ビートルズの武道館公演を実現させた陰の立役者たち  vol. 36

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担当ディレクターはなぜ1人でヨーロッパ出張に行かされたのか

担当ディレクターはなぜ1人でヨーロッパ出張に行かされたのか

第4部・第35章

ビートルズの担当ディレクターだった高嶋弘之は1966年が明けて何日もしないうちに、制作と宣伝を担当する浅輪常務に海外出張の予定が早まったことを告げられた。そして1月下旬から2月にかけて、ヨーロッパに旅立つことになった。その旅行は当初、1966年の秋に予定されていたものだった。英語が苦手だった高嶋は半年間ほど事前に英会話を習って、準備を整えてから出発する計画を立てていた。

六六年、年も改まって、私は「そろそろ英会話でも本格的にやるか。六か月やれば、なんとか秋のヨーロッパには大丈夫、間に合うな」と考えていた。ある日浅輪常務から呼ばれた。
「君、先にヨーロッパに行ったらどうかね。会長の気の変わらぬうちに」
私はどうも熟慮してしかるのち動くというタイプではない。走りだしてから考える方である。早くいえばオッチョコチョイ。六カ月の英会話計画もすっかり忘れてしまい「はい、それでは」と、パスポートをとるのもやっとこさ、妻子、義姉に見送られて羽田を後にした。どうもいま考えると、三月決算の都合上、旅行経費は儲かっている六五年度中におとしておこうという配慮があったようだ。そうでないと、どうしてあんなに急いで行かされたのか分からない。
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高嶋弘之著
「「ビートルズ!」をつくった男~レコード・ビジネスへ愛をこめて」

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このときに高嶋はせっかくロンドンまで行かせてもらえるのだから、もしもスケジュールが合えばスタジオに入って見学できないかと思いたった。そこでEMI本社から日本に来て常駐している重役に斡旋を依頼するため、英語が話せないので手紙に書いて重役に届けた。

ところがその手紙のコピーが久野元治会長のところにまわって、思わぬ叱責を食らうことになったのである。

会長はどう勘違いされたのか、私と渉外課長の上野さんと一緒に呼ばれ、それこそものすごい声で怒鳴られた。
「何だ、君はEMIのディレクターになるつもりか」
上野課長がわけのわかったようなわからないようなボソボソとした声で、とにかくとりなして下さった。私は助かった。
いま常務として活躍されている上野さんに時々お目にかかることがあるが、あれはどういうことだったんですかねと、久野会長のことを思い出している。
私は当時、音楽誌「ポップス」に海外音楽情報のページを持っていたので、海外スタジオ見聞録が書けると思っていた。そしてアーティストにとっていいプロモーションになると思っていた。
(同上)

高嶋は以前から久野会長のことは苦手に思っていた。そしてこの時もまた、なぜ叱られたのか理由がまったくわからないまま、“それこそものすごい声で怒鳴られた”のだった。

久野元治は大正12年に東大法学部を出て判事に任官された後にドイツとイギリスで遊学し、帰国してすぐに東芝の顧問弁護士になった。一度もサラリーマン生活を経験することなく、久野は顧問弁護士から監査役、取締役となって重役に名を連ねることで、経営者としてのエリートコースに乗っていた。久野の後ろ盾となっていたのは東京電気と芝浦製作所が合併したときの立役者、東芝の初代社長となった山口喜三郎である。久野は山口の娘婿という関係にあった。

しかし毛並みが良く人並み以上の才能を持ちながらも、久野はあまりに頭脳が明晰すぎることで、東芝のなかでは孤立していたという。常に理詰めでものを考える久野は相手の話に論理的な欠陥を見つけると、完膚なまでに喝破するタイプだった。したがって部下も彼の下にはつきたがらなかったし、同僚の重役たちにも敬遠されていたのだ。三鬼陽之助は「東芝の悲劇」で、そうした厳格で生真面目な論理癖が疎まれたと述べている。

高嶋は出発の前日も久野会長の部屋に呼ばれて、わざわざこう釘を刺されていた。

総務からどうしても出発前の挨拶を会長にしてくれという。仕方なく私は会長の部屋に行った。
「明日、出発させていただきます」
会長は外国生活が長かったせいかどうか知らないが、その話し方は外国語的である。強弱のアクセントがつく。そのうえ声の質はハスキー気味ながらトーンが高い。いわれる方は何も悪いことはしていなくても非常にこたえる。たとえば「当社は」というところは、「トウオシャワア」となり語尾が上がる。
「君はいたく張り切っているようだが、君を外国に行かせたからといって、当社は別に何も期待していない。水に気をつけて行って来給え。サンキュー」
(同上)

このときの旅行について高嶋は、自分の仕事へのご褒美だと思っていた。ビートルズを筆頭とするイギリス関連のアーティストの大成功と、フランク・プールセル楽団やアダモ、クロード・チアリ、エンリコ・マシアスなどのフランス物でヒットを出していたのだ。

だが、それにしては久野会長の物言いはあまりに辛辣な感じがする。“当社は別に何も期待していない”という発言には、EMIに行ってビートルズの来日記念盤の話などしないようにという、念押しの含みがあったに違いない。ということは、その時期に日本にいてほしくないので、所払いのために急に海外へ送り出したかのようにも見えてくる。

ビートルズの来日公演を実現させるためには、どんな些細な情報でもマスコミに漏れては困るという、大詰めの時期が近づいていたのである。というのも、日本の受け入れ体制に関して、最後の根回しをしておかなければならなかったからだ。

→次回は3月2日更新予定

文 / 佐藤剛
最上部の写真:提供 / 毎日新聞社

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長に就任。 著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『歌えば何かが変わる:歌謡の昭和史』(篠木雅博との共著・徳間書店)。

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