山口洋のSeize the Day/今を生きる  vol. 8

Column

3.11と音楽

3.11と音楽

HEATWAVE 山口洋がこれまでに出逢ったミュージシャン、R&Rの魔法について書き下ろす好評連載。
8回目となる今回は、6年前を想い、今を考える。何が終わり、何が始まったのか。


6年前。おそらくミュージシャンなら誰しもが自分自身に問いかけたことに、今なら自信をもってこう答えることができる。

音楽は無力ではない。

2011年3月11日。僕は某国の標高3000メートルの村に居た。異国のテレビに映し出される惨状に、ただ呆然と立ちすくむしかなかった。すぐさま帰国しようとした僕を、居合わせた兄貴分が引きとめる。「お前がここに居るのには理由があるはずだから、その役目をまっとうした方がいい」、と。

地震、津波。そして原発の爆発という、おおよそ信じがたい状況になって、役目のようなものがおぼろげに見えてくる。

NHKとCNNでは報道のベクトルが袂を分かっていく。世界に於いて、日本は放射能をまき散らす無責任な国として扱われはじめる。そして、あの原発で作られた電気を使っていたのは、まぎれもなく関東在住の僕。逃れようのない当事者として、異国に存在するいたたまれなさ。それをきちんと自覚することが、僕の役目だったのだろう。今になって思えば。

地震と津波は天災。けれど、原発事故はそうではない。どうして僕が使った、たかが電気のために、人々は故郷を追われ、逃げ惑わなければならないのか? どうして事故が起きる前に、あのモンスターを必要としない暮らしにシフトしようと力を尽くさなかったのか? どんなに後悔しても、時を戻すことはできやしない。

明日がやってくることは当たり前ではなかったのだ。

自衛隊のヘリコプターが決死の覚悟で原発に水をかけているとき、もう国には帰れないかも、と覚悟した。自分に何ができるのか、動揺の中で考えるしかない。そして、どんな状況であれ、未来を創る唯一の方法は、目の前にある一瞬を、全力で生ききることでしかないと思い至った。

3月26日に青森県弘前市でライヴが決まっていた。自粛ムードの中、大半のコンサートが中止になっていた。僕は友人でもある主催者に、開催の是非について、国際電話をかけた。すると、彼は津軽なまりでこう云った。

「オレたちが信じてきた音楽を今鳴らさなくて、いつ鳴らすんだ?」

ひどく胸に響いたあと、すとんとその言葉が腑に落ちた。ある種の人間にとって、音楽はライフラインだ。それを力強く鳴らすのが僕らのほんとうの役目じゃないのか? と。

帰国を決めた。コンサートは無料に切り替えられ、会場である大学のチャペルは音楽を求める人々へと解放された。日本中から友人たちが集まり、配置につく。僕がお願いしたのではない。何か力になりたいと、それぞれが胸をかきむしられる想いで集まっていた。誰かのアイデアによって、たったひとつのiPhoneでコンサートは世界に動画で生中継され、世界各地から激励のメッセージが届けられた。

正直に云って、コンサートの内容を覚えていない。きっとこころの昂りを抑えることで精一杯だったんだろう。覚えていることと云えば。コンサートを運営するために全国から集まってくれた友人たち。誰ひとりとして、自分が食事をすることを考えていなかった。物流がまだ不完全にしか機能していなかったから、弘前にも食材は豊富ではなかったし、飲食店も閉まっていた。

コンサート終了後、とある薄暗いバーにみんなが集まっていて、誰もが空腹だった。料理ができそうなのは、長崎からやってきたシェフの友人と僕。北海道から持ちこまれたキロ単位のパスタとパンだけがあった。まともな道具も食材もないバーのカウンターで、20人ぶんくらいのパスタを2人で作り続ける。火力は弱く、照明も薄暗い。けれど、その状況は僕らを妙に連帯させた。貧弱パスタ祭り。忘れられないケチャップだけの、あるいは塩だけのパスタの味。ヒドく質素で、美味で、美しい夜だった。ほんとだよ。後ろで誰かが選んだいい音楽が流れていたっけ。

