことのない類の喪失感。自分が素直じゃなかったことを悔いても遅い。僕は彼のライヴを体験したことさえなかったのだ。嗚呼。

2004年3月8日@武道館 photo by TEPPEI

彼が亡くなったとき、僕は某国の標高3000メートルの村に居た。白銀の世界で暮らしながら、毎日彼のことを考えた。そうさせたのは、彼の「死」そのものが「作品」で、そこで終わりではなく、そこから何かが始まっていたからだ。すごいことだ。明らかに彼の「死」は僕の「生」をかき立てた。そして、僕の中から何かが湧いてきた。

人生そのものが 作品だったなんて
終わるのではなく 君はそこから始めるんだね
いつだって僕らは世界とともに あのミモザの木のように
現実と空想を超え 変化という運命を貫かなければ

この4行から、感謝を込めて、歌を書こうと思った。

僕の人生に決定的な影響を与えたアーティストたち。たとえば、ルー・リード。失意のドン底に居た彼を再生させたのはデヴィッド・ボウイ。彼がプロデュースした「WALK ON THE WILD SIDE」をカエルの大合唱の中で聞かなければ、僕はミュージシャンになっていなかった。

たとえば、ドン底のモット・ザ・フープルのために「ALL THE YOUNG DUDES」を書き、たとえばドラッグにまみれていたイギー・ポップの傍らで、励ましというプロデュースをすることで、人間崩壊の危機から救う。これほどアーティストを救ったアーティストを僕は知らない。なんのために? きっと世界をよりよい場所にするために。見返りを求めることなく。

デヴィッド・ボウイがいなければ、僕はここに居ない。この文章を書いていることもないし、みなさんに読んで頂くこともない。彼は名だたるアーティストたちを救い、田舎のパンク少年も救った。その永遠の恩義に対して、何ひとつ返せていないこと。それが経験したことがない類の喪失感の本質だと思っている。素直になんなきゃ。幾つになっても人は素直になれるはずだ。

デヴィッド・ボウイはその才能を自らのためだけではなく、惜しげもなく世界のために使った。彼ほど、ほんとうの意味で、ダライ・ラマがいうところの「コンパッション=思いやり」に満ちたアーティストは居ない。亡くなってから気づくなんてアホすぎて、泣けてくるけれど。でも、そう感謝しながら、あらためて彼の音楽を聞いてみると響きが違う。温かく、血の通った音楽に聞こえてくる。たとえ火星からやって来た男だったとしてもね。

光が少しづつ 夕方の色になっていく
空想の中に生きることが現実なのか それとも現実そのものが空想なのか
どんなに世界が奇妙でも 日々は偶然には支配されていないはずさ
そしてどんなときも こころに残るのは
あのベルリンの歌 美しい 美しい ジョー・ザ・ライオン

僕はやっぱり行くことにするよ
軽トラックの荷台に 君の星屑をいっぱいに積んで

ジギーはほんとうに星屑に
ジギーはほんとうにダイヤモンド・ダストに

アーティストであることの意味と役目を「死」をもって僕に教えてくれた人。彼は星屑になって僕らを見守ってくれている。We can be heroes, just for one day.

深い感謝とともに今を生きる。

photo by Jimmy King

デヴィッド・ボウイ:本名:デヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズ。1947年1月8日、英国ブリクストンに生まれ、13歳でサックスを手にし、1966年にはデヴィッド・ボウイを名乗る。1969年、ロンドンのアート・シーンや映画『2001年宇宙の旅』の影響を受けた『スペース・オディティ』で注目を集め、1972年3月には解散の危機に瀕していたモット・ザ・フープルに「すべての若き野郎ども(All The Young Dudes)」を提供。同バンド最大のヒットになった。同年6月、コンセプト・アルバム『ジギー・スターダスト』でグラムの旗手としてその名を不動のものにする。同年、ルー・リードの『トランスフォーマー』、イギー・アンド・ザ・ストゥージズの『ロー・パワー』というロック史上に残る名盤をプロデュース。1975年には『ヤング・アメリカン』を発表し、SF映画『地球に落ちてきた男』に主演。自らのアイデンティティを見直し、1976年にはアメリカからベルリンのシェーンベルク地区に移住。1977年からブライアン・イーノとともにそれまでとはまったく異なる音楽性の“ベルリン三部作”『ロウ』『英雄夢語り(Heroes)』『ロジャー』を発表。1980年には再びアメリカに戻り、『スケアリー・モンスターズ』を発表。1982年映画『戦場のメリークリスマス』に出演。1983年にはナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えた『レッツ・ダンス』、続く『シリアス・ムーンライト』ツアーで最も大きな商業的成功を収める。1989年には音楽性を一新、ティン・マシーンを結成し、シンプルなバンド・サウンドを追求するが、1993年にはソロ復帰。1999年にはザ・サン紙の投票で「音楽界における20世紀最大のスター」に、2000年にはNME誌のミュージシャン・アンケートで「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」に選ばれる。2004年以降は公の場にはほとんど姿を見せなかったが、2013年1月8日、66歳の誕生日に突如新曲を発表。2016年1月8日、69歳の誕生日にアルバム『★(Blackstar)』を発表、2日後の10日に肝癌により死去。2017年2月、第59回グラミー賞では最多の5部門を受賞し、ブリット・アワード2017でも「最優秀ブリティッシュ・アルバム」を含む計2部門を受賞した。
2013年英国ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館から始まった〈DAVID BOWIE is…〉はアメリカ、ベルリン、フランス等で開催され、現在は日本で大回顧展として4月9日まで寺田倉庫G1ビル(天王洲)で開催中。3月22日には4曲入りEPとしてデジタル配信された『No Plan EP』が、CDフォーマットで緊急発売される。
ソニーミュージック オフィシャルサイト

著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

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1963年福岡県生まれ。1979年に結成したHEATWAVEのフロントマン。
1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表の『1995』には佐野元春プロデュースの2曲のほか、阪神・淡路大震災後に書かれた「満月の夕」(中川敬/ソウル・フラワー・ユニオンとの共作)を収録。1998年発表の『月に吠える』には元モット・ザ・フープルのモーガン・フィッシャーが参加している。2003年より渡辺圭一 (bass)、細海魚 (keyboard)
、池畑潤二(drums)と新生HEATWAVEの活動を開始。東日本大震災後、福島県相馬市の仲間とともに現地を応援するプロジェクト“MY LIFE IS MY MESSAGE”を立ち上げ、仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らとともに活動している。2016年4月に発生した熊本地震を受け、9月からFMK エフエム熊本で「MY LIFE IS MY MESSAGE Radio」(毎月第4日曜日20時〜)でDJを務める。
最新アルバム『CARPE DIEM』を携えてのツアー・スケジュールは以下のとおり。

HEATWAVE new album tour “CARPE DIEM”
5月3日(水)福岡 Be-1
5月4日(木)大阪 シャングリラ
5月11日(木)渋谷Duo Music Exchange
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