【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 12

Column

松田聖子「風立ちぬ」。松本隆が大瀧詠一を誘って誕生した秋の名曲

松田聖子「風立ちぬ」。松本隆が大瀧詠一を誘って誕生した秋の名曲

「アレッ、ちょっとこれ、演歌っぽくない?」。松田聖子の「風立ちぬ」を初めて聴いた時、僕は友だちと、そう話したのを覚えている。もちろん「演歌」という言葉。輪島裕介著『 創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』 (光文社新書) などを読めば、それまでと見識も変わってくる二文字ではあるのだけど、この場合は単純に、「聖子ちゃんにしては、コブシが回ってるとこ、なくない?」、くらいの意味に受取って欲しい。

それは歌詞の“Sayonara Sayonara Sayonara”の部分である(作詞の松本隆は、なぜここをローマ字表記にしているのかも気になるところだ)。でもこれ、ちょっとタメぎみに松田聖子が発した“サラナラ”から、都はるみさんあたりを連想して僕らは演歌と言ってるだけだったりもして…。

作・編曲は大瀧詠一だ。個人的にも非常に思い出深い方であり、DJを務めていた番組に、僕はじゃんじゃんリクエストのハガキを出していた。たまに「詠一」を「泳一」と書いてくるリスナーがいて、すると彼は、「ええと僕は泳げないんですけどねぇ」と、オンマイクのやわらかな美声で、そう話していたものだった。

大瀧詠一が松田聖子の曲を書くキッカケは、もちろん松本隆だろう。松本は大瀧と「はっぴいえんど」として短期間だが画期的な活動をした。細野晴臣もその時のメンバーで、細野が松田聖子の曲を書くキッカケも、明らかに松本が誘ったからだ。ちなみに「はっぴいえんど」というと日本語ロックのパイオニアとして名高いが、彼らが創始者なら継承者が続くはずだけど、親指折って「“はっぴいえんど”,でしょ…」と始めても、手はその形で固まり、人差し指が折れることはない。突然変異的に出現した一代限りの天才達が彼らであり、そして“日本語うんぬん”に関しても、松本隆という人が、あまりに偉大だったということだ。松本の軸をロックにずらすと、たまたま“日本語ロック”になったということなのだと僕は思っている。

話を戻そう。「風立ちぬ」というタイトルなのだが、これは教科書にも載ってる堀辰雄の名作のタイトルであり、CBSソニーの若松宗雄があの小説を愛読していたこともあり、発案された。ただ、結核を患いサナトリウムに行く妻との日々を描いたあの小説と、この歌とに直接的な関連はなさそうだ。しかし小説の舞台は軽井沢であり、作詞の松本自身、思いでの場所でもあったらしく、また、これまで海辺の風景とともに描かれてきた松田聖子の歌詞から一変し、高原リゾート編となった第一作としても記憶されるべきものである。

思うにタイトルは「風立ちぬ」だけど、堀辰雄の別の小説で同じ軽井沢が舞台の「美しい村」のほうが、辺りの自然の描写、ということに関しては、この歌のイメージとつながる。花々が咲き乱れる様子も描写されている。ただ、小説には歌のように、“すみれ ひまわり フリージア”、というのは出てこないが…。 
 
この歌がレコーディングされた当時のことを、彼女は『夢で逢えたら』の本のなかで回想しているが、引用すると長くなるので、かいつまんで書いておくと、まず、大瀧詠一の存在を松田聖子が知ったのは、『ア・ロング・バケーション』によってであって、「君は天然色」のメロディだったら、すぐ思い浮かんだ、ということ。しかし次のシングルはその大瀧が作曲したものだと告げられ、渡された曲の第一印象としては、自分に「歌えるかしら?」、だったこと。いざレコーディングが始まると、大瀧から、「ここはちょっと、こうしてくれますか」という細かなリクエストもあったこと。さらに、作曲者本人に「ミキサーまでつとめていただいた」ことで、レコーディングの行程が非常に良く分かった、と…。
若松も、大瀧とのレコーディングについて、こんな証言をしている。「リズムは大体1時間くらいで録れるものなんだけど、大瀧さんがなかなかOK出さないの。リズムだけで2時間、2時間半とか。でもそれだけ作品作りに力をそそいでいたんだろうね」。
今はハイレゾでも「風立ちぬ」を聴くことが出来る。さっそくmoraからダウンロードしてみた。大瀧がレコーディング・スタジオの隅の隅にまで充した音楽の魔法が、僕の愛用のヘッドフォンのヘッドバンド中央から両耳へと無限に降りそそぐかのようだ。秋口に、またこの曲を聴いてみようと思う。

文 / 小貫信昭

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