黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 2

Interview

起業するなら32歳。藤村哲哉氏がギャガ設立を志したきっかけとは?(中)

起業するなら32歳。藤村哲哉氏がギャガ設立を志したきっかけとは?(中)

ナムコ 中村雅哉氏との共通点とは

不夜城のようでしたよね。ナムコの中村雅哉会長(当時)との出会いというのはどういう形だったんですか?

藤村 91年にバブルが崩壊した。それまで資金を支えてくださっていた荻原社長も資金繰りが大変になって。あるとき呼び出されて……10月だったかな? 「哲ちゃん、ウチの会社が大変だ…」、「株も土地もアレだし、とにかく経営危機なんだ」という話を初めて聞かされて。

「それで、ウチ(ギャガ)はどうなるんですか?」って聞いたら「いやー、それは親ガメがコケたら子ガメもコケるだろう」と言われたのを覚えている。でも、荻原社長的には自分の会社だけで精一杯の状況まで追い込まれていらしたから、そう言うしかなかった。

そうですね。

藤村 それで、僕の知っている人の中で、この状況を救えるような資金力のある人はひとりしかいなかった。それがナムコ(現バンダイナムコホールディングス)の故・中村雅哉会長。中村会長とはジャミール社のときに、ナムコのビデオゲームを扱った関係で、僕が起業する前から知り合いだった。

僕が「藤村哲哉」、会長が「中村雅哉」で「村(ムラ)」と「哉(ヤ)」が同じ順番に並んでいるということで、すごく気に入ってくださってね。

それで、初めて会った日の夜に、一緒にいたナムコの外国部長から電話がかかってきた。中村会長が僕のことを気に入ってくださって「彼を口説いてウチに入れろ」と言われたから、藤村さんナムコに入ってくれって。それで「ありがとうございます。でも、僕はまだ、ジャミール社に移って間がないですし……」と。

それで1回縁が切れたんだけど、ギャガを立ち上げて僕がマスコミに出始めると電話をくださって。

「僕は映画が好きなんだ」、「いろいろ話を聞かせてよ」と言ってくださった。

それで何回か会いに行ったんだけど、そのとき、いつも最後に「いいなあ、僕も藤村さんの仕事に興味あるなあ」、「僕も株主になりたいなあ」って言ってくださって。

中村会長がそうおっしゃっておられたんですか。

藤村 でも、荻原社長からお金を出していただいていたからね。イケイケドンドンでやっていたときだから、荻原社長もほかのスポンサーに入ってきて欲しいなんて思っていなかった。

それはそうですよね。

藤村 でも、中村会長は、また僕の記事が見ると電話をかけてきてくれてね。「また出てるね、頑張ってるね」、「また、ちょっと遊びに来ない? いろいろ聞かせてよ」と。それで、ときどき会っていたので、中村会長に自然にお願いすることになり、その後も株式上場を果たすまで、会長としてギャガの成長を支えていただくことになった。

CCC 増田宗明氏は風のように去って行った(笑)

CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)の増田宗昭さんと出会われたのも同じ頃だと思いますが、ビデオの流通としてのお付き合いがずっとあったんですか?

藤村 いやまったくなかった。ギャガは版権商社でビデオメーカーではなかったから直接の取引はなかった。けど、僕がマスコミにけっこう出ていたので増田さんが興味を持って下さって。会いたいという申し出をいただいて、最初に会ったときはホワイトボードにわーっと自分の事業に対する考え方を書いて風のように去っていかれた(笑)。

そんな感じだったんですか。

藤村 だから、すごいあっけにとられた。で、「今度は枚方市に来てくれ」と。枚方市のTSUTAYAの中にオフィスがあって、それくらい、CCCも、まだ小さい規模だった。それで、しばらくしたら株を持たせてほしいと言ってくださり、中村会長の次の大株主になっていただいた。

資金調達の件では、増田さんを頼ろうという考えはなかったんですか?

藤村 日本テープが銀行に対してギャガの資金を債務保証して資金を借りていた。それで、その金額が10億円くらいだったから。当時のCCCに10億肩代わりして下さいって話は現実的ではないと思った。それで中村会長のところにお願いに行くことになりました。


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