Column

ASKAが最新作『Too many people』に注いだ集中力と、音楽の神様

ASKAが最新作『Too many people』に注いだ集中力と、音楽の神様

音楽の神様は、彼の頭の上から動かなかった

執行猶予中は表だった活動は控えるべきだろうし、それが申し合わせであり、従うべきである。ただ、その間も個人として一定の自由は保障され、そのなかで更生を誓い、己の本分をわきまえ、必死に取り組んだ結果が『Too many people』というアルバムなら、僕は素直に、彼の集中力と時間の過ごし方に対し、エールを送りたい。2017年2月27日の午後。そんな想いを胸に、仕事場でキーボードを叩き、この原稿を書いている。

同時に出版された本は読んでおらず、何よりまず、音源を聴いてみたかった。そもそも彼の名前を知ったのは、遠いあの日、予備知識もないまま、ふと耳に飛び込んできた歌声が心に焼き付いたからであり、今回もなるべく、それに近いところ(作品に関する先入観がない状態)から始めたかった。もちろん、まったく同じというのはムリだとわかりつつ……。そしてそして、これから先、ASKAという名前が人々の記憶に残っていくか否かも、このことに掛かっている。みんなの記憶に残るような音楽をこれからも続けられるかも掛かっている。

全体にとてもポップで高品質な内容

Amazonで予約注文すると、発売日前日の午後7時くらいに届いた。中身を知らない郵便局の人が「お待たせしました。夜分、大変遅くなりまして」と差し出した。その言葉は僕の気持ちを知っていて放たれたものにも思えた。さっそく聴いてみた。『Too many people』は、予想に反していた。後悔や懺悔(もしかしたら自暴も)が色濃い内容と思いきや、かなり違っていたからである。

もちろん、ここ数年、彼の身に起こったことが、歌に反映されているのは確かだ。6曲目に「それでいいんだ今は」という歌があり、気づくと僕は、“そういう耳”でこの歌を聴いていた。しかし、一時の感情を音楽の中で解消しようということこそが、音楽に対する最大の冒涜であることを、彼は知っていたのだろう。

正直、全体にとてもポップで高品質な内容であることに驚いている。もちろんこれまでも、彼の作品集はすべて聴いてきたし、CHAGE and ASKAとは別に、自分がそのときやりたかったことが、彼ならではの完成度で示されてきたことは知っているが、そんななかこの作品集は、アルバム全体としての方向性というより、なにより“作品が粒揃い”という印象だ。よくアーティストは「ベスト・アルバムのようなオリジナル・アルバムを作りたい」などと発言して言葉倒れに終わるものだが、『Too many people』は、その理想にかなり近いと感じた。やってみたことが、いちいちその都度ズバズバと、ボールがバットの芯を食ったときのように小気味よい音を立てるがごとき内容だった。音楽の神様は、しばらくどこにも行かず、彼の頭の上から動かなかったということかもしれない。

今回は表現がよりストレート

当初、このアルバムのイメージとしては、一巡して元に戻ったような、回帰的な印象も抱いていた。先行フリー配信されたのが「FUKUOKA」だったからだろう。そう。あの歌の印象からなのだ。彼の故郷を舞台にした歌である。「FUKUOKA」について書こう。故郷を離れる際の光景と、時を経て、戻ってきたときの光景が、隣接して並べられ、詞が構成されている。心象を綴り、しかし最後の最後、「風が見える福岡」という歌詞の具体性により、一気に心象が実景へと変わるかのような、そんな歌のマジックが仕掛けられている。ASKAの声や、彼の紡いだメロディ。その中にある音の“祈り”の成分も、深く心に効いてくる。

ポップとは、第一印象的に“わかりやすい”ということでもある。前作『SCRAMBLE』と比較するなら、今回は表現がよりストレートな気がする。「いろんな人が歌ってきたように」とか「歌の中には不自由がない」のような楽曲は含まれていない。これらは言葉こそ平易だが、何度も塗られた漆器の表面のように意味が重ねられ、もしかしたらこちらが気づかぬ奥のほうにも伝えたいことが隠れているのではと、そう思わせるところもあったけど、それはない。