バーに集っていた連中は、普段群れることを嫌う人間ばかりだった。そんな僕らを音楽は励まし、連帯させ、結びつけた。そこにあったのは、自分のことより先に、誰かを思いやる気持ちだけだった。3.11が教えてくれた一番たいせつなこと。この国はまだ大丈夫かもしれない、と僕は思った。世界はまだ何とかなるかもしれない、と。あれから確かに僕は変わった。

設置された募金箱にはたくさんの愛が詰まっていた。恥ずかしながら、僕は漢字で書くことができず「ぼきんばこ」と楽屋で記した。そのとき、福島からの電話が鳴ったのだ。偶然と呼ぶにはできすぎたタイミング。被害の範囲があまりに広すぎて、酷すぎて、僕らは途方に暮れていた。でも、福島県相馬市中村町1丁目1番地、そんなピンポイントなら、福島の人々とともに未来を模索できるかもしれない。それが現在も続くプロジェクト、「MY LIFE IS MY MESSAGE」のはじまり。その日のことはここに記してある。ROCK’N’ROLL DIARY

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

あれから6年。僕らのプロジェクトはたくさんのイベント、ツアー、コンサート、ラジオ番組などをやってきた。まさか自分がこんなことに関わるなんて、震災前には思ってもいなかった。僕は断じていい人なんかじゃないし、何かをせずにはいられなかった気持ちが、ずっと今日まで繋がっているだけのこと。なし得た実感なんてまるでないし、活動を続けながら、逡巡も続ける。そうやって考えていくしかないのだと思っている。今もまだ、家に帰れない人々がたくさん居ること。僕が使った電気のために。モンスターがなしくずしに再稼働されていくこと。嗚呼、忘れていいことと、そうではないことがあると思うのだ。

たくさんの人間たちが目の前を通り過ぎていった。来るものは拒まないし、去るものは追わない。忘却だって、癒えていくためのひとつのプロセス。

でも、最後の一匹になったとしても、僕は静かに吠え続けたい。イデオロギーなんかどうでもいい。一匹の人間として。おかしいことはおかしいと、静かに吠え続けたい。そして、次の世代に、意味あるものを手渡したい。僕らが音楽から手渡されたものを、できれば手渡したい。それは未来へと続く力で、決して無力なんかじゃないんだ。だから諦めたりはしないよ。

Seize the day / 今を生きる。

photo by Hiroshi.Y

著者プロフィール:山口洋(HEATWAVE)

photo by Mariko Miura

1963年福岡県生まれ。1979年に結成したHEATWAVEのフロントマン。
1990年、アルバム『柱』でメジャー・デビュー。1995年発表の『1995』には佐野元春プロデュースの2曲のほか、阪神・淡路大震災後に書かれた「満月の夕」(中川敬/ソウル・フラワー・ユニオンとの共作)を収録。アイルランドの重鎮、ドーナル・ラニー、元モット・ザ・フープルのモーガン・フィッシャーをはじめ海外のミュージシャンとの親交も厚い。
2003年より渡辺圭一(Bass)、細海魚(Keyboard)、池畑潤二(Drums)と新生HEATWAVEの活動を開始。東日本大震災後、福島県相馬市の仲間と共に現地を応援するプロジェクト“MY LIFE IS MY MESSAGE”を立ち上げ、仲井戸“CHABO”麗市、矢井田瞳らと活動している。2016年4月の熊本地震を受け、9月からFMK エフエム熊本で「MY LIFE IS MY MESSAGE Radio」(毎月第4日曜日20時〜)でDJを務める。

HEATWAVE new album tour “CARPE DIEM”
5月3日(水)福岡 Be-1
5月4日(木)大阪 シャングリラ
5月11日(木)渋谷Duo Music Exchange
詳細はこちら

決定! MY LIFE IS MY MESSAGE LIVE2017 @東京・南青山MANDALA
6月13日(火)古市コータロー(THE COLLECTORS)×山口洋
6月14日(水)池畑潤二 with 山口洋 Specialセッション
6月15日(木)仲井戸“CHABO”麗市×山口洋 with 細海魚
6月16日(金)矢井田瞳×山口洋 with 細海魚
6月17日(土)矢井田瞳 with 大宮エリー Specialセッション

詳細はこちら

HEATWAVEの楽曲はこちらから
vol.7
vol.8
vol.9