ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 35

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「今じゃ日本はビートルズの憧れさ」

「今じゃ日本はビートルズの憧れさ」

第4部・第34章

1965年8月、ニューヨークのシェイ・スタジアムで開催される公演の直前に、有力な記者やDJたちによるビートルズのメンバーへの共同取材が行われた。そこには日本の雑誌「ミュージック・ライフ」の特派記者、6月のロンドン取材で星加ルミ子の通訳も務めたジョー宮崎が参加していた。ニューヨーク在住とはいえ、ジョー宮崎が8名だけの取材に選ばれたのは偶然ではなかった。日本の「ミュージック・ライフ」に広報担当のトニー・バーロウを通して、3度目となるアメリカ・ツアーの取材に参加するようにと、ブライアン・エプスタインから招待状が送られてきたのである。

ロンドン取材時に日本に関心を示していたジョン・レノンに、ジョー宮崎が「日本に行くようなプランは?」と聞いたところ、こんな回答を得ることができた。

「今日もブライアン(エプスタイン)と話しあったんだけど、彼もその件はじっくり考えてみると言ってたよ。日本からくるファン・レターはすごいよ。相当ボク等に対する人気は盛り上がっているらしいね。日本には一度は行ってみたいな。ピーター、ゴードンやザ・アニマルズの連中から話は聞いている。アニマルズなんかいっそ日本で暮らしてみたいなんて熱をあげてたよ。世界で最高にイカス所だって。実はその熱がボク等にも移ったらしくて、今じゃ日本はビートルズの憧れさ」
(1965年10月号「ミュージック・ライフ」)

当時はこの言葉をジョンの単なるリップ・サービスのように受けとめた人が多かったかもしれない。だが東芝レコードからの招聘活動がブライアンやビートルズのメンバーにまで、確実に伝わっていたことは明らかだった。ブライアンとジョンは来日公演について話あっていたのだ。

それからおよそ半年後、日本公演を行う話がブライアンから協同企画の永島達司に名指しで持ちかけられる。そして実際に破格のギャラで、ビートルズの日本公演が実現するのである。そうした事実をふまえて、記事に書かれた言葉と照らし合わせてみると、ジョンとしては本気の発言だったことがわかってくる。

深読みかも知れないがジョンはビートルズ側が信頼する唯一のメディア、「ミュージック・ライフ」を通じて日本のビートルズ・ファンに向かって、来日の意志があることを直に伝えてくれたのだ。

「今じゃ日本はビートルズの憧れさ」というジョンの言葉によって、日本のビートルズ・ファンは来日公演が実現する可能性が高いことを感じとった。もちろん交渉の当事者だった石坂範一郎も、まったく同じ気持ちだったろう。

だが範一郎がヨーロッパ出張から帰国しても、ビートルズの来日公演について表立った動きは何もないまま時間が過ぎていった。

久しぶりにビートルズの話題が10月27日に新聞各紙に写真入りで報じられたのは、前日に行われたMBE勲章授与式の模様を伝える記事だった。

スーツにネクタイ姿のビートルズは厳重警備のバッキンガム宮殿にロールスロイスで現れて、エリザベス女王からMBE勲章を授与された。おそらく範一郎と久野元治会長はこの叙勲の後で、東芝のトップであると同時に経団連の会長として政財界に睨みをきかせる石坂泰三へ、ビートルズ公演を実現させるための説得を行ったのではないか。

およそ半年ほど報じられなかったビートルズの来日公演について、デイリースポーツが小さいながらコラム記事で情報を伝えたのは、暮れも押し迫った年末の12月29日のことだ。そこには「ビートルズの来日は66年」と、きわめて信ぴょう性の高い内容が書かれていた。

ビートルズ・ファンへ朗報を一つ。アメリカのキャピトル・レコード会長とイギリスのEMI会長が東芝レコードと話し合い、来秋、ビートルズを日本へ派遣すると決定した。もっとも、公演形式は1回1時間半でビートルズの実演は25分に限定するとかなりきびしいもの。
(1965年12月29日「デイリースポーツ」)

実際には秋ではなく夏だったことを除けば、まったくこの通りの内容でビートルズの来日公演が行われた。しかもこのコラムは具体的に関わっている人物が、「アメリカのキャピトル・レコード会長とイギリスのEMI会長」だと特定していた。そして日本側がプロモーターではなく、「東芝レコード」であることも報じられていたのである。「東芝レコード」とは取りも直さず、範一郎もしくは久野会長のことを指している。

しかしキャピトルのウォリクス会長やイギリスEMI会長のロックウッド卿を通して、秘密裏にNEMSと交渉を進めてきた範一郎と久野会長が、この時期に外部へ情報を漏らすミスを犯すとはとても考えられない。

火のないところに煙は立たないというが、このほぼ正確な情報の出処はいったいどこからだったのだろうか。

→次回は2月27日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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