黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 2

Interview

起業するなら32歳。藤村哲哉氏がギャガ設立を志したきっかけとは?(中)

起業するなら32歳。藤村哲哉氏がギャガ設立を志したきっかけとは?(中)

「哲っちゃん、お前そろそろ起業したらどうだ?」

荻原社長からの出資の話はどういったところから出てきたんですか?

藤村 出会ってから1年かけて段々僕のことを気に入ってくださって。それで、あるとき御飯に誘われて一緒に食べていたら、荻原社長は僕のことを「哲っちゃん」って呼んでいたんだけど、「哲っちゃん、お前そろそろ起業したらどうだ?」って言われて。
いや、「でもお金ないです」って答えたら「俺が出してやるよ」と。「…は?」ってなったよね。「この人はゲイかな?」って思っちゃったもん。だって、当時はまだ「エンジェル」(注3)なんて言葉もなかった時代だし、親戚でも親でもないオジさんが2人でメシ食っているときに「いや、金は俺が出してやるよ」って。

注3)起業家の創業や創業間もない企業に資金を提供して助ける個人投資家のこと。

何か他に目論みがあるだろうと。

藤村 「かな?」と思って。だって頼んでもいないんだよ? だから一瞬、言葉に詰まってしまって……「ありがとうございます」とは言ったよ? 言ったけど「今の仕事もありますしタイミングもありますから、ちょっと考えさせてください」って。別に向こうから今すぐ金を出すって言っているわけでもないのに、苦しまぎれにそんなことを言ったのを覚えている。でも、「別に今決めなくてもいいんだよ」って言ってくださってね。

当時としては破格のオファーですよね。それだけ評価されていたということですか。

藤村 評価っていうか信用してくださった。本当にありがたい、ビックリした。

We are UIP(ウィー・アー・UIP) !

それで海外のマーケットにまったくの未経験のまま映画の買い付けに行ったわけですよね。いろいろ逸話は聞いていますが、最初に行ったときってビジネスになったんですか?

藤村 それがモロになった。ビデオソフトに対する爆発的な需要がスタートしたタイミングだったから。そういう仕組みがあるっていうのはもう分かっていたしね。それで、生まれて初めて映画の買い付けに行ったの。でも、ブースがたくさんあるじゃない。一体どこから回ったらいいかも分からない。とにかくデカいところから回ろうと思って「ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ」って書いてあるブースに行ったわけ。

ああ~、UIP(※)に(笑)。

(※UIP ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ:当時、ハリウッドを代表するメジャー映画会社である、パラマウント・ユニバーサル・MGMの合弁会社。日本支社は2007年に解散)

藤村 あのときのやり取りはよく覚えてる。最初から「あなた、誰?」みたいな怪訝な顔をされてね。それで「アイム・バイヤー・フロム・ジャパン」、「イフ・ユー・ハブ・リスト・オブ・ザ・タイトル・アベイラブル、プリーズ・ショウ・ミー?」とか言ったら、向こうの答えは「ドント・ハブ・エニイ・リスト」。でも、意味が分からなくて「ホワイ?」って聞いたら。「ウイ・アー・UIP!」って(笑)。

アハハハハ。

買付け出張時の一枚 ミラノの映画見本市にて

買付け出張時の一枚 ミラノの映画見本市にて

藤村 よく分からないままそれでも粘っていたら、面倒くさそうに「ウイ・ハブ・ア・ディストリビューター・イン・ジャパン(私たちは日本に配給会社があります)」って言われて。後になってUIPって何か分かった。そりゃ日本人が「売って下さい」なんて言ってきたら変な顔するよね。ホントになーんにも知らなかった。

すごいレベルからですね。じゃあ総当たりで、例えば、AFM(アメリカン・フィルム・マーケット)だとサンタモニカのローズホテルのフロアを全部回って買っていった感じだったんですか?

藤村 当時はサンタモニカではなくてビバリーヒルズのビバリーヒルズ・ヒルトンが会場だった。それで、ホラーがブームだったからホラー映画を持っていそうなところをかたっぱしから回っていった。そうしたら、日本大手のヘラルドとか松竹富士とかが配給した映画の権利がアメリカの権利元に戻っていることが分かって。あの頃って5年くらいで権利が戻ってきていたんだけど、それらの権利がガラ空きだった。そういう、昔、日本で公開された映画をホラーと一緒に買い付けて。

買えば売れる、33作品連続黒字化達成

リイッシュー(復刻)タイトル、みたいなものですか?

藤村 とも言えるけど、日本では一度もビデオになっていなかったからね。ビデオっていうメディアが生まれたばかりの頃だから。それで、33作品を買い付けたんだけど、帰ったら32作品が速攻で売れた。それがスタート。トロマと出会ったのもそのときだね。

『悪魔の毒々モンスター』とかですね。やっぱりブースに行って初めて「あ、トロマだ」「ロイド・カウフマンだ」って感じだったんですか?

藤村 そうだね。『The Toxic Avenger』(『悪魔の毒々モンスター』の原題)っていうのがあって、それを見て。

それにしても、そんな右から左に売れちゃう時代だったんですね。

藤村 売れる、売れる。

徳間コミュニケーションズ(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)っていう徳間書店の子会社が最初に大きなお客さんになってくださったんだけど、洋画のビデオをウチと組んで出し始めて33作品連続で黒字達成。そういう時代だった。

どこのビデオメーカーからもビデオの権利を持ってこい、持ってこいの嵐だった。次のカンヌ映画祭のときはひとりで行って100本買ったから。

おひとりで行かれて100本も?

藤村 会社ができて、まだすぐだったからね。当時のAFMは2月開催で、すぐに5月にカンヌ映画祭があって。だから、どちらもひとりで行った。

国内営業はどうされていたんですか?

藤村 それも最初は自分でしていたね。そのあと古谷(※)君とか、だんだん人を入れていったけど。フィンランド航空に勤めていた人を、たまたまある縁でウチに入れたこともあった。あまりの忙しさに悲鳴を上げて1年で元の会社に戻っちゃったけどね。

(※古谷君:古谷文雄 映画評論家であり映画製作者として著名な江戸木純氏)

ビデオ作品「ロンサム・ダブ」PR時にダイアン・レインと一緒に来日したクリストファー・ランバートと藤村氏と筆者は中央

ビデオ作品「ロンサム・ダブ」PR時にダイアン・レインと一緒に来日したクリストファー・ランバートと藤村氏と筆者は中央

激動の日々でしたね。

藤村 最初の4年間は本当にそんな感じだったね。面白くてしょうがなかった。社員もみんな土曜出社していたし。さすがに日曜しか休みがないって言ったらまずいから土曜は隔週にしていたんだけど、みんな休みの土曜日も出てきて仕事をしてくれて。


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