Interview

大澤誉志幸が明かす、あの名曲の数奇な運命、そして曲作りの流儀

大澤誉志幸が明かす、あの名曲の数奇な運命、そして曲作りの流儀

80年代の音楽シーンをリードしたシンガーソングライター大澤誉志幸が、デビュー35周年を記念して、シンガー大澤とソングライター大澤の両面からセレクトした2枚組『大澤誉志幸 Song Book』をリリースした。
 大澤はジャパニーズ・ソウルのオリジネーターの一人として、グルーヴを中心においたエッジーな音楽を発表し、ソロ・アーティストとして大成功を収めた。僕は40年間にわたって日本のライブシーンを見て来たが、大澤誉志幸はベスト・ライブ・アーティストの一人として顕彰されるべきだろう。
 一方、大澤はソングライターとして沢田研二や中森明菜に楽曲を提供し、デビュー前に100万枚を売り上げた。ビートの効いたポップなロックや、ロマンティックなバラードなど、今も素晴らしい作品を生み続けている。
 この偉大なシンガーソングライター&パフォーマーは、今のJ-POPに連なるプロトタイプのひとつであり、彼自身、いまだに進化し続けるアーティストである。J-POPの歴史に興味のあるリスナーは、ぜひこのアルバムを聴いてみるといい。
 数々の伝説を生んだ80’sのポップカルチャーの一端を、『大澤誉志幸 Song Book』を通して語ってもらった。

取材・文 / 平山雄一 撮影 / 鈴木圭


やっぱり、餅は餅屋。作詞作曲はソングライターがやった方がいいです。そう思うんだけど、みんな自分でやりたがる(笑)

今回のアルバムを構成するにあたって、収録する曲を選んだ基準はどんなものだったんですか?

シンプルに「好きな楽曲」をということですね。あとはそれに付随して、「みんなの耳に慣れ親しんだ楽曲」をということです。基本的にDISC-1の楽曲は自分のシングル曲をメインに選んである。DISC-2は、提供した中でただただ好みの楽曲を選んだ。ビートたけしさんの「ハード・レインで愛はズブヌレ」や八代亜紀さんの「AKI’S HOLY NIGHT」は、個人的にすごく気に入ってたんで、ぜひ入れたいなと思って。

自分で作って、自分でもすごく気に入ってる曲という。

うん。八代さんからは初めての依頼だったんだけど、「ちょっとジャジーな曲をお願いします」というオーダーだった。八代さんが白人の女性ジャズシンガーのヘレン・メリルがすごく好きだって聞いたんで、スタンダードなジャズのバラードを書かせてもらった。ヘレン・メリルの楽曲をもう一回聴き直したりして、今までにない感じで作ってみようと思ったんで、面白かったね。

本人とは直接、打ち合わせをしたんですか?

 

もちろん。俺が仮歌をうたって、アレンジもやらせてもらったんで、満足な感じだった。八代さんの歌入れに立ち会って、歌のディレクションもやらせてもらった。「ちょっとコブシを取って歌っていただけますか?」みたいな(笑)。

どうしてもコブシが入っちゃうんですか?(笑)

入っちゃう。ただ、それを取ったら、すごく艶っぽくなって。「やっぱり歌が上手い人なんだなあ」と思った。

八代亜紀さんにジャズを書いたり、音楽の“引き出し”はいまだに増えてますか?

うん。洋楽にずっと影響されてきた世代で、相変わらず洋楽しか聴かないから、その中で今こういう楽曲を書きたいなあと思って作ってる感じだね。ブルーノ・マーズも好きだし、ここのところ起きているファンク・ムーブメントも意識しながら作ったり。基本的にルーツにはジェームス・ブラウン的な要素もある。

ビートたけしさんはどうだったんですか?