比喩表現もわかりやすい。わかりやすい、というか、膝を叩きたいくらい、うまい。「X1」など、いきなり「西向きの窓のようさ」から始まり、この歌詞の冒頭に置かれた“ようさ”という伏線を、ちゃんと辻褄を合わせ、歌の中で回収してみせる仕上がりになっている。

予測を超えた展開。いまだ見ぬ場所へと誘う

サウンド的にはどうだろうか。実に多彩である。参加メンバーは、お馴染みのミュージシャンもいれば、今回あらたにやってみた人たちもいたようだ。レコーディング環境的には必ずしも万全だったわけじゃないと聞いたが、逆にそういうときこそ、表現というのはあらたな場所に根を張ってみせたりもする。彼のソロ・キャリア初期のロッケストラ的な包容力あるアレンジのもの(例えば「それでいいんだ今は」)もあるし、ぐっと重心低くブルージーな作風(例えば「リハーサル」)もあり、印象派的な儚いピアノが効いていたり(「FUKUOKA」)、かつて『kicks』というアルバムで打ち出したダークな色合いを感じる瞬間(例えば「と、いう話さ」)もある。そして、音はシンプルだけど、行間からさまざまな想いが伝わり、達人的バンド・サウンドの極みといえる作品もある(「信じることが楽さ」)。

彼が影響を受けたと思しき70年代の洋楽テイストも垣間見せて、「通り雨」はギルバート・オサリバン的なメロディの温かさを持っている(なので降ってきたのが冷雨じゃないと感じる)。「未来の勲章」の「クールでシュールで」のサビのところなどは、ポップなグラム・ロックという風情である。この「クールでシュールで」のところは、一瞬にして解けた“歌詞という宿題”の模範解答のようだ。

もともとASKAというソング・ライターは、メロディの抑揚がダイナミックであり、こちらの予測を超えた展開を果たし、いまだ見ぬ場所へと誘ってくれる。これ、それまでのJ-POPの作曲家ほど反復に頼らず、大胆なほど“メロディが多い”、とも指摘できるだろう。そもそも「SAY-YES」の、バラードにあるまじき起伏に富んだ展開からして、その代表例だ。このあたりはおそらく、彼が80年代後半、光GENJIに曲提供したあたりに得た、世の中との波長の合わせ方というか、そのとき、ほかの作曲家がやってなかった先進性が礎となり、今に発展したものだと勝手に想像しているのだけど……。

「Be free」のボーカルは、本アルバム中の白眉

デモ音源の形で一部に届けられていた「Be free」は、今回、ここに完成したわけだが、この歌の、いきなり駆け昇るかのようなパートとなだらかなパートが二部形式のように繰り返されたあとの、ウイングスでいえば『ビーナス&マース』あたりを思わせるシンフォニックな広がりと、それを決して大仰に感じさせない彼のボーカルの大きさは、本アルバム中の白眉と言ってもいい。「東京」のイントロの、鐘の音が降りそそぎ響くがごとき情景も印象深い。聴きようによっては「YAH YAH YAH」を彷彿させなくもない。この曲はあらたに出会った若いミュージシャンたちとやったもののようだが、実はこういうことはたまに起こる。自分ではやり終えたと思っていることを、後の世代から、でもそれはあなたのなくすべきじゃない本質なんですよ、と、進言されるようなことは……。

最後にタイトル・ソング「Too many people」のことを。いきなり早口で字余りな、歌詞の詰め込み方にハッとさせられる。洋楽由来のメロディに日本語を乗せることに苦心した、ASKAより上の世代がこういうことを発明した。ただ、言いたいことが余りある、ということなら、こうした手法に必然が生まれ、でもこれはその必然を感じるものだった。

ホントに最後の最後に。ハモリのパートが周到に用意されているものなどもあって、もしかしたら……、なんて思わせる。これからさらに展開していくための仕掛けが、いろいろ隠されているアルバムかもしれない。それを予測してここに書くのは、時期尚早なのでやめておくが……。

文 / 小貫信昭