Interview

ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・伊藤政則 インタビュー ①

ニッポンの洋楽の立役者たち 音楽評論家・伊藤政則 インタビュー ①
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伝説となった1966年のビートルズ来日で本格的に始まったとも言われる“洋楽”シーン。 洋楽黄金期と言われる70〜90年代を紐解く中で見えてきた特異なジャンル。 世代共有の回想、そして後世に伝えるための特集、“洋楽” in ニッポン。


ニッポンの洋楽の立役者たち 第2回 伊藤政則インタビュー

70年代末に産声をあげたヘヴィ・メタルをいち早く日本に紹介し、80年代におけるハード・ロック/ヘヴィ・メタルの普及に大きすぎる役割を果たした音楽評論家、伊藤政則氏。 アイアン・メイデンの登場からNWOBHMシーンの形成、ヘヴィ・メタル日本上陸の衝撃的な光景、そしてファンが導いていった隆盛……当時のリアルなシーン状況を振り返りながら、どのようにしてヘヴィ・メタルが日本に定着していったかを政則氏がざっくばらんに“証言”してくれた。

アイアン・メイデンを観たらぶっ飛んだ 演奏も曲も今まで聴いたことのないような新しさがあった

伊藤さんは著書『目撃証言』で、’79年にロンドンで、当時無名だったアイアン・メイデンのライヴを目撃されたことが非常に重要な出来事だったと記されています。当時は英国のロック・シーンがとても沈滞していたというご意見ですね。

70年代末は音楽シーンが混沌としていた時期だったと思うんですよ。日本もそうですけど。それまではロンドンからの情報が音楽のみならずファッションも含め、サブカルという形でどんどん伝わってきて、『POPEYE』や『anan』みたいな雑誌も、ロンドンのブティックやストリート・ファッションの情報を扱って盛り上がっていたんです。大貫(憲章)さんがパンクを紹介したりね。でも70年代末はパンクが下火になって、それに続くニュー・ウェイヴの動きはまだ盛り上がっていない。

日本の音楽シーンもいまひとつ冷え込んでるような状態だったんです。80年代になると、全ての状況が変わってくるんですけど、でも70年代末はひとつの時代の変わり目でね。70年代初頭も中期も面白かったけど、ひとつの時代が終わる時って一種の燃え尽き症候群みたいになっちゃうのかなと。

伊藤さんご自身はパンクをどう受け止めてたんですか。

77年~’78年ぐらいは非常に勢いがあったと思いますよ。’77年にロンドンに行った時も、マーキーや100クラブは毎日パンク・バンドが出てすごい盛り上がりだった。でもみんな小粒なんだよね。寄り集まって大きな動きになっていたけど、個々のバンドが時代を切り拓いて、ライシアムにいってハマースミスにいってウェンブリーに行って……というような、どんどん大きくなっていくようなイメージを持てなかった。

でもアイアン・メイデンは違った。

全然違いましたね。

アイアン・メイデンを観に行ったわけじゃなくて、『サウンズ』誌のミュージックマシーンってクラブの広告に惹かれたんです。「ヘヴィ・メタル・ナイト」と銘打ってバンドだけでなくDJも出る。知らないバンドばっかりだったけど気になって行ってみたんですよ。会場に入ってみたら何か雰囲気が違う。

そしてアイアン・メイデンを観たらぶっ飛んだ。何が違うって、曲作り。それからメンバーの雰囲気。演奏も曲も今まで聴いたことのないような新しさがあった。70年代のハード・ロックとは全然違うんですよ。展開もソリッドでスピーディで。これはすごいなと。

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アイアン・メイデン
「鋼鉄の処女」

’80年発表

アイアン・メイデンに代表される動きが80年代以降に「ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)」として爆発したわけですね。

そうです。“ヘヴィ・メタル”という言葉はブルー・オイスター・カルトのマネージャーだったサンディ・パールマンが使い始めたんですが、その当時はあまり一般的な言葉ではなかった。それを『サウンズ』が借用して、英国のハード・ロックの新しい動きに名付けたんですね。

“ニュー・ウェイヴ”という言葉は、“パンク/ニュー・ウェイヴ”から取ったわけですよね。

もちろん、絶対そう。同列の新しい動きなんだという。70年代のハード・ロックとは全然違うものだという差別化を示したんですね。そして“ブリティッシュ”と入れたのがポイントで。ヘヴィ・メタルという、ハード・ロックとは違う新しい波が英国から現れたんだという宣言ですよ。70年代から80年代への切り替わりを『サウンズ』がうまく提示して、ファンの意識を高めたのが戦略的に成功した。

70年代初頭のレッド・ツェッペリンやディープ・パープルのファンは淘汰されて、当時はハード・ロックのリスナー自体ずいぶん若くなってたんですね。そういう子たちはAC/DC やモーターヘッドを聴いていた。ファッションでいうとGジャンを着ていた。貧しくて革ジャンを買えないのでGジャンだったんです。

そういう若者たちがNWOBHMを支持した。いわば演奏している人たちと同世代ですね。あるいはその下。当時アイアン・メイデンと同じ世代のバンドが一気に出てきたわけですが、彼らは自分たちの聴きたいものがないから自分たちでやっている、というDO IT OURSELVESの精神でやってたんですね。

インタビュー・文 / 小野島大

伊藤政則 インタビュー2

伊藤政則(いとう・せいそく)

’53年生まれ。岩手県出身。70年代より音楽評論活動を始める。80年代から はラジオDJ、TV パーソナリティ、クラブDJとしても活躍。ハード・ロック/ヘヴィ・メタルを中心にブリティッシュ・ロック、プログレッシヴ・ロックの日本における普及に努めている。