提供楽曲という意味では、沢田研二さんに書いた「おまえにチェックイン」がいちばん最初だった。それがブレイクして、「もっといろんなタイプの曲を作りたいなあ」という欲が自分に出たときに、ビートたけしさんから依頼されたのは、シングルのA面候補の楽曲だった。それはシングルになったんだけど、もう1曲作って、「こんな曲もあるんですけど」って「ハード・レインで愛はズブヌレ」をプレゼンしたら、すごく気に入ってくれて。「これをシングルのB面と、アルバムにも入れよう」っていうことになった。たけしさんがまだツービートの時代で、たけしさんがバラードを歌うときの、ひとつのスタイルになった楽曲ですね。

この曲もレコーディングに関わったんですか?

うん。これも仮歌を歌いに行ったら、たけしさんが「これ、ビートたけしっていう名前で出しちゃえばいいじゃん」って(笑)。

たははは!

「いやいや、歌ってるのは私ですから」と(笑)。

自分で歌わなくていいやっていうのは、たけしさんらしいですね(笑)。最初の提供楽曲の「おまえにチェックイン」は?

「おまえにチェックイン」は、最初に世の中に出た俺の曲。当時は伊藤銀次さんがプロデューサー兼アレンジャーで、木崎賢治さん(注:トライセラトップス特集を参照)がディレクションをしてました。その頃はまだ佐野(元春)くんもブレイク前で、僕と佐野くんが沢田さんに楽曲提供をしてて、佐野くんもちょうどスタジオに来てたので「みんなでコーラスをやろうよ」って言って「♪チュルルル チュッチュッチュチューヤー」を、僕と佐野くんと銀次さんと沢田さんでやった。

すごいコーラスですね!(笑)。

いちばんマイクの近くにいたのが佐野くんで、2番目が銀次さんで、僕が3番手。沢田さんはやっぱり声が立つからマイクからいちばん遠くに立って。普通、コーラスってマイクを囲むものなんだけど、縦に並んでたっていう不思議なコーラス録りだった(笑)。

はははは! 「おまえにチェックイン」を最初に書いて、「人に曲を書くのっていいな」って思って、ソングライターの大澤さんが始まったんですね。

そうそう。ソングライターから始まって、それと並行していろんなレコーディング・スタジオにコーラスの仕事をやりに行ったり、CMソングを書かせてもらったりっていう時代でしたね。裏方に徹してる1年半ぐらいかな。そういう意味では、珍しい始まり方をしたと思います。その流れで、山下久美子さんの楽曲をかかせてもらったり。

最近のカバー・ブームでいろいろな人が名曲をカバーするのを聴いてると、曲がいい方が聴いていて楽しいから、そのボーカリストが無理やり自分のオリジナルを書かなくてもいいんじゃないかって思ったりしますが。

いやあ、最近じゃなくて昔から俺はそう思ってますよ(笑)。やっぱり、餅は餅屋。作詞作曲はソングライターがやった方がいいです。そう思うんだけど、みんな自分でやりたがる(笑)。その方が、アーティスティックに見えると思っているんじゃないですか。

(曲を書くのは)辛くはなかったな。だって湯水のようにどんどんメロディが湧いてきちゃうから

大沢さんの80年代はどんな時代だったんですか?

ソングライティングの仕事をやってるか、自分のアルバムを作ってるか、キャンペーンしてるか、ライブしてるか。それを繰り返しずーっとやってた。80年代と90年代はホントにそういう感じだったね。

たくさん曲を書くことは、辛くはなかったんですか?

辛くはなかったな。だって湯水のようにどんどんメロディが湧いてきちゃうから。耳が新鮮なときに「このメロディは面白いかも」と思うから、最近、作曲は朝方が多いですね。寝て起きて、iPadをポーンってつけて、そのまんま録音しちゃう(笑)。

歌詞に関しては?

  

歌詞はそんなに多作ではないので、出てくるときは書くけど、アイデアがない場合は出さない。ただプロデュースをするときは、「こういう形態の詞が欲しい」とか「こういうテーマで書いてくれ」って方向性を示してあげる。

今回の収録曲では、「そして僕は途方に暮れる」をはじめ、銀色夏生さんの作詞が多いですね。銀色さんは大澤さんにとって、どんな存在だったんですか?

