Interview

ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・湯川れい子インタビュー③

ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・湯川れい子インタビュー③

スティングは詞になかなかOKを出さなくてすごく厳しかった。
だから逆につまらない詞になっちゃって(笑)

湯川先生はポリスの「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」の日本語詞を書いてますが、どうして書くことになったんですか? 日本のレコード会社が彼らにアプローチしたんですか?

ポリス
『ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ』

’81年発表

いいえ、あれは彼らが世界中の国の言葉で歌いたがったの。スペインではスペイン語で、フランスはフランス語で、日本は日本語で。日本の企画じゃないのよ。

日本のレコード会社から依頼されて日本語詞を書いたけど、書き終えるとそれをぜんぶ英訳して、またバンド側に送る。すると意味がちょっとでも違うというと突っ返されてくるの。

それを何度も何度も繰り返してあの日本語詞が生まれたわけ。スティングはものすごく厳しかった。だから逆につまらない詞になっちゃって(笑)。そういう特殊な例で、珍しいんじゃないかしら?

あと、モンキーズのデイビー・ジョーンズが日本語で歌った「魔法でダンス」「恋するデイビー」の歌詞も書いてますね。

モンキーズ
『アイム・ア・ビリーバー』

’67年発表

あれはね、デイビーがモンキーズとしての仕事が全く無くなって、子供が産まれたりして生活が苦しい時期で、「日本で仕事したい」と言ってきたの。

当時CMソングをいっぱい書いてた作曲家の井上大輔さんが「あの声ならいいね」と、化粧品会社のCM に使ってくださることになったの。井上大輔さんの力添えがあったから実現したプロジェクト。

いい声だし、わざわざ日本に来てレコーディングしてくれたのよ。声はいいし、歌はうまいし、日本語だもん、共感しやすいじゃない。

80年代頃に湯川先生からレコード会社にアプローチしたり、またその逆を戦略的にやったことなどありますか?

そうね、そういう巨大プロジェクトで思い出すのはフリオ・イグレシアスですね。当時のCBS・ソニーの社長だった松尾修吾さんの大英断で、フリオを日本で売り出すために予算3億円を組んで大プロジェクトがスタートしたの。

既にフリオはヨーロッパでは大スターで、日本でもイケると踏んだソニーの人たちが頑張って、私や鈴木道子先生など大勢のジャーナリストをマイアミやスペインにコンサートを観に連れて行ったり、インタヴューに行かせてもらったりだとか、すごかったのよ。私も「日本でもイケる!」と確信したし。

80年代初頭、日本でも洋楽が盛り上がってヒット曲は多かったけれど、フリオのような大人でヨーロッパの哀愁、湿り気のある音楽は少なかった。彼の歌からは絵が見えてきて、しかもハンサムだし高級感がある。高級感て大事だったの。

だって80年代になって私たちの生活も変わってきたでしょう? 上昇志向が強まり、食べるものもパスタがどうだとか当たり前になっていたのに、そこに流れるべき音楽が無かったから。私は当時、何度マイアミまでフリオに会いに行ったか!

ソニーはそれこそ印刷物にも気を配り、全部濃紺に金箔で文字を書くとかね、イメージ戦略も統一してやってたのよね。そういうことができたのはやはり、70年代にチープ・トリックとか日本独自の戦略でスターを生むことに成功していたからでしょうね。

当時はレコード会社やメディアが仕掛けていくことに成功したんですね。

もう今は速戦即決で、すぐに売れるかどうかでしか音楽が作れないからねぇ。例えばこの人とこの人をつなげてこれを歌わせたら面白いとか、そうしたプロデューサー的発想も発揮できないでしょう? セリーヌ・ディオンと葉加瀬太郎を共演させて「トゥ・ラヴ・ユー・モア」をやらせるとかね。お金もかかるし、人脈もないと……。そういうことはなかなか難しい。

今も洋楽ファンはいないわけじゃないのに、そこに届けるのは難しいのでしょうか?

ファンはいますよ。だからびっくりするぐらい、ブルーノ・マーズにもマルーン5にも人は集まるでしょう? でも、どうしてもそこだけで終わってしまう。

ライヴ以外では昔のように時間と空間をシェアして音楽を聴く場がないからね。昔は茶の間のテレビでみんなが一緒に見聴きしていたよねえ。『夜のヒットスタジオ』にはポール・ヤングからフリオ・イグレシアス、フランク・シナトラからダイアナ・ロスまで出ていた。そういうものがないものねえ。

ポール・ヤング
『シークレット・オブ・アソシエーション』

’85年発表

今は朝のワイドショーぐらいでしょうか。

あそこからヒットが生まれるとはとても思えないけど。学校に行く前の子供は観られるのかしら?

9時過ぎとかだから、子供は学校に行くので、偶然に観るとかしかないと思います。

でもあんまり朝早くは稼働できないのかもしれないわね。ほかに出るところがないってことでしょうね。アメリカはまだラジオが肩代わりしてるでしょう。日本はトヨタの車でもラジオが付いてないとか。若い子はradiko ではラジオを聴かない。スマホで聴くとすぐ電池がなくなるし。

だから、EDM で踊るクラブ、フェス、初音ミクなどに人が流れて、そういう場所で時間と空間を共有するんでしょうね。みんなで一緒に何かを共有して盛り上がりたいという気持ちは大きいんじゃないかしら。

インタヴュー・文 / 和田靜香

湯川れい子(ゆかわ・れいこ)

東京都生まれ。昭和35年にジャズ専門誌の『スウィング・ジャーナル』へ投稿して評論活動を始める。ラジオDJとしても活躍する一方で、作詞家としてアン・ルイス「六本木心中」などのヒット曲を送り出す。近年はボランティア活動にも力を入れ、積極的に社会貢献を行なっている。