Interview

ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・湯川れい子インタビュー②

ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・湯川れい子インタビュー②

苦し紛れに外国人の女の子の名前を並べた歌詞を書いた
洋楽扱いの「涙の太陽」が70万枚を超えるヒットになったの

エミー・ジャクソンの「涙の太陽」は英語でも70万枚も売り上げるヒットになったのはどうしてだったんでしょうか?

やっぱり日本人が作っていて、まぁ、それは秘密だったけど(笑)、どこか日本人にフィットしたのかもね。どこかしら味噌汁臭かったんだと思う。

話は戻りますが、湯川先生が当時、作詞家として、音楽評論家として、ラジオDJとして、リスナーとして、外国人が日本語で歌うことには抵抗なかったですか?

それは全然なかったわね。だって、歌は世につれ、世は歌につれだから。それが大衆音楽。誰が歌おうが、日本語で歌われ、自分が共感できればいいに決まってるでしょう。

ましてやグローバルに人も道具も使えるようになって、日本人が外国に出られるようになって、「ああ、外国人が日本語で歌ってくれてる!」ということに「親しみ」や「世界が広がって来たな」というポジティヴな感覚しか沸かないよね。自分の世界まで広がった感じがして、うれしかった。

ジョニー・ティロットソンだって、コニー・フランシスだって「アメリカのスター」というより、「日本のスター」になっていったし。それで70年代に入っていくと、「うーん、マンダム」みたいなCM がブームになって、チャールズ・ブロンソンが日本で大スターになったり、’72年には東京音楽祭が始まって、次々に日本独自の外国スターが登場するでしょう。

ジェリー・ウォレス
「マンダム〜男の世界」
’70年発表

ルネ・シマール「ミドリ色の屋根」ですね。

ルネ・シマールは’74年、第3回大会よね。曲を書いて、仕掛けたのは村井邦彦さん。「翼をください」を書いて、「マイ・ウェイ」の権利を24歳で買い付け、音楽出版社アルファ・ミュージックを20代で設立した人よ。ユーミンの「ひこうき雲」を制作してアルファ・レコードを作り、YMOを育てた人として世界的にも有名な方ですよね。

村井さんはやがてロサンゼルスにも音楽出版社を作るけど、そういうふうに70年代から音楽ビジネスがグローバルに成長していく。ルネ・シマールのヒットはそういうグローバル・ビジネスへの成長途中で生まれたのよね。

でもファンの耳もグローバルになるの。漣健児さんが訳詞をやめたのはもっと早くて、ビートルズが出てきたから。’64年ビートルズの「抱きしめたい」をスリー・ファンキーズが歌うことになって、実際に歌ったんだけど、ファンから「やめてくれ!」って。

そしてやがて「日本語詞はかっこ悪い」って言われて、漣さんは「これはもうだめだな」って思ったって聞いてるわよ。ビートルズが日本を席巻して70年代になると、ビートルズで育った人たちが作家として次々出てくるの。

はっぴぃえんどなど自分たちが曲を作り始め、松本隆さんのような方が「日本の洋楽」を作っていく。こうなると外国人が歌う日本の洋楽は要らなくなるし、日本人が書く楽曲にも吉田正先生や古賀政男先生が書いていたような湿り気が消えて、洋楽としてのセンスを持った楽曲を日本の作家たちが作るようになっていくの。

それが80年代になるとまた日本人が外国曲をカヴァーしてヒットさせますね。小林麻美の「雨音はショパンの調べ」とか、郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」とか。

小林麻美
「雨音はショパンの調べ」
’84年発表

それはグローバルな広がりを持つ曲で日本の誰かをスターにできるか……とか、またはスターだった人をさらに一段ジャンプアップさせられるか、というもくろみがあってよね。なおかつ、日本でその原曲がヒットしそうだったことから選んだんでしょうね。

昔から欧米のヒットとは違うところで、日本だけでヒットする曲というのがあるでしょう。それは日本人の琴線に触れる音楽、サム・テイラーの「ハーレム・ノクターン」とかスリー・ディグリーズの一連のヒット曲とか、プラターズの「オンリー・ユー」とか。日本で爆発的にヒットしている。

カーペンターズもいい例で、アメリカに今行ってもカーペンターズなんてぜんぜんラジオでかからないし、おぼえてる人も少ない。でも日本では永遠の人気ですよね。あれは日本人の琴線に触れた声、音楽。日本人にとって親しみがある。カレンは日本人のメンタリティに似てて、内気なところがあって、すごく誠実で。そういうのが大好きってのがあるんじゃない?

日本だけでヒットする洋楽曲を、日本のリスナーは歌詞で聴いてると思われますか?

それはあんまりないと思う。たとえば「イエスタデイ・ワンス・モア」とか「遥かなる影」とか大ヒット曲はたくさんあるけど、何を歌っているのかみんな承知しているかといえば、そんなには知らないんじゃないかしら。でもそれを超えた魅力がカーペンターズにはあるのよね。だから聴かれ続けるんでしょうね。

日本人によるそうした洋楽カヴァーを好ましく聴いてましたか?

私は常に好ましく聴いてましたよ。だって私はヒット曲を作る側にもいるし、音楽そのものが大好きだから、どうしてこれがヒットするんだろう? と。否定的要素は微塵もないもの。

洋楽のヒット曲から私もイメージとして影響されるの。稲垣潤一の「246:3AM」はダン・フォーゲルバーグの「懐かしき恋人の歌」に影響されていたり。私の場合は、音楽の中に映像を見るのよね。

インタヴュー・文/和田靜香

湯川れい子(ゆかわ・れいこ)

東京都生まれ。昭和35年にジャズ専門誌の『スウィング・ジャーナル』へ投稿して評論活動を始める。ラジオDJとしても活躍する一方で、作詞家としてアン・ルイス「六本木心中」などのヒット曲を送り出す。近年はボランティア活動にも力を入れ、積極的に社会貢献を行なっている。