銀色は、型にはまらないで、プロフェッショナルとアマチュアの中間にいる人だった。それは彼女の作家性なのかもしれないんだけど、そこが面白かったなあ。1枚の紙に落書きみたいにして、いろんな言葉がばらばらに書いてある。俺がメロディを付けるときに、「ここの2行とこっちの2行を持ってきて、くっつけて」とかやってたわけです。

すごい作り方ですね!

そしたら「その繋がり、面白いね」っていうことになって、「じゃあ、次のBセクションはどうする?」っていう作り方。作品の方向性をそういう方法で探っていく感じだったよね。

他にあんまりないスタイルですね。

ないねえ。あれはまだ俺がデビュー前で、たくさん時間があったからできた試行錯誤だった。そんなことができたのは、あのときしかない。その後、銀色も作家になっちゃったし、俺もブレイクポイントが来ちゃって、お互い忙しくなって。

でもそれが面白い作品を生んだんですね。

きっと真剣に遊んでたんだろうね。

ブレイクポイントとなった「そして僕は途方に暮れる」はどんなふうにできたんですか?

この曲は、最初は鈴木ヒロミツさん(注:伝説のグループサウンズ“ザ・モップス”のボーカリスト。故人)に提供して、録音しなかったから戻ってきた。そのあと山下久美子さんのところに預けたんだけど、そこでも録音してくれなかった(苦笑)。「おや?」と思ってたら、俺の元に戻ってきたのね。

運命の曲ですね。

そのとき銀色が書いてきた詞が、「途方~」のメロディと譜割りが90%ぐらい合ってたの。だからちょこちょこっとメロディを直して。でも「何か足りないね」っていうんで、大サビの部分の詞を銀色に先に考えてもらって、それにメロディを付けたんだよね。

じゃあ、大サビだけ詞先なんですね。

そう、大サビだけ詞先。あとはもう順列組み合わせみたいに、メロディと詞を合わせていって、「これ、成り立つかな?」みたいなことを、制作スタッフみんなでディスカッションしながら作ってたのを覚えてるなあ。俺と銀色と木崎さんと、ディレクターの小林(和之:現ワーナーミュージック・ジャパンCEO)さんでね。

この曲をカバーしている人はみんな、「出だしの1行で2人の状況がわかるところがすごい」って言ってます。

♪見慣れない服を着た 君が今 出ていった♪っていうそれだけで、2人の関係性がわかっちゃうもんね。作ってたときも、その切り口で全体が決まっちゃったようなところもあったよ。確か「見慣れない服」っていう詩の一篇は、銀色が書いた紙の右端の真ん中ぐらいに書いてあったのを覚えてる。その言葉をたまたま俺が選んで、曲のアタマにしようというところから、結果的に作品の構成が出来上がってったっていうのは、偶然と言えば偶然だよね。時間があり余ってたからできたのかも(笑)。

(笑)今、そういう歌の作り方をしてる人っていますかね?

あんまりいないんじゃないかなあ。銀色の言葉を組み合わせながら、「これはあり得る、あり得ない」とかそういう話をしながら作ってた。それは、そのときの“時代の読み方”だったんだと思う。「銀色はこう思ってるんだけど、俺はこう思う」とか、「木崎さんはこう思う」ってディスカッションする。珍しい作品の作り方だと思うよね。みんながみんな歯に衣を着せぬ感じで、意見を言い合ってた。俺もそうだけど、銀色もまだ世に出る前だから、言いたいことを言い合えたんだろうね。

“忘れていく”、“捨てていく”っていう精神構造じゃないと、長くは続かないと思う。俺は楽観的だから良かったかもしれないけど

今回の新曲3曲の中で、僕は最後に入っているバラードの「Over the Centuries~君のために生きる~」が好きです。Aメロの低い声がすごくよかった。

もっと高くても歌えるけど、わざとあの低いキーで歌ったの。あのメロディを表現するには低い声でなければダメ。ピッタリ合ったキーでキレイに歌っても、ダメだなと。低くてちょっと濁りかけの声のほうがいいなと思って。

そういう意味では、自分の声は好きなんですか?

決して嫌いではないですね。独特の声だと思うんで。普通、ボーカリストって、「バラードシンガー」とか「ロックシンガー」とか「ソウル系」とか、だいたいそういうひとつの方向性で行くでしょ。でも俺は一人で全部歌っちゃうから、珍しいタイプのシンガーかなと思う。

「大澤誉志幸の35年間のこの1曲」と聞かれたら、どの曲を選びますか?

えーと……今回の中には入ってないんだけどね、1曲すごい好きな曲がある。

えーっ、入ってないんですか(笑)。

入ってない(笑)。だけども、この『Song Book』には思い出深い曲が入ってる。やっぱり「途方に~」と「ガラス越しに消えた夏」は、いちばんピークのときにこの2曲が生まれたから、他にない経験だったと思う。作品が不思議な経緯で出来上がって、その上でヒットしてるから。

「ガラス越し~」はどんなテーマで作ったんですか?

「途方に~」はビートが入ってるじゃないですか。でも「ガラス越し~」はノンビートで作品を構成してる。パーカッションがパパッと入るぐらいの珍しいタイプの楽曲だった。しかも「ガラス越し~」は、「途方に~」のその後の二人を描いている。いわゆるアンサーソング、「途方に暮れる」で別れた二人がいて、そのあとの男の歌。2曲ともヒットしたことが、あのときの時代の流れなんだなあと思ってね。

35年間、音楽をやってきて思うことは?

「光陰矢のごとし」というか、「もうそんなに経っちゃうの?」みたいなもんじゃないですか(笑)。あっという間に年が重なっちゃった。ただマインドの部分は変わらずに、いろんなものに興味があるから、それがいいんだなあと思う。あと5年は続けたいかなっていう(笑)。

ははは! 5年って体力の問題ですか?

んー、それはまあ年を重ねてみないとわかんないけど、今のところ楽曲はいっぱい出てくるけど、出てこなくなる日があるのかなあ。

スランプはなかったんですか?

それなりにはありましたよ、やっぱり。でも「忘れていく」、「捨てていく」っていう精神構造じゃないと、長くは続かないと思う。俺は楽観的だから良かったかもしれないけど。あとは自分のスピードで生きていくのがいちばんいいね(笑)。

ありがとうございました。

ライブ情報

4月15日(土) 東京・渋谷Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE
ゲスト:山下久美子

大澤誉志幸

1981年4月にバンド「クラウディ・スカイ」のボーカルギターとしてビクターよりデビュー。バンド解散後、メロディー・メイカーとしての作曲家としての才能を開花させ、沢田研二、中森明菜、山下久美子、吉川晃司をはじめとする数多くのアーティストに数々の名曲を提供し続けている。一方、自身のソロ活動としては1983年6月にソロ・デビュー。「そして僕は途方に暮れる」等の大ヒットでシンガーとしての地位を不動のものとし、数多くソロ・アルバムを発表し続けている。さらには、ソロ活動や楽曲提供以外にも鈴木雅之、本木雅弘等のプロデュースやバブルガム・ブラザース、杏子、鈴木聖美等を集めてのクリスマス・アルバムの企画&プロデュースも行い、プロデューサーとしても活動。ソロ活動を中心にその活動の幅は多岐に渡り、マルチな才能をみせている。2008年、ソロ・デビュー25周年のANNNIVERSARY YEAR に、2枚のアルバムをリリース。2010年デビューからのシングル曲を網羅したAlbum「TraXX (トラックス)−Yoshiyuki Ohsawa Single Collection−」 [2010デジタルリマスター]をリリース。2011年、アルバム『Y.Ohsawa 30th anniversally album self cover&new songs「水月鏡花」』、2012年には名曲「明日はきっとハレルヤ」を劇的に再演したミニアルバム『明日はきっとハレルヤ』を発売。 2013年大澤のプロデュースのもと、大澤が提供した山下久美子の代表曲を中心に構成された素晴らしいデュエットアルバム『& Friends』をリリース。そのクォリティにおいて高い評価を受けるとともに、記念ライブも大絶賛される。

オフィシャルサイトhttp://ohsawayoshiyuki.com