時代を映したポップスの匠たち  vol. 10

Column

時代を越えて評価が高まったムッシュかまやつの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

時代を越えて評価が高まったムッシュかまやつの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

音楽のヒットの大小と評価は必ずしも一致しない。すごくヒットしたのにいまは忘れ去られた曲もあれば、発表時はさして知られなかったのに、気がついたら名曲と呼ばれている曲もある。ムッシュかまやつこと、かまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は、まさに後者の代表例だ。

ムッシュは1975年に「我が良き友よ」を発表した。ジャズ・シンガーの息子として、自作では洋楽色の強い都会的な音楽をやってきたムッシュにとって、吉田拓郎作の「我が良き友よ」の世界は意外なものだった。下駄をならして、腰に手ぬぐい、下宿屋のおばさん、バンカラなどなど、当時すでに古めかしい言い回しをわざと使い、寮歌や春歌を高歌放唱する旧制高校生的なイメージを気取って作られた曲だったからだ。

この懐古的な世界を感情たっぷりにうたうと、ただのおやじくさい歌だが、ムッシュが突き放すようにうたったのがよかったのだろう。発売と同時に曲はチャートをかけのぼり、彼の最大のヒット曲になった。そしてそのシングルのB面に収録されていたのが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だった。

ゴロワーズはフランスの有名なタバコの銘柄。タバコは健康によくないとうるさく言われる前は、フランス映画の俳優がよく吸っていたので、くせの強い洋モクというイメージで映画ファンに知られていた。ムッシュもこの歌で俳優のジャン・ギャバンの名を引き合いに出している。

この歌のムッシュはゴロワーズやアンティーク時計やバーボン・ウィスキーを例にあげ、たとえささいなことでも、何かに熱中することで幸せを感じる道があると語る。そこには芸能界の価値観ではめったに尊重されない音楽的主張にあえてこだわり続けた彼の姿勢が重なって見える。それでいて、フォーク系の人たちのように説教くさく語るのではなく、ダンディなフランスかぶれを演じて伝えているのが、やはり芸能界の人らしくもある。

演奏はサンフランシスコのベイエリアの人気ファンク・バンド、タワー・オブ・パワー、編曲はそのメンバーのグレッグ・アダムスが担当した。曲ができる前にコード進行だけ渡して演奏してもらい、後から語りの部分をつけたという。フランスのゴロワーズとは関係のないアメリカ西海岸風の明るい演奏とコーラスだが、その距離感がべたつかなくていい。

この曲は90年代の渋谷系のブームの中、アシッド・ジャズの人たちに評価され、コーネリアスこと小山田圭吾の誘いとトシ矢島のプロデュースのもと、イギリスのミュージシャンとのレコーディングでよみがえった。

「アシッド・ジャズというのは、個人的には、ベイエリア系のファンクな音楽という印象だった」というようなことを語って様になる芸能界の人は、ムッシュの他にいない。コーネリアスはその後も1996年のアルバム『69/96』でムッシュの語りを使ったが、それが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」に敬意を払ったものであることは言うまでもない。

渋谷系のアーティストでは、ピチカート・ファイヴの小西康陽も『我が名はムッシュ』(2002年)をプロデュースして、ムッシュの歩みや世界観をポップな形で引き出している。そのアルバムと連動して出た自伝『ムッシュ!』の中で、彼はこの次にアルバムを出すとすれば、ユーミンの「中央フリーウェイ」、小坂忠の「からす」、自分の「どうにかなるさ」などを取り上げたいと語っている。そういえばユーミンの最初のシングルをプロデュースしたのはムッシュだった。

彼が「どうにかなるさ」をあげたのは、自分の音楽の出発点を確認できる曲だからだろう。この歌は歌詞の面からも興味深い。歌謡曲には流れ者や旅の歌の伝統がある。代表的な名曲は小林旭の1960年の「さすらい」だ。その主人公はアウトローの流れ者。彼にとって、旅は趣味ではなく、避けられない定めだ。

ところが「どうにかなるさ」の主人公はアウトローではなく、モラトリアム期の若者だ。当時の言葉で言えばドロップ・アウトして見聞を広める途中という感じで、「さすらい」のような重さや自己憐憫はない。また、定住者が旅を夢見るジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」(1962年)のような小市民的日常脱出願望もない。その宙ぶらりんなところが、安保闘争の挫折やヒッピーやフーテンの若者たちが騒がれていた1970年という時代を感じさせる。1998年の奥田民生の「さすらい」の哲学的な世界の萌芽をこの歌に見ると言えば、うがちすぎだろうか。

前回「どうにかなるさ」について述べたとき、旅公演の途中で亡くなったアメリカのカントリー歌手ハンク・ウィリアムスの影響を受けた曲であることを紹介した。そしてハンクの影響を受けた曲といえば、はっぴいえんどの1971年のアルバム『風街ろまん』収録の「空いろのくれよん」にふれないわけにいかない。この曲もハンクやジミー・ロジャーズの影響が強いカントリー・ワルツだ。大滝詠一のお餅のように伸びるヴォーカルはハンク調、途中ヨーデルでうたうところがジミー・ロジャーズ風。ムッシュと大滝の二人が「どうにかなるさ」や「空いろのくれよん」を一緒にうたうところを聞いてみたかったと思うのは、ぼくだけではあるまい。

ムッシュは前掲書で「はっぴいえんどの曲もやってみたいな」と語っていた。彼は1975年のソロ・アルバム『あゝ、我が良き友よ』では松本隆作詞、細野晴臣作・編曲の「仁義なき戦い」と大滝詠一作詞、作・編曲の「お先にどうぞ」をレコーディングしたこともあったから、共演の可能性、絵に描いた餅ではなかったと思うのだが。

文 / 北中正和